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短編小説『わたしは花瓶。呪文のように言い聞かせる。』第06話/最終話 ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 やがて男は鼻から舌先を離すと、ワタシをベッドの上で四つんばいにさせた。そして手の平ではなく、肘で体を支えるように命じた。結果ワタシは、高々とお尻を突き上げる格好で四つんばいになった。
 男は壁の鏡に頭を向けるように命令すると、自分は後方の椅子に座った。男の位置からだと、高くかかげたお尻の穴が丸見えになってしまう。そう思ったらお尻にむずがゆさを感じて思わず身をよじってしまった。
「動くなと言っただろ」
 静かに言うと男は立ち上がり、大股でベッドに歩み寄ってくる。そして大きく拳を振りあげると、渾身の力でお尻の左側を殴りつけた。肉のぶつかる鈍い音が、骨を伝わって頭まで響いた。思わずうめき声がもれる。重い痛みが背筋を駆けぬけた。
「お前は……そうだな……」
 男が部屋の中を見回す。そして造花が生けらた花瓶で視線が止まった。
「そうだ、お前は花瓶だ。花瓶としてそこでじっとしてろ」
 花瓶から薔薇の造花を一本手に取ると、男は枝の長さを整えてワタシのお尻にゆっくりと挿し入れた。そして満足げに微笑んだかと思うと、バッグからノートPCを取り出して椅子に座った。背を向けてPCの画面をにらんでいる。男がキーを打つ音だけが、部屋の中に響きつづけた。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 花瓶としてじっとしていろと男は言った。
 言われたとおりに、お尻に薔薇を生けた花瓶として在ろうと思ったのだけれど、何をどうすればよいのか解らなかった。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 同じ姿勢を続けているせいで、体中がきしんでいる。
 体重を支える体の節々が痛い。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 鼻血と男の唾液にまみれた口元を、ぬぐうことすら許されなかった。
 血液が乾いて、皮膚が引きつれている。唾液の匂いは、乾いてなお口元から漂っている。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 引っぱたかれた両の頬と、力いっぱい殴られたお尻の左側が、熱を持って痺れている。
 これは痛みなのだろうか……よく判らない。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 お尻に入れられた薔薇の違和感が、どうしても気になってしまう。
 違和感に意識が向くたびに、自らの意思とは関係なくお尻がヒクヒクと反応した。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 お尻の穴が勝手に、薔薇を押し出そうとする。
 少しづつ少しづつ排泄されていく薔薇は、やがて音を立ててベッドの上に落ちた。男も気づいているはずなのに、一瞥すらせずに相変わらずPCの画面をにらんでいる。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 ――ワタシは花瓶。呪文のように言い聞かせる。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。もう何時間も経ってしまったような気がするし、まだ数分しか経っていないような気もする。ベッドに突いている肘と膝が、しびれて感覚を失い始めている。手足とベッドの境界はどんどん曖昧になっていき、ついにはどこからがベッドで、どこからがワタシの体なのか判らなくなってしまった。ワタシの体が、ワタシではなくなってしまう感覚……ベッドと融合してしまったワタシは、きっと花瓶になりつつあるのだと思って嬉しかった。
 正面の鏡を見れば、鼻から下を赤黒く汚したままの女が間抜けな表情をさらしていた。惨めな姿だとは思ったのだけれど自分の姿ではないように感じられて、世の中には哀れな女も居るものだと可哀想に思った。
 そうか、花瓶だ。
 鏡の中で間抜け面をして尻を突き出している哀れな女……あれは花瓶だ。
 股の間に赤い薔薇が落ちている。花瓶が支えきれなかった薔薇だ。薔薇一輪も支えきれない不出来な花瓶を、あの男はどうするだろうか。お仕置きに殴られるのなら、それも良いと思った。あの男ならば、ワタシの意思とは関係なく暴力をふるい続けてくれるだろう。
 けれども、もっと良いことを思いついてしまった。役に立たない花瓶なんて捨て置いて、気にもかけずに部屋を出ていってくれれば最高だ。きっとこの先もずっと、ワタシは役に立たない花瓶としてこのベッドの上に在りつづけるのだろう。
「花瓶がものを考えるのか?」
 不意に問われて、我にかえった。
 顔を上げて鏡越しに見てみれば、椅子をこちらに向けた男がワタシの股間を見つめていた。
「どうして花瓶が、股間を濡らしているんだ」
 言われて気づいた。白濁した液体が糸を引きながら股間からしたたり落ちて、薇薔の花を濡らしていた。
 花瓶のままでいた方がいいのか、人に戻って応えた方がいいのか判らず、無言のままお尻を突き出し続けた。
「言いつけを守れなかった罰だ。お前のことはもう、花瓶として扱わない」
 告げられると同時に、悲しみがワタシを襲った。
 けれどもそんな感情なんてお構いなしに、男はワタシのお尻に顔をうずめる。谷をはう舌先の感触がなまめかしく、思わず声をあげてしまった。鼻の穴を舐めたときと同じように器用にすぼべられた舌先が、固く閉ざされたお尻の穴へと侵入を試みる。そのたびにワタシの体が勝手に反応してしまい、さらに固く舌先の侵入をこばむ。男はワタシのお尻を押し広げると、ヒダの一本一本を舐めあげるように、丁寧に舌先をはわせていった。
 その時のワタシの意識の大半はまだ花瓶だったから花瓶がお尻を舐められてあえぎ声をだすのは何だか違うような気がして、意識をどこか別のところに飛ばしてしまおうと考えていた。考えた末に思い至ったのは、ワタシがいつも夜景を楽しんでいる公園だった。
 闇の中で絡み合うカップルに混じって、全裸のワタシがいつものベンチで四つんばいになってお尻を高く掲げている。もちろんワタシは花瓶だからそんな格好で公園にたたずんでいたって、誰も気に留めたりはしない。でもたまには物好きなカップルが刺激を求めて、花瓶のお尻を舐めたり花瓶にいろんなものを舐めさせたり……そんな事くらいは起こるかもしれない。
 男にお尻を舐められながら、そんな妄想を想い描いていた。公衆の面前で全裸で恥ずかしい格好をさらしながら、誰も気にすらしてくれない。誰のことを気にするでもなく、誰に気にされるでもなく、ただそこに在るだけの存在……そんな透明な存在になることができたら、どんなに素敵だろうと思った。
 不意に男の指先が、すっかり緊張がほぐれたお尻に滑り込んできた。異物感に体がこわばり、意識も少しだけ現実に引き戻されてしまう。そのとき虚ろな視界に映ったものは、たわむれるように舞う二匹の蝶だった。サキとワタシをつなぐ唯一のよすが……不意にワタシはサキになりたかったことを思い出す。

