【連載小説】「 氷のプロンプト 」第3話
(本文・第3話)
「今日から入社した山崎さんだ」
利成が腕をだらだらさせながら、面倒臭そうに紹介する。
「本日からお世話になります山崎奈津美と申します。サポート業務は初めてですが、精一杯頑張るので、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
緊張しながらも、はきはきとした声で挨拶をする。
山崎が配属チームの席に付くと業務が開始される。
「リーダーの八木と言います」
「山崎です。よろしくお願いします」
「このリンクから新人用のマニュアルページに遷移するので一時間ぐらいで読み終えて、サポート業務を開始して下さい。不明点は周りのメンバーに聞いても構いません」
画面を見ながら、ため息混じりに説明する八木。その後、さっさと自分の席に戻っていった。
入社初日の新しい環境。当然、まだ馴染んでいない山崎は各メンバーの立場や性格は把握していない。それはリーダーなら分かりきったことだが、八木としては私ではなく「周りのメンバー」になるべく聞いてくれ、と言いたげである。
新人用マニュアルを一通り読み終え、業務を開始する山崎。初めてで不安はあったが、思ったより順調に応対を進めていくことが出来た。がしかし、受け答えに困る顧客も多い。周りのメンバーに聞くも、まったく答えになっていない教え方しかしてこない。
ノルマを達成しないと詰められる。プレッシャーに疲弊したメンバーたちは新人の面倒まで見る余裕はなかった。さっきまで、新しい職場で心機一転しようと希望に満ちていたはずの山崎の表情は徐々にこわばっていった。
さらにメンバーの一員である木下が見当たらない。
「あれっ、木下さんは?」
「もう辞めたみたいですよ」
プルルルルッ!
すぐ隣のチームに着信が鳴る
「川崎さーん、岡本くんから電話です」
「どうしたの?体調でも崩したの?」
「もう会社辞めたいです」
虫の泣くような声で話す岡本。
「そんな困るわよ、突然」
またの退職者。そんな気はしてたが、表面上は困った様子を演じる川崎。
「すいません」
ツー、ツー、ツー
入社してくる社員も多いが、去っていく社員も多い。
一方、利成は眉をひそめながら、パーフェクト市場からの新着メールを開いている。評価として、応答率は良いが応対品質や顧客満足度は低いとの事。来月から若干増えるノルマの数に、肩を落としかけるが『TalkMTCの解禁について』という項目にわずかな期待を持ちはじめる。
「井上、ちょっと良いか?」
「はい」
利成がシステム部に向かって声をかけると、井上真守が返事をしながら歩いてくる。
「今、パーフェクト市場からTalkMTCの解禁の連絡がきた」
「はい」
「で、送付された資料がこれだ。ここにTalkMTC使用における制限も書かれている」
井上が資料をざっと読み終えると、利成が要望を話す。
「一言でいえば、社内のチャットサポートシステムにAIを導入したい。どんな感じになるか一通り説明して」
「まずブラウザ経由でなく、プログラムからTalkMTCとやり取りするには、APIを使います」
「ふむふむ」
頷きながら説明を聞く利成。
「そしてAPIはトークン単位の課金制です」
「なるほど。でも人を雇うよりはコストを削減出来るんでしょ?」
利成としては人出不足に関しての事が重要だった。
「それは使い方しだいです。注意としてAPI利用上限の設定は必須です。課金制なので上限の設定をしておかないと、それこそ莫大な請求がくる可能性があります」
「そうか」
「また、セキュリティの観点上、APIキーはプログラム直書きでなく、環境変数などから読み込むようにした方が良いでしょう」
プログラミングの話になると、ついつい熱く語ってしまう井上。
「うーむ、技術的なことはよく分からんけど、その辺りはしっかり頼むよ」
「はい」
「顧客からの問い合わせだが、機密情報などはTalkMTCへ送信しないように人が必ず事前確認する。あと顧客への応答もそのままでなく人が事前確認して適宜修正する。まあTalkMTCはあくまでもアシスタントの役割に留めるようパーフェクト市場からの資料には書かれている」
「わかりました」
「他にも色々と資料書かれている。これをもとに、サポートシステムに今月中に連携出来るようにしておいてね」
「えっ、今月中にですか?」
ぎょっとして、頬がこわばる井上。
「おいおい社内システムだぞ、余裕で出来るはずだ。ボタンの位置とか適当で良いからさ」
こうして井上の戦いは始まった。システム改修におけるTalkMTCのAPIの組み込みかたを調べる事から始まる。目新しい技術というのは未だ情報は少なく、この時点で工数が掛かる。
それに加え、入社二ヶ月目の井上は社内システムをそこまで把握してなかった。会ったこともない前任者が残した「業務引継書」の中身はまったく当てにならないものだった。
「どれくらい進展した?」
二日経ったところで利成が聞いてくる。
「すいません。ようやく改修箇所の目処が立ったところで」
「未だその段階なの。さっさとしてよ」
利成は両手を腰にあてながら、不満をもらした。
当初は、AIの実装という案件に目を輝かせいた井上だが、日が経つに連れその意欲は削がれていった。「あれば便利」的なエンハンス機能の追加とは別物であった。単体テストは通過したと思いきや、結合テストで問題が出てくることもあり課題は積もっていく。いくら修正してもエラーが消えない。エラーの解消法の調査に時間がかかる。
