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セニアカーをねだった8歳児

私は子供の頃からぐうたら思考だった。
どの程度かというと、8歳にてセニアカーが欲しいと親に頼み込むくらいだ。

当時の私は小学2年生。ランドセルの重さに嫌気が差してきた頃だった。
下校中に目の前を通過したセニアカーを見た瞬間、今年の誕生日プレゼントはこれだ!と決めたのだった。

なぜ、自動車でもなくバイクでもなくセニアカーなのかというと、自動車は免許が必要ということは当時知っていたからだ。バイクは自転車の形状で、あんなにはやく走る乗り物に乗る勇気がなかったから。
そこで現れたのがセニアカー。然程はやく走らず、座りながら移動できる。そして車道ではなく、歩道を走れるからだ。
小学2年生の考えだとしてもなんと馬鹿馬鹿しいことだろうか。

その日、母親にセニアカーを誕生日プレゼントで欲しいと頼み込んだが、呆気なく玉砕。さらにはその流れで説教をくらった始末。
セニアカーは身体が動かし辛い人のためのものであって、あんたみたいにランドセルが重くて通学が面倒という人のためではないとの事だった。至極真っ当、ど正論、ぐうの音も出ない。
あんまりにも馬鹿馬鹿しい事で怒られている私をケラケラ笑っていた兄の顔も忘れられない。
それ以降、私はセニアカー通学などという考えはなくなり、翌日からも重いランドセルを背負い学校へ向かったのだった。

今思い出してもあの頃の母親の説教が間違っていないと思うし、子供ながらの尖った考えだったと思う。
子供とは良くも悪くも想像力に長けているものだと、しみじみと茶をすする。

そして最近、小学生の姪がセニアカーを欲しいと言い出したと兄が嘆いていた。
次は私がケラケラ笑う番かもしれない。

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