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労基法について

日本の労基法は、1947年に制定された法律ということもあって、だんだんと今の世の中の実情と相容れなくなってきている。

法律がつくられた頃に想定されていたのは、工場とか鉱山で働くブルーカラー労働者を非人道的で過酷な扱いから保護するというものであり、今のようなデスクワーク主体のホワイトカラー事務職とか、サービス業に従事する労働者が多い世の中とはそもそもの前提が異なる。

昔であれば、長時間労働が慢性化している上に、安全衛生面でも問題が山ほどあるような過酷な労働環境から労働者を保護する必要があったのかもしれないが、デスクワークの場合、労働時間の長短だけで労働環境の是非を判断するのは難しい。安全衛生面とか職場環境においては、労災事故が多発するような身体的な危険は減ったかもしれないが、各種ハラスメントやメンタル面への配慮については、より一層の注意を要するようになっている。

今般、働き方の多様化やデジタル化の進展を踏まえ、労働基準法制の課題を整理するため厚生労働省が設けた有識者研究会が報告書をまとめたとあるが、「遅すぎるんじゃないの」と突っ込みたくなる。80年近く前の法律を、マイナーチェンジだけで使いまわしていたのである。

法律がつくられた当時は、在宅勤務とか副業・兼業などといった働き方も考えられなかった。正社員以外の、非正規雇用社員、個人事業主、フリーランス、家事使用人等の取り扱いをどうするのかといった論点もある。

日本の労基法の問題点の1つとして、「一旦、雇ったら、解雇しにくい」ということがある。労働者にとっては悪くなさそうな話であるが、景気変動とか企業業績による雇用調整が硬直的にならざるを得ないため、企業は正社員を雇うことについてはすごく慎重になってしまうし、ホントは正社員を雇いたいけど、非正規雇用とか派遣社員で間に合わせようとする。

結果的には、なかなか正社員として採用されず、非正規雇用や派遣社員といった不安定な身分で我慢しないといけない人たちの割合がいつの間にか増えてしまっている。

日本以外にも、解雇が難しい国はある。北欧とか南欧とかにもある。日本よりも簡単にクビが切れる国は、アングロサクソンの米英が代表格であるが、それ以外は総じて似たようなものである。

それでも日本の雇用環境に問題があるとすれば、解雇が難しいことに加えて、正規雇用と非正規雇用の格差が大きいことにある。これはOECDのレポートなどでも指摘されている。

同一労働同一賃金のはずが、実態として、正規雇用よりも非正規雇用は割安な賃金で働かされてしまっている。男女の賃金格差も厳然として存在する。いわば、「身分の違い」「カースト」みたいなものが、正規雇用/非正規雇用、男性/女性の間で存在している。こちらの方がむしろ問題であるが、こうした格差が生じる背景にも、解雇の難しさを原因とした「調整弁」のような役割を、非正規雇用とか派遣社員が果たしていることが考えられる。

したがって、労基法を見直すのであれば、ちょっと逆行すると言われるかもしれないが、今よりも解雇を容易にするというのは、1つのアイデアとして検討すべきかと思う。

何でも米英が良いとは思わないが、少なくとも金銭的な解決手段によって、柔軟に解雇ができるようになれば、景気が良くなったり、業績が上向いた時には、積極的に正社員を増員しようとする企業も増えるだろうと考えられる。そうなれば、非正規雇用とか派遣社員を「調整弁」に使う必要も減るのではないか。

今の労基法には、「労働者は保護されるべきもの」という基本的な発想が根底にある。たしかに、安全衛生面やハラスメントも含めた労働環境を整備する責任は企業側に求められるが、労働者側のニーズに応じた、いろいろな働き方の選択肢を前提とした発想の転換が必要であろう。

先ほどの、「金銭的な解決手段による解雇の容易さ」もそうした文脈で考えるべきだし、残業時間だって削減すれば良いというものでもないし、有給休暇だって増やせば良いというものでもないと思う。労使のコミュニケーションに基づく、いろいろな選択肢があっても良い。休みなんかいらないから、がっつり働いて報酬が欲しいという労働者がいても不思議だとは思わないからである。

僕は銀行に勤務していたが、銀行みたいなデスクワーク主体の職場において、今の労基法は「寸法の合わない洋服」みたいな使い勝手の悪さを常々感じていた。個々人の能力差が否定できない以上、机にへばりついている時間の長短で、「働きぶり」を判断することはできないからである。はっきりと言えば、できの悪い社員ほど残業時間が慢性的に多く、優秀な社員は残業などせずにさっさと仕事を終わらせていたものである。

私見であるが、日本も将来的には、正規雇用/非正規雇用といった区分けもなくなり、全員が個人事業主のようなドライな関係で企業から仕事を請け負うような雇用契に収斂されて行くのではないだろうか。当然にアウトプットの量・質で働くぶりを評価され、次の契約につながるか、つながらないかも決まる。成果の指標は結果のみだから、そこには男女差もない。

勤め先に対する帰属意識の強い日本人に、こういう働き方が定着化するかどうかは知らないが、いずれ突き詰めれば、そうならざるを得ないと思う。



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