軽率に推していく

禍が本格化して普段から大して真剣に観ていないテレビが本当につまらなくなった四月、友人らがハマっているソシャゲに手を出した。集中して何かに取り組むことがほぼなくなってから三年、片手間で(そして暗い寝室でも)楽しめるコンテンツの沼は深く、三十二歳にして初めて自主的にアニメイトに足を運ぶなどして新しい自分を面白がっている(そのうちアニメイトカフェやらナンジャタウンイベントデビューも果たしたい)。

バンドにしろアイドルにしろ、音楽を聴いたりライブに行ったりする生活はもうかなり長くなるが、私は推しを簡単に決められない。推す=愛すると公言することに責任を感じるところがどうにもあって、推しと言うからにはちゃんと知らないといけない気がしてしまう。軽率に推せない。このことは割とずっと考えていて結論は今も出ないけれど、推しと決めてしまうことで他の人を好きになる可能性を狭めてしまうこととかそもそも決められないとかそういうのがある気がしないでもない。だからと言っていいのか微妙な話ではあるけれど、結婚という制度によって夫婦となった夫とか、確実に私の股から出てきた子どもを愛する的な方面のことは私の性格に合っていると思う。

自覚している中で最古にして最大の推しである最近結婚したバンドマンのことを考えると、私にとって推し=ガチ恋(今はリアコと言うらしいね)なんですよ根本的に。仕事で若い人と雑談する機会があって、令和を生きる若者は好きな人と推しはそもそも違うと言われたのですよ今日。社内に推しがいると言われて、それは好きな人ではないの?と訊くと好きになった時点で推しではなくなるとのこと。推しは関わりたいとかじゃなくてただ存在するだけで尊い、いつまでも見ていたい存在らしい。わからなくもないけどやっぱり謎。昭和生まれの私はいつでも推しと付き合いたい。そう言ったらあーリアコですねって一笑された。

いつでも推しに触れたいし付き合いたいので、次元の違う方々を好きになるのは難しい。現在ハマっているジャンルは二次元なので正直最初はこの中から誰かを好きだと決めなければならないみたいな義務感があったのは事実、結局ちゃんと堕ちたけど。二次元の推しは次元違いではあるけれど人として好きで、しかし傾向としてやはり現実的な人間というか、壁走ったり謎の組織出身だったりはしない。実に自分らしいなーと思う。

ところが最近?でもないけど、新しい推しができた。推しジャンルは所謂中の人という方々がいるわけで、推しの中の人が出るというラジオを聴いたときにその相方として出ていた別キャラの声優さんの声と喋りを聴いて、この人好きかもと思ってWikipediaで調べたら既婚者で地味にショックを受けたのが最初、歌を聴いてもライブ映像を観ても気になる気持ちがどんどん大きくなっていって、気付いたら超好きになってた。紙に名前書いてニヤニヤしたりしそうなくらい(まだしてない)。本当に好きすぎて友達にLINEしたり会ったら気持ち悪い顔で話したり遂には?夫にもしゃべってしまった。今のところただ好きでしんどいだけなのだけれど、そのうちCD買ったり雑誌買ったりバスツアー行ったりするかもしれない。この歳になってとか結婚してから好きな人ができるとは思いもしなかったなー。

このあいだのパーティーで男性の推しは切羽詰まった状況が重ならないとできないみたいな話をした。この話は春に開催されたオンライン飲み会でも話題になっていたことで、その頃私は育休中でぬるぬる日々をやり過ごしていたのでソシャゲは始めていたけどまだそこまでの感じではなく。本格的に癒されないと日々生活できないレベルになると男性の推しができるという話で、現に仕事復帰した今、推しへの気持ちが爆速しているわけで。毎日片道一時間の車通勤は癒しの推し時間となっていて、大音量で推しの歌声とかアホな喋りとかを聴きながら仕事に向かう。生きてる感じする。

この気持ちがどうなっていくかは全然予測できないし私の推し心は重めの自覚あるけど、新しいジャンルとか人とか、軽率に推せる人生でありたい。そして友人たちと推しについてわいわい喋り続けたいなー!

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