(開発者にしか分からない苦悩があるというのに、なかなか理解してくれない …… )
そう思いながらも、パソコンに向かう井上の唇はかすかに震え、その視線は虚ろになっている。
エンペラーサポートでは全体的な業務効率化というよりは、人手不足解消のためのシステム改修に集中していた。このような大幅な改修となる場合、見合ったスケジュールを組む必要があるが、今月は残りわずか。無情にも時間は過ぎ去っていく。その、焦りはストレスとなり、精神を蝕んでいく。
「井上、どうだ?」
「まだエラーが二箇所残っており調査中です」
一日に何度も確認してくる利成は、一刻も早くシステムにAIを追加して、人手不足を解消したい。会社としてのノルマを達成したい。そもそも利益をださなければ社員に給料すら払えないプレッシャーが重くのしかかっていた。
(経営者にしか分からない苦悩があるというのに、社員たちは分かっていない …… )
つぶやきながら、机をとんとん叩いている。
翌朝、井上が報告をしにきた。
「社長、やっと完成しました」
「遅いな〜。出来たのは良いけど今更かい」
その声には苛立ちが混ざっていた。
井上の机には、眼精疲労を誤魔化すための栄養ドリンクが散見されいた。やっと肩の荷が下りる。それは仕事の達成感ではなく、仕事からの開放感としか言いようがなかった。
「あと、改修部分の設計を纏めて、パーフェクト市場に送付して。もちろん今日中にね」
「すいません社長。早苗の …… 妻の誕生日なんです。今日だけは定時で」
「たのんだぞ!」
井上の懇願を遮るかたちで、利成が不機嫌そうに言い放つ。
「 …… はい」
感情を押し殺す表情とは裏腹にその拳は握りしめられていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
大きなホタテの形をしたベッドには、薄暗いピンクの照明がふり注いでた。あやしげな密会の場で寝そべりながら語り合う利成と悦香。
「そう言えば、AIにを導入したという話、会社の方は大丈夫なの?」
「以前、井上っての店に連れてきただろ?」
「井上さん?」
目を細め、首を傾げながら聞く悦香。
「ほら、瓶底メガネかけた根暗そうな」
「ああ、あのコンピューターに詳しかった」
「あいつエンジニアなんだよ。だから何でも押し付ければ無事解決!もう一段落ついたみたいだし」
利成は口もとを緩めながら、不敵そうに自慢する。
「そう、良かった。あと心配なのは奥さんよね」
鏡張りの天井を見上げながら、ぽつんとつぶやく。
「今夜はAIシステム導入のため泊まり込みで仕事といってある。クライアントのどの製品をサポート代行しているかまで伝えているから根回しはバッチリだよ。それに、あいつもTalkMTCをしているから理解も早い。よく料理のレシピとか聞いたな」
「最近話題のTalkMTCね。ふふふっ、AIが相手とは言え、奥さんは利成さんの帰りが遅いとか愚痴っているかもね」
「まあ大丈夫だろ、履歴が残らん設定もしてた見たいだし」
「えっ?そんなのあるの?」
驚いた顔で、ハッと口に手をあてる悦香。
「最近、設定出来るようになったみたいだ、AIサービスの進化は早い早い」
(もっとも不正利用の監視で30日間は保存されるようだが、主婦の愚痴なんざ気にせんだろ … )
利成はタバコをふかしながら、ぼんやりと思いをはせていた。
「ふーん、奥さんTalkMTCに詳しそうね」
「専業主婦だし、いつも家に居るから暇なんだろ。何冊かTalkMTCの本を読んでいるよ。このまま、のめり込んで貰えればこっちとしても好都合だ」
下卑た笑いを浮かべながら言った。
「あと、これありがとう。すごく綺麗」
買ってもらったルビーのネックレスを嬉しそうに何度も眺めていた。
「どれ、付けてやるよ」
ルビーは悦香の胸元で紅く妖艶に輝いている。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
慎之輔はミネラルウォーターを片手に、新着メールを確認していく。いつもは眠気覚ましのため珈琲だが、今日はやけに目が冴えていた。うーんっ、と両手を上げ背伸びする。
その傍らでは、いつも通り社員たちがチャットサポートの業務をこなしている。
「市原さん、地域別の配達日数はこの欄を確認して」
メンバーが困っていないか見てまわるリーダーの桑田。特に、まだ3日目の市原に対しては重点的に指導をしていく。
「ああ、小沢さんこの場合は大きいサイズの説明もした方が良いよ」
メンバー同士の話し合いも活発に行われている。
近くのチームも負けていない。
「神埼さんこのパターン覚えてます?」
リーダーとは言え、遠慮せずにメンバーに頼る沼川。
「はい、この製品は水色が人気で入荷待ちになってます」
ベテラン派遣の神埼はあらゆる場面に精通していた。リーダーに進言するほどである。育児の都合上、時短勤務であるのにも関わらずだ。
各チームとも、お互いに声を掛け弱点を補い合っていた。
その間、慎之輔はパーフェクト市場からのメールに書かれている「TalkMTCの解禁について」の部分をよく読み、頬づえをつきながら、じっくりと考えていた。
AIを活用したらどんな事が出来るのだろうか。今まで使ったことが殆どない分野だけに、社員とも相談していきたい。
「おーい、関根。それと各リーダーちょっと良いかな?」
慎之輔たちはミーティング室へと向かった。
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?