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別れはいつも突然

この真夏に桜の画像。
十分に異質。
そして、またしても楽しい話じゃない。

桜吹雪で見送ってあげようと思った。
春早生まれの彼。
私の懺悔。
(あちこち奥歯にモノが挟まったような文になってます。彼の個人的な情報です。どこまで書いていいのか、かといって彼の情報に何も触れずには書くことができません。イライラさせてしまうかもしれないけれど、お許しください。)


数日前のこと。
なぜだか調べたくなった、かつて所属していた研究室のメンバーが
今どこで何をしているのか。
研究者というのは基本的にググれる存在で、
いつからいつまでどこの研究機関にいて、その間に得た競争的資金はこれこれで…と
オープンな情報になっている。

「あ、この先生は〇〇にいて研究を続けているんだな🧐」と楽しく見ていて、
彼のこともググろうとしたその時、不思議な感覚に見舞わられる。
名前が急に思い出せない。一文字たりとも。
よくある物忘れのように、喉まで出かかってるとか、顔は思い出せるのにとか、
そんな感じじゃなく、何かで隠されているかのように全く何も出てこなくなった。
はじめての体験。完全じゃなくても記憶のフックに何か引っかかってるはずなのに、
何か断片くらいは思い出せるはずなのに。

ここからは彼がどこで何をしてるかじゃなく、彼の名前を思い出すための検索に変わる。名前が載ってそうな論文を探して数分ー無事見つかる。
改めて名前を検索窓に入力し探してみる。
研究機関の名前や彼が取得した競争的研究資金の履歴が見つかった。
現在在籍していると踏んだ機関のホームページを見てみた。
確かに彼の顔写真はあった。
でも、なんていうんだろう、彼なんだけど彼じゃないような。。
なんとも言えない気持ちが湧いてきて。
いやいや、と自分を諫める。
その研究室を離れて10年以上、最後に会ってからでも8年くらいは経ってるし、
それだけの時間が流れれば、外見だって変わるさと。
第一、お前だって変わってるだろと自分に突っ込む。

そして、現在の所属と職位はどうなっているのだろうと見ても
イマイチはっきりしない。
研究者あるあるで、研究機関=所属とは限らない。
研究内容や研究資金の履歴からあたりをつけて探してみるのだけど、
他に所属する研究室は見つからなかった。
・・・とすると、今見ている所が所属。。。
研究はやれているのかもしれないけれど、これは望んだ結果なのだろうか。。

[私が知っているのは、彼は社会人を経て大学院に入り、その後研究を技術面でサポートする職員として私がいた研究室にやって来た。私が研究室を離れて数年後、職員としてではなく研究者としてのキャリアをスタートさせたということ(かなり掻い摘んでいるけれど)]

彼は環境に翻弄されたんじゃないかと思った。
そうでなければ、このような状態にならないんじゃないかと。
経歴を見たときに、その考えが100%間違いとは言えないんだなと。
もちろん私の推測に過ぎないのだけれど。

あの時に会うなり、仲立ちをしてもらって連絡つけてもらうなり、
いや直接連絡取ることはできたのだから連絡すればよかったと思った。
私がたまたま別の研究室に短期間お手伝いに行ってた時、メーカーの営業マンから彼の環境が大きく波打っていることを教えてもらった。
その時点で連絡取ってももう遅かったのかもしれないけれど、ガス抜きくらいにはなったんじゃないかと思う。
もう何を言っても後の祭りだけど。

研究機関で研究をするための資金は獲得してるけど、ホームページに載ってる研究内容とはずいぶん違うのにどうしてるんだろうと思いながら、検索ページに戻った。
研究機関のホームページや研究者としての研究経歴のページが並んでいる下のほうに
さっきは目に止まらなかったけれど、訃報のURLがあった。
同姓同名の方なんだな、ご年配の方なのかなと思って、そのままスルーして他の情報を探そうとスクロールしていったら、また訃報のURLが。
ちょっと見てみるかと、同じ名前の人って思ったよりも多くいるモノなんだなーと、ただの野次馬根性でクリックしたの。


・・・・・・・・名前が一緒、漢字も間違いなく一緒、年齢も一緒、住所は確信持てなかったけど、一緒に働いてた時に住所変更処理を私がしていて、あれから引っ越しをしていなければ確かこの辺り・・・・・・・・
こんなに合致してる人って近くに住んでることあるだろうか…?
どうしたら違うって証明できるんだろう…
誰か知り合いはいないだろうか、そうすれば、慌て者だと笑ってくれるんじゃないかと必死に思い出そうとしていた。


連絡を取らなくなって10年、私がいたその研究室はもう存在しなく(彼の環境が波打った一つの要素である)、研究室関連の人はみんな散り散りになり、今もつながりのある彼と私の共通の知人はいない。
唯一知ってるのは、彼のメールアドレスだけ。それだって、潰しているかもしれないし、存在しているとしても、私のことを覚えているのか、覚えていたとしてもスパムだと思われないか、第一なんてメールしたらいいんだろう?「生きてますよね?」なんて書けるわけないじゃん!
そして考えたくもないけれど、メールが潰れてて届かないなら仕方がない、無視ならまだいい、ご家族から返信が来てしまったらいよいよどうしたらいいんだろう。。





あなただったらどうしますか?
メール送りますか?




私は結論をはっきり出さないことに。
つまりメールは出さない。
私が本当に慌て者ならば、またいつか会うなり、ネットで活躍を知ることもできるだろう。
しかし、結論が出るように行動して、結果がそうであった場合。
私の性格上、悲しみながらも原因を知りたくなる。
環境が波うってから、どんな様子だったか、どんな話をしていたのか。
彼のご家族と面識は全くないにもかかわらず、急にそんなこと訊いたらどんな気持ちになるのか。
悲しみの真っ只中に。


そして、私自身も受け止められないのではないかと思ってる。
彼は本当のところどう思っていたのかは分からないけれど、ただ一緒に働いてた人くらいの関係性ではなかったから。
一緒に働いたの2年間、彼とは年齢は離れていたけれど、色々なことを話し合ったり、相談したり。バカ話も、趣味の話も、将来のことや悩みなんかも話したなと。
友達とも違うし、どう定義づけていいのか分からないけど、互いの幸せを願っていたと思うんだ。


「ずっと会わなくとも、関係を切ろうとしない限り、関係は続く」と彼は言っていた。
私の望みは、関係を続けること。
この先の人生でクロスすることはなくとも、これまで通り幸せを願って、自分の人生を生きていくことで、関係は維持されるのならば。

気にならないといえば嘘になるけれど。
幸いにして今のところ泣けない。
量子力学では別次元にも自分がいるらしい。
そっちの世界で研究を存分にしてくれたらいいさ。


そう言いつつも、
会いたいと思った時には会う算段をつけた方がいいし、
少しでも伝えたいことは伝えたほうがいい。
どれが最後になるのか分からないから。
特に、感謝と謝罪だけはまとめることなく、小まめに伝えたほうがいい。
今、伝えたいのはそれだけだから。

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