 そうだ、ワタシはサキになりたかったのだ。

 サキ、ワタシはアナタになりたい。

 ワタシがアナタになるための、呪文がほしい……。

 ワタシが花瓶と化してたたずむ夜の公園に、ライブ帰りのアナタがやってくる。
 完全に公園の一部になっているワタシはアナタの目に留まることなんてないはずなんだけど、それでもアナタはワタシを見つけて隣に腰をおろす。その時のアナタはなぜか裸であの攻撃的な音をかなでるギターを抱えていて、ワタシはもちろん花瓶で、それなのにアナタはワタシを激しく求めて抱いたり唾を吐きかけたりギザギザの音がでるギターで殴ったりしてくれるのだ。周囲のカップルたちが物珍しげにアナタと花瓶のセックスを見物するために集まってきて沢山の人たちに見つめられながらワタシはアナタの指で何度も何度も絶頂へと導かれてはずかしめられてさげすまれて気絶するまでギターで殴られてお互い汗まみれで血まみれの肌を重ねて粘液と粘液をこすり合わせて溶け合いながら一つになっていく。
 二人の間に存在するベタベタとした汗なのか涎なのか血液なのか愛液なのか判らない液体に溶け合ってアナタとワタシは一つに混じり合っていくのだけれど、沢山の変態たちに見守られながら一つに混じり合っていくのだけれど、そんなのはしょせん幻でしかなくてどんなに求めたって二人は別々のままだし求めれば求めるほどに別の存在であることを強く思い知らされて絶望してしまう。そのことが嫌で嫌でたまらなくなって泣き叫ぼうとしているワタシの右手にはいつの間にか黄色いオフファのカッターナイフが握られていて、一つになることができない悲しみから必死で逃れようとしているのだけれど逃れきることができないワタシは、何とかしてそこから逃れようとしてその場で手首を切りさいてしまうのだけれど、深くえぐった傷口から流れ出しす血液が二人を濡らして肌をこすり合わせるたびに赤黒く染まっていく様子が思いのほか綺麗だったからこの方法だったらもしかするとアナタとワタシが一つになれるんじゃないかとまたもや希望を胸にいだいてしまう。
 ワタシはアナタに請い願う。
「殺して」
 ワタシがアナタになるための呪文。
 カッターナイフの刃をいっぱいに出してアナタの手に握らせて首筋に当てがったのだけれどアナタは首を横に振るばかりでワタシの願いを聞き入れてなんかくれなくて、どうしてこんなにも一つになりたいと懇願しているのに叶えてくれないのだろうと失意のドン底まで落ちていくときの落下速度を利用してワタシはアナタの手をつかんでカッターナイフの刃先を自らの首筋に叩きつける。するとさっきまでとはまるで違う鮮やかな紅の色が首筋から吹き出してアナタとワタシを真紅に染め上げていく。その様子がとても綺麗だと思って見ほれていると鮮やかさはすぐに赤黒く色あせてしまって、ワタシはまた失敗してしまったのだと思い知って再び失意の底へとおちていってしまう。
 切り裂いたばかりの首筋の大きな傷にアナタが舌をはわせると今までに感じたことのないほど大きな快感が押し寄せてきてワタシは馬鹿になってしまったんじゃないかと思うほど恥ずかしい声をあげ続けてしまうのだけれど、アナタの舌の動きはさらに激しさを増すばかりで快感の波はますます大きくなるばかりでワタシの手からうばったカッターナイフの刃を引っ込めて傷口にゆっくりと挿しいれられた時にはもう快感に耐えきれなくなってしまって絶叫してしまって白目をむいてしまって涎をたらしてしまって気を失ってしまった。気絶したワタシからカッターナイフを抜き去るとアナタは傷口に唇をよせて血液とか体液を吸い上げて喉をならしながら飲みつづけるものだから、ワタシの体は次第に干からびるように小さくしぼんでしまってついにはカラカラに乾いたミイラみたいになってしまう。ワタシを吸いつくしたアナタは手の甲で口元をぬぐうと不意に大きな口を開け、出がらしになった干物のようなワタシの体を頭からバリバリと音を立てて食べつくしてくれるのだ。

 そのころ花瓶になり損ねたワタシは、男にお尻を突かれながらイヤラシイあえぎ声をあげ続けていた。

(了)

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