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「夫婦別姓」について

以前に、「パターナリズムについて」という記事で、「正しい家族制度というものを国家が規定して、それ以外の選択肢を許容しないというのは、パターナリズムの典型である」という意味のことを書いた。

日本の歴史において、女性の姓というものが、どのように扱われていたのかについて、僕自身もあまりよくわかっていなかったので、良い機会なので、いろいろと調べてみることにした。

「夫婦別姓」問題を議論する際に、「夫婦が同じ姓を名乗る(あるいは妻が夫の姓を名乗る)のは、日本の伝統的な家族制度に基づくこと」であると、当たり前のごとく主張する人がいるが、これについては、明治時代に制定された民法でそのように定められて以来に過ぎない。つまり、たかだか120年余しか経過していないということになる。

もう少し具体的に書くと、1898年に施行された民法で、妻が夫の氏(姓)を称することが明確化されて以降、すべての家族はその家の苗字(姓)を名乗ることが法的に義務化されている。これの背景には、「夫婦一体」という結婚観によって同姓を強制する西洋の影響が大きいとのことである。

じゃあ、明治初年頃から民法施行前までは、どうだったかというと、「婦人はその生家(実家)の姓を称するべきか、それとも夫の姓を称するべきか」(石川県からの照会)に対する太政官の回答が、「婦女は結婚してもなお元の実家の姓を称すべき」というものであったかと思えば、「嫁家ノ氏ヲ称スルハ地方ノ一般ノ慣行」(宮城県)、「嫁した婦人が生家の氏(姓)を称するのは極めて少数」(東京府)という意見が出たりと、相反する意見が飛び交っており、明らかに混乱している印象を受ける。

つまり、日本女性はそもそも「姓・名」を自身で名乗る機会があまりなかったから、「どちらの姓を称するか」についての明確なルール自体そもそも存在しなかったので、西洋における当時の制度等を参考にしつつ、民法制定によってとりあえず決着を図ったというのが実態のようだ。

それより以前の日本では、女性は姓どころか、本名も公式には明らかにされていなかったという。北条政子とか、秀吉の正室の北政所のような高位の女性でさえ、本当の名前はよくわからない。朝廷から官位をもらったり、参内する際に、「平政子」とか「豊臣吉子」とか名乗っている記録があるのは、あくまで便宜的な仮名みたいなもので、彼女らの本当の名前は「諱(いみな)」と言って、家族や夫くらいしか知らないのが普通であったらしい。清少納言や紫式部の本名がわからないのも同じ理由である。

そんなわけだから、明治時代以前の女性に関しては、「実家と婚家のどちらの姓を称するか」云々よりも遥か前段階の立場に置かれていたことになり、今の我々にとってあまり参考にはならない。

だとすれば、西洋の影響を受けて明治時代に制定された民法が現在の日本の家族制度を考える上でベースになっていることを理解した上で、あまり殊更に伝統、伝統とは言わずに、もっとフラットな議論をしても良さそうな気がする。現行制度も、所詮、たかだか120年余の実績しかなく、しかも日本ではなく当時の西洋諸国の状況を鑑みて半ば無理やりに決めただけのルールなのである。

「パターナリズムについて」にも似たようなことを書いたかもしれないが、国が正しいこと、正しくないこと(=間違っていること)を決めるということについては、できるだけ「禁欲的」であった方が良い。もちろん、ルールを決めておかないと、社会を正常に回していけないようなことについては、その限りではないが、各自がそれぞれの判断で選択をしたとしても、他人に迷惑をかける心配がないようなことであれば、極力、各自の選択に委ねるというスタンスで構わないと思う。

夫婦がどちらかの姓を選択して、揃って同じ姓を名乗ろうが、それぞれ別の姓を名乗ろうが、双方が納得していれば、他の誰かに迷惑をかける話ではない。「子供の姓を巡って家同士の争いになる」といった話をする人もいるが、いくらでも対応策はある。たとえば、出生届を出す際には、夫婦で相談して、暫定的にどちらかの姓を選択しておいて、子どもが成人した際に、改めて自分で選択させるといったやり方もある。

明治時代に民法を制定する際に、西洋の影響を受けたと書いたが、当時はいざ知らず、現在はだいたいの国において、厳格に規定するような法律は特に無く、慣習的に婚姻時に夫の姓を称するとしても、制定法によって強要されるものではないというのが一般的のようである。そう考えると、100年以上も前に他国を参考にして決めたルールを日本人だけが頑なに守っているということになる。

付言するならば、夫婦の姓について議論するのであれば、「戸籍制度」も、この際、どこかの時点で見直し/廃止を含めて議論しても良いような気がする。戸籍があるのは、日本、台湾、韓国だけである。つまり日本と、かつて日本が支配していた国だけということである。その他の大多数の国に戸籍はない。戸籍がないと困るかと言われたら、特段の不自由はない。大多数の国において戸籍がなくても困っていない。出生時にIDを付与して、さまざまな個人情報をそれに紐づけることができれば、そちらの方が便利であるようにさえ思われる。電子化することで、たとえば、相続人不明の不動産の調査なども今よりも円滑に進むかもしれない。

現状の制度を所与のものとして考えるのではなくて、どうすればより便利になるのか、より多くの国民にとって賛同を得やすい制度になるのか、ゼロベースで議論すれば、いろいろとアイデアは出て来るように思えるのだが、いかがなものであろうか。


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