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映画ライターを始めて得た気付き

私を映画ライターに導いた「気づき」

音楽大学に通っていた頃の私は、24歳の自分が映画ライターになっているだなんて微塵も思わないだろう。
あの頃の私は「せっかく音大卒なのだから、音楽に関わる仕事に就くべきだ」という固定観念に取り憑かれ、楽器店に就職した。
配属部署はピアノの販売営業。
ここまではライターになる予兆すらない。

入社から2カ月経った頃に転機は訪れる。
店舗のInstagram更新業務を任されるようになったのだ。
そこで得た「自分は書く仕事が好きである」という気づきが、「ライター始めてみようかな」に結び付いていった。
その後隠れて副業ライターをしていたが、会社のブラックさに体を壊し退職。
冒険的すぎると思いつつもライターを本業とし、再スタートを決めたのだ。

その後私は魚屋さんや起業家さんのブログ執筆、Instagramの文章作成などさまざまな分野のライティングに携わった。
自分の知らない分野の知識に触れられるのは新鮮だったが、その反面自分の好きなジャンル「映画」を専門に執筆したいという気持ちが生まれた。
どんどん膨れ上がる書きたい欲と「映画文化を広げる活動をしたい」という想いが融合し、ついに私は映画ライターになることを決めたのだ。

映画ライターになって得た大切な気づき

ずいぶん前章が長くなってしまったが、ここからが本題。
映画ライターになって私は1つ大きな気づきを得た。
世間の評価が良かろうが悪かろうが、必ず作品にはメッセージが込められているということだ。
書き始める以前、私はかなりの食わず嫌いであった。
好きなジャンルではないからと観るのをやめていたり、冒頭の部分で「面白くない」と止めてしまった作品も少なくはない。
そのおかげで現在、重篤な視野狭窄から抜け出すのに必死だ。

映画ライターを目指すにあたって網羅的な鑑賞をするようになり、観てこなかったジャンルや世間受けが悪いものも分け隔てなく触れるようになった。
そこでようやく「どんな作品にも必ず核があり、そこに制作に人生を傾けた人たちの思いがこもっている」という大切な気づきを得たのだ。

作品は制作に関わった人たちの「子」であると思う。
私自身音楽大学で演奏活動していた時、自分の演奏を「我が子」のように感じていた。
「大好きなこの曲を一番美しい状態で届けたい。
曲の情景に引きずり込みたい。
心躍る音楽体験をしてもらいたい。」
そんな想いを込めて、人生を練習に傾けてきた。これは映画の製作者も同じなのではないだろうか。

だからこそ私は1本1本の映画の魅力を200%伝えられるライターになりたい。
1本に込められた想いを読み取り、最高の言葉で伝えたい。

1人でも多くの人の目に留まるように。
そして映画の世界に足を踏み入れる「きっかけ」になれるように。


2022.11.13 宮内伽羅

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