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【連載小説】「 氷のプロンプト 」第9話

【第1話】は、こちらから

(本文・第9話)

 そのミーティング室は広大ながらも、空調管理も行きとどき、温度調整はもとよりドライ機能も完備され、議論に集中できる快適な環境であった。

 光沢感のあるポトス、可愛らしい葉のシマトネリコ、肉厚なサンスベリア、大胆なモンステラと観葉植物が壁一面にならべられている。窓から午後の陽を浴びる、自然豊かな癒やしの空間。

 そんな風景とは裏腹に、長いテーブルを囲む社員たちの表情は固かった。先日起きた、エンペラーサポートの大幅なチャットサポートの遅延に関してである。

 パーフェクト市場では今回の騒動について、エンペラーサポートから着々と送られてきた調査結果に目を通していく。ところどころから、ページをめくる音が静かに響き渡る。サポート部のミーティングではあるが、システム部からの参加者もいる。

 エンペラーサポート側のプログラムにエラーやバグなどは無かった。
 MiracleAI側のサーバー障害という訳ではない。
 また、ネットワークや通信回線なども特に問題は無かったという。

 では、一体何が原因だったのだろうか?

「結論から言うと、エンペラーサポートの使用してた『APIが利用出来なくなっていた』みたいです」
 樋口が意を決したように発表する。

「APIが利用出来ないって、何でだろう。課金の支払いしてなかったとか?」
 早速、部長の長谷川誠一はせがわせいいちが聞いてくる。

「先月分のクレジット支払いは、きちんとされてようですね」

「確か、『API利用上限の設定』ってあったよね。高額な課金を防ぐための」
 システム部のエンジニアである松本義博もつもとよしひろが目を見開きながら聞いてくる。

「それが、設定した利用上限までAPIの使用はしてなかったようです」

「それなのに何故、急にエンペラーサポートの使用してたAPIが利用停止に ……」
 頬杖をつきながらぼやく長谷川。

「まだハッキリと調査結果が出たわけではないのですが『プロンプトでの攻撃』かと思われます」
 樋口の発する声のトーンから緊張が伝わってきた。

 予想外の意見に聞き入っていた一同たちも騒然となり、困惑した表情で、お互い顔を見合わせてた。

「という事は、インジェクション攻撃とか?それでエンペラーサポートのシステムに何かが?」
 案の定、松本が身をのりだしてきた。

「それもあるかも知れませんが『APIが利用停止された』ですよ」
「ここからは私の推測ですが ……」
 樋口が意見を続けながら言う。

「APIを通じ送られた内容のプロンプトについては、30日間は保存され監視されいるようです。もしかしてMiracleAI側が『不正利用』とみなしたのではないのでしょうか?」
 一晩中、考えた上での推測であった。

「でもさ、そういうのって制限掛けてないの?」
 首を傾げる長谷川。

「そうですね、まず性的コンテンツなんかは制限が掛かります。ただし、プロンプトの組み方によっては、その制限を抜けることが可能です。この辺りはMiracleAI側としても大きな課題になってます」

「えっ、そうなのか。たとえば、どんな事例が考えられる?」

「例えば、フィッシング詐欺用のサイトの量産。公式サイトを巧妙に真似するわけですが、プログラミングも出来るTalkMTCからすればお手のものでしょう。あと、マルウェアの製造や迷惑メールの作成もですかね」
 見せ場をつくりたいのか、ここぞとばかりに割って入り説明する松本。

「あとは脆弱性の検出。これはセキュリティ強化に繋がりますが、裏を返せば攻撃者へのヒントにもなってしまいます。他にもまだまだありますが、切りが無いからこの辺にしておきます」
 顎を高く上げ、満足そうな表情の松本。

「APIを使用していると見込んでいる企業に対してか。ハッカーにサーバーを踏み台にされるようなものかな」
 ハンカチで額の汗を拭いながら言う長谷川。喉が乾いたのか、ミネラルウォーターをごくごく飲んでいる。

「ちょっと待って下さい。今回の場合はチャットサポートとの連携です。レスポンス自体はスタッフからの応対なので、情報を抜き取るとかは考えづらいです。全自動でなく、人間の目で確認しているわけですし」
 今度は主任の石山いしやまが意見を出してくる。

「プロンプトを通じ、不都合な情報を学習データに取り込ませようとか。これは故意でなくても有りえます」
 樋口が答える。

「不都合って何だよ?大体、正義や悪の基準なんて人間が勝手に決めた偏見だろ?」
 長谷川が声を張り上げる。

「いや、そうかも知れませんが ……」

「ていうかさ、応答アシスタントならプロンプトのもとは顧客の問い合わせ内容だろ?」
 口を尖らせながら言う。長谷川の得意げの表情はもはや名探偵のようだ。

「今回のエンペラーサポートのシステム仕様だとそのケースに該当しますね」

「変な思考の顧客だったとか?それとも元社員の恨みを買っていたとか?」
 課長の長尾ながおが眉間にシワを寄せる。

「そこは何とも。ただこう執念は伝わってくる気がします」
 樋口がそう言うと、周りは暫し考え込んだ。

 全面ガラス張りの窓を照らす夕日が地平線に向かいゆっくりと沈む。

「あと、気になることがあるんですけど」
 長尾が聞いてくる。

「何だね?」
 ため息をつく長谷川。

「エンペラーサポートの報告ですが『MiracleAIへの連絡先を見つけるのが遅くなり』とありますね」

「言い訳だな。前もってメモに控えておくだろうに」

「確か井上さんでしたっけ?あの方はエンジニアでして、趣味でTalkMTCのAPIを使用したプログラムを組んだこともあるみたいですよ」
 ふと、思い出したように樋口が言う。

「だったら余計気がつくでしょうに。わざと提言しなかったんじゃないの?こう言っちゃ何だけどさ、大須賀さん人望無さそうだし。それに『不正利用』とみなされてしまう可能性がある、プロンプトへの送信を見落としたのも、社員さんが疲弊してたのが要因かもよ」
 エンペラーサポートからの報告書には、利成が部下に責任を押し付ける言い訳ばかりが書かれている。百戦錬磨の経験を持つ長谷川は一目で見抜いていた。

「それか忘れるぐらいに追い詰められていたとか?井上さん大須賀さんからいつも詰められていたようですし」
 先輩の田辺たなべが答える。彼は樋口と共に、エンペラーサポートとの打ち合わせをよく行っていた。

「そうだな」

……

 一同は、黙りこくった。つい、さっきまでの喧騒が嘘のように。顔を見合わせることもなく、口をつぐみ、何か思いに耽っている。それは時間が止まったような感覚でさえであった。

 一つの物語が終わりを迎えるようだ。しばしの間、月の光と静寂に包まれていく。

 そして、また太陽がのぼり、新たな幕開けが始まるであろう。

(つづく)

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