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秋ツアーは確かに来ない、でも

ごめんね。
あくまでも自分の心のための文章だから、他の人にとっては随分とお気に召さない文面かもしんない。そん時はパパッとスルーして閉じちゃって。


秋ツアー来てほしかったよ、そりゃあ。

よしおさんのお加減のこともある。
海越えての遠征は、当日中に家まで帰れないからホテル代かかるし、何より飛行機代って、羽田発新千歳行きの往復と新千歳発羽田行きの往復で全然値段違うんよ。
北海道まで来てもらう代わりに、グッズをたんまり買う方がずっとずっと安いのよ。
(春はほぼ全品買ったけど、人気薄時間帯の飛行機の早割の往復より安いのよ)

チケット取れなかったとしても来てほしかったの。
自分が暮らしている土地に来てくれるってことが既にプライスレスよ。
そういう思い、他の都府県の人もあるんじゃないかなって思ってるけどどうなんだろ?


私が沼から出てほっつき歩いてる間にいろんなことが様変わりした。
しょうがないこともたくさんあるのだと、それこそ大人の事情だってあるのだと、成人式2周して後半周くらいで3周目に入る位置に来てるんだからそれなりに理解もする。

だから、今自分で調べられることを調べてみようと思った。
ほんとに来れないんだろうか?って。
誰にも迷惑をかけない形で、自分が「しょうがないかもね」と思える理由を探すこと。
(できる理由を探してしまえば、自分の不満が募る。どこの地域の人だって「来てほしい」って思ってることもチケットが取りづらいことも、3人さんは当然ご存じである。だからトラベリングバンドの矜持を持ち続けてホールツアーを続けてくれてるのだと思ってる)


現在、秋ツアーを北海道では開催していない。
ちなみに私の初コンサートは1988年11月15日釧路市民文化会館
まごうことなき秋ツアー。

北海道にはどのくらい来てくれてるんだろうか?というのも気になったので、
公式ホームページで確認してみた。
(自分を納得させるための主観的印象で以後進みます。
正確に数数えたり、年度や日数押さえていません。気になる方は、alfee.com でご確認ください)

まだツアーというより、営業活動も兼ねてきてたんだなという時期。1月に来てる。
ご本人たちもおっしゃってた、営業所で朝礼参加、そして冬のラジオ体操。
それから徐々にコンサート本数が増えて、道内で開催される本数が増えてきて、
札幌だけだったのが、他の都市、小さな街、
年によっては、ツアーの始まりの方で札幌、中盤で地方都市を複数、終盤に札幌なんてこともあった。
道内以外の人には道内の町の名前は馴染みも薄いし、読みにくいところも多くあるのに、ルビなしでサラッと読んでくれたり、どの辺りにある町なのか把握されてるのはこの時代にたくさん来てくれたからだよね。

動員がどんどん増えて、地方都市に足を伸ばす頻度は下がってきたけど、厚生年金会館で複数日開催してくれたり、武道館の後年末ラストに札幌に来てくれたり。
春ツアー来れなければ、秋ツアーの頭の方と中盤以降に組まれてたり。
春と秋(時には夏や冬に掛かる時期にも)に複数日開催してくれてた時期、全体の本数もピークの頃だね。

そしてある時期から全体のコンサート本数の増加傾向が止まる。
最初はBEAT BOYSやソロコンサートが終われば戻るのかなと思っていたが、
一定の数からは増えなくなった。
それでも年間70本近くあったのだから十分すぎる本数だね。
春と秋に来てくれてはいたのだけど、どちらも1公演づつ。
この時代がかなり続いて。
気付いたら年間の本数も減ってた。

そしてほぼ今の年間本数に近付いてきた頃、春または秋のみ(だいたいは春のみに)の開催が多くなった。
年1回、七夕状態でずっと行くのかと思いきや。
40周年(還暦でもあるが)の辺りから、春ツアーのみの来てくれるのは変わらないけれど、札幌プラス1都市で開催してくれるようになった。
あの頃のように、初めての所を回ってくれるようになった。
春の方が日程組みやすいもんね。(春は3か月、秋は2か月を期間としている)

おおよそそんな感じの流れだったと思う。
一つ理解できたことは、決して蔑ろになんかしてるわけじゃないってこと。
今の本数を考えれば、小さな町を巡ってくれること自体すごく贅沢なことだと思ってしまう。
地方の小さな会館。会館の広さで舞台装置規模が縮小になったとしても質は一切落とさない。ということは、興行として考えると決して潤うものではないし、3人を含めた全スタッフにも負担がかかる。
それでも、初めてALFEEの音楽を聴く人がいるなら、と巡ってくれる。


ちょっと脱線させて。

私が元々田舎の子だからかもしれないけれど、有名な人、憧れの人に会えるなんて考えたことなかったの。

田舎にもね、たまに有名な人は来るよ?
演歌や民謡歌手の人、モノマネタレントさんとか。
町中の人が見に行くよね。
たださ、エレキギター爆音で弾いて、夢追いかけようぜって言ってくれる人が来たことはなかったよ。
都会にいなきゃ見に行くこともできないんだって、ハナから諦めてた。
だから1988年秋、釧路に来てくれるんだ、釧路まで行けたら会えるんだって思った時、どうやってチケットを買うのかも知らない中学生が電話を掛け、現金書留なる初めての単語に目を白黒させ、親に頼み込み、申込を行い、学校を休んで都市間バスに乗って釧路まで行って参加した価値ってあれから35年経ってもプライスレスなのよ。


話戻すね。

どういう経緯でコンサート全体の本数が明らかに減るよりも早くから道内の本数が減ったのかは分かんない。
イベンターさんがどの時点かから変更してるのが影響してるのか、動員数が影響してるのか、金銭的なことなのか、どれでもないのか。
全体の本数が減るということは、どこかの地域に行かなくなる、日数が減るよね。それに該当したんじゃないかと思った。
減らさないでということは、3人に以前の本数でツアー回ってということだもの。
要求できる?

それでもね、、春に1本、秋に1本やっていたのが、春に2本となったととらえると、寂しいけれど、ちょっとだけ寂しさが軽減される気がするんだよ。
今も初めての地域を回ってくれて。
私らファンであり、宣伝マンだもの。来てくれないってシュンとするより、
3人面白いしかっこいいし素敵なんですよって入り口まで案内したいね。

もちろん秋ツアー、北海道に来てほしい気持ちは持ってる。
代わりばんこでいいので、どこかの地域の1公演分を回してくれる年を作ってくださいという気持ちでね。


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