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「浦和レッズ」について①

プロフにも書いてあるが、僕はJ1クラブ「浦和レッズ」のサポである。

兵庫県生まれ、現在は大阪市内に住んでいるにもかかわらず、「なんでレッズなんだよ」と言われそうであるが、これにはいろいろと事情がある。

銀行員だったので、転勤の都度、近畿圏と首都圏を行き来するような生活を送っていた。だんだんと子供が大きくなって以降は、もっぱら単身赴任生活をするようになったが、東京本部勤務をしていた時期、JR浦和駅近くの単身赴任用マンションに2年間ほど住んだことがあった。

浦和と言えば、浦和レッズである。

浦和駅前の伊勢丹のところには監督・選手たちの大きな写真が掲げてあるし、歴代の監督・選手の足型のレリーフ(路面盤)も設置されてある。また街中のいたるところにポスターが貼っている。商店や飲食店には選手のサインが書かれた色紙が飾られている。ホームでの試合開催日は、「さいたまスタジアム」直行のシャトルバスが出発する浦和駅東口の駅前はファン・サポーターで真っ赤になる。もちろん駅周辺の飲み屋はテレビ観戦するファン・サポーターで満杯である。従業員もお客さんもドレスコードのように赤いユニフォーム着用である。ふだん生活していて、レッズの選手と遭遇することも珍しくない。とにかく街中どこにいてもレッズに関係するモノが目に触れない方が難しいくらいなのである。

それでもしばらくは、それまでJリーグの試合をリアルに観戦したこともなく、たいしてサッカーに興味のない僕としては、レッズと関わり合いを持つ機会もなく職場とマンションを往復する毎日を送っていた。

転機はちょっとしたご縁で知り合いになった地元住民による感化であった。家族ぐるみでJリーグ草創期からの熱狂的レッズサポである知人からすれば、浦和に住んでいて、しかも浦和駅から「浦和駒場スタジアム」(さいたまスタジアムがメインのスタジアムになる前の本拠地でレッズサポにとっては今でも「聖地」らしい)に向かう通り道沿いに住んでいるにもかかわらず、レッズの試合を一度も観戦したことがない僕のような人間を看過するわけにはいかなかったようである。半ば拉致されるように、「さいたまスタジアム」のホームゲームに連れて行かれ、それがきっかけとなり、以降、レッズの試合を観戦するようになった。

「さいたまスタジアム」でのレッズのホームゲームというのは、それくらいに「感染力」がある。

何よりファン・サポーターの熱気が凄まじい。スタンドはレッズのユニフォームで真っ赤に染まる。試合開始前から既にアツい。まるでロックのライブか新興宗教のイベントのような雰囲気である。レッズサポの「コレオグラフィー」(スタンドのファン・サポーターが紙などを持って作る人文字のことで、略して「コレオ」)はもはや芸術的レベルである。ゴール裏サポはとりわけ熱狂的である。彼らは試合の間中、座席に座ることなく飛び跳ね、「チャント」(応援歌)を歌い続ける。ちなみに試合の翌日は疲労と筋肉痛で仕事にならないらしい。チャントの音量もデカい。

アウェイの立場にとっては、おそらく最悪・最恐のスタジアムであろうが、レッズ選手にとってもかなりの緊張感を強いられる場所である。ぬるいプレーをしていると容赦なくブーイングが飛ぶし、とにかくスタンドからの圧がすごい。文字どおりスタンドのサポも一緒に闘っているのである。彼らは「観戦」とは言わず「参戦」と言う。

そんなわけで、それから転勤までのしばらくの間、都合がつく限り、ホームゲームを「さいたまスタジアム」で観戦するのが僕の週末の習慣のようになり、転勤して関西に戻ってからも、アウェイの試合となれば、当然のごとく吹田や長居や神戸で観戦するし、たまには広島や名古屋まで遠征もするし、これぞという重要なゲームには、「さいたまスタジアム」まではるばると泊りがけで出かけるような「にわかサポ」になってしまっていた。

僕がレッズサポになった経緯については、こんな感じである。その後の話については、また改めて続きを書きたいと思う。

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