【先祖】珍しい母の名字の由来をガチで調べてみた【家系】
こんにちは。Karen Feldです。
はじめましての方ははじめまして。普段は大学生をやりながら、このnoteやツクナビでネタ記事を書いたり俳句を詠んだりしております。
さて、今回は以前から少しずつTwitterで話していた、母の旧姓に関する調査の一部始終をまとめていこうと思います。母の記憶や家紋などの少ない手がかりを元に、本とインターネットを駆使してなんとか名字の起源を明らかにできないか頑張ってみました。
それでは、本編へどうぞ。
はじめに
調査のきっかけ
驚くなかれ、私がこの調査を始めようと思ったのはネットサーフィンがきっかけです。
というのも数か月前、私は母の実家周辺がピンポイントでテーマになった民話をたまたまネットで見つけました。半信半疑で母に見せてみると、曾祖母からよく聞かされていた話と全く同じだと言います。それ以降「もしかしたらあの民話とうちって関係あるのかな」「もっとご先祖様のことを知りたいな」と強く思うようになりました。そこで、手始めに母の名字について調べてみることにしたのです。
母の名字(旧姓)について
まず、今回の主役である母の名字について説明します。この紐崗という名字はそこそこ珍しいもので、「全国にたった数百人しかいない地名姓」(名字由来net様の要約)だそうです。
ちなみに、母は岡山県のX町出身で、彼女の実家も数百年前からずっとそこにあります。X町には他にも紐崗姓の方がたくさんいるのですが、紐崗と紐岡の表記揺れがあります。
また、地名姓とのことですが、岡山県には「紐崗/紐岡」もしくはこれと同じ読みの地名は存在しません。関係があるかどうか分かりませんが、「紐岡」の方なら神奈川県に地名として存在することが分かっています。
そして、これ以外の情報はほとんどありません。
色々な親戚に聞いてみても、詳細な言い伝えの類を知っている人は皆無でした。
母によると、曽祖父は「家を守る」ことをかなり重要視していて、代々伝わる家系の諸々をしっかり知っている様子だったとのことです。一方で、祖父(一人っ子)はそういった話に全く興味がなく、母も私も家に関する話を彼から一回も聞いたことがありません。
それゆえ、曽祖父は孫の代に跡継ぎの男の子か婿ができたら、自分が祖父に代わり家の歴史などを語り伝えるつもりだったそうです。しかし、祖父の子どもは全員女の子だった上、みんな長男の男性と結婚したのでそれも叶わなかったと思われます。
家紋について
これがまた謎の模様なのです。
この模様はご先祖様のお墓に彫ってあったり、仏間で高祖父母の遺影と共に飾られたりしているので、家紋であることはほぼ間違いないでしょう。画像検索をしても何も情報を得られませんでしたが、調べ甲斐はありそうです。
ここでNext Conan's HINTです。曽祖父が生前、母に語った話によると、うちにはもう一つの家紋(割り木瓜)が存在するらしいのです。
私はそれを聞いて「絶対重要な情報で草」と思いました。推理小説によくある「終盤の謎解き大詰めターンまで覚えていると得するタイプの手がかり」と同じ匂いがします。こちらの家紋は比較的調べやすそうですね。
その他の情報
母の実家は、周辺地域を代表して代々摩利支天様が祀られている祠を管理しています。はっきりとした数字は覚えていませんが、その祠の礎石に刻まれた元号は数百年前のものでした。
(東京在住のため一次情報にアクセスする機会がほとんどなく、あやふやな思い出話が多いことをお許しください)
「岡山県」「摩利支天様」で歴史に詳しい方はもうピンと来たでしょう。この2つのワードに共通する武将がいます。毛利元就です※。
以上のことから、ひとまず母の家は毛利家に関係のある武士の家系だと考えて良いでしょう。ちょっと荒っぽい推理なので、一応その可能性が高いだけで