見出し画像

見つからない…それでも答えを探してみる

昨年(2022年)1月に、こんな記事をアップしました。

「牛のゲップ問題」がやたらと目に付くようになった頃で、いたたまれなくなって書いたんです。

この頃は、自分の考えや気持ちをnoteという場でどこまでさらけ出すか、悩み、おっかなびっくり書いていた時期。いま読み返しても、かなり予防線を張ってるなあ…と。

noteに綴るときは未だに悩みますし、相変わらず緊張もしますが、それなり度胸もつきました。もう予防線を張らずに、心の中にあるものを一度吐き出してみようかなと思って。
なんかもう…昨今報道されている、狂気じみた畜産をめぐる状況にいよいよ我慢ならなくなったんです。声を大にして言いたい。と、その前に…


まずは、前掲記事で伝えたかったこの部分に↓もう少し説明を加えてみます。

牛は本来、人が食べることができない草を食べ、フンは堆肥となり土を豊かにしてくれる。共生できる。頼もしくて愛おしい、ずっと仲良く暮らせる動物なんです。

『牛たちのいる風景』より

牛と人間の食べ物は競合しないんですよ。牛は本来草を食べる動物だからです。胃の中(第1胃:ルーメン)には無数の微生物が棲んでいて、それらが繊維を発酵・分解しエネルギー源に変換。そして、牛がそれを利用する。すごい仕組みだと思いませんか?私はそれを知ったとき感動しました。

では、とうもろこしや大豆といった濃厚飼料をあげるのは、なぜなのか?乳牛であれば乳量が多くなる、肉牛であれば成長がはやくなるなど、人間の都合によるところが大きいんです。

もちろん、牛たち喜びますよ。濃厚飼料は牛にとっての「主菜」と説明している資料をよく見かけますが(主食は草で)、私の中では嗜好品ですかね。あげ過ぎると病気になってしまうんですよ。前述の微生物の調子が崩れてしまうからです。


牛は、温室効果ガスの件で問題視されがちですが、昨今の世の中の動きを見ていると、私は非常に疑問を感じます。疑念というか。ゲップにメタンが含まれているというのは周知の事実だけれど、、、

それは言いがかりで、新たなお金儲けの場を作るために既存の産業が邪魔になっただけなんじゃないんでしょうかね。人口減少社会に入っている日本において、持続可能という観点からいえば、循環型農業を実現できる牛とは、これからも共に歩んでいけるはずなんですよ。

そして、次の2点。まず叫びたい。

馬鹿なこと言ってんじゃないよ!

馬鹿なことやってんじゃないよ!


① カレント・アクセスは義務じゃないのに国内の生乳を廃棄し、生産抑制のために牛を殺処分って…本当に本当に狂ってますよ。

② 鶏たちも、ほんともう…言葉が出ないです。山内先生、こうおっしゃっているんですよね(赤枠)。

少し前の(2023年1月)記事なのですが、コロナについてもなるほどと思うことが書かれています。
テーマがSDGsだったので、ちょっとアレですが…

💢💢💢💢💢

ふぅ………

私、畜産の話題に触れるの本当は怖いんですよね…語る資格がないというか。語ってますけどね。。。ちょっとそのあたりをお話しさせてください。


私の子供時代の夢は獣医さんになることでした。長くなってしまうので具体的なエピソードは省略しますが、野良猫を助けたかったんですね。
私がネコちゃんたちを守る!怪我や病気を治せるようにもなりたい!と、獣医師を志したのは自然な流れだったように思います。


ところが、かくかくしかじかで畜産学科に。最初こそ悩んだものの、学校へ行けば動物がいる。牛やヤギ、羊、豚、馬たちがいて、猫も構内で暮らしていたり、なんかもうそれだけで十分満たされてしまったんですよね。

とはいえ、獣医さんになるというのは長い間抱き続けた夢でしたから、獣医学科の人たちと交流が生まれると刺激になって、やはりもう一度自分もという気持ちになりました。その一方で、畜産とはまた違う厳しい現実を目の当たりにし、自分は乗り越えられないだろうという気持ちにも。後者の気持ちが大きくなったとき、自然と諦める決心がつきました。


畜産でも、もちろんつらいことはありましたが、学内では概ね可愛い可愛いで過ごせていた部分もあって。本当にもうダメだと思ったのは、むしろ卒業後かもしれません。勤めた農業関連の会社で現場に立ったときです。


具体的に書くのは控えますが、“日本では”ふつうと感じる飼育方法だと思います。もちろん虐待が行われているわけでもない。でも、私は「かわいそう」と思ってしまった。

かわいそうって自分の中ではすごく嫌な言葉で、使った記憶はほとんどないのですが、この時はすんなり浮かんできました。

たぶん、理想と現実の乖離が大きすぎたからだと思うんです。大学では動物福祉の観点からもいろいろ学びましたが、私はそこを飛び越えて“我が家のペット的な感覚“で考えてしまう。

たとえば、牛であれば広々とした牧草地で放牧するというのは最低条件で、食べ物は無農薬・無化学肥料で育てた牧草、さらに寿命を全うしてもらいたいと考えてしまうわけです。


実際、こういうふうに育てていらっしゃる牧場もあるんですよ(もしくは、これに近いカタチで)。でも、自分には到底できないような大変なことで。

そんな理想を勝手に思い描き、無意識だとしてもそれと比べてかわいそうと思ってしまうのは…違いますよね。いやらしいなと自覚しているのですが、なかなか拭い去ることもできなくて。


産業動物に限らず、動物のことに関してはすごく高い理想を描いてしまうんです。そして、自分にできることは何だろうと考えて、でも、見つからなくて、また考えての繰り返し。

私は、動物と向き合うことは人間と向き合うよりも難しいと感じています。生半可な気持ちでは向き合えない。一歩間違えばただのエゴ。その度合いが人間よりも大きいと思うんです。

今日も、答え探しは続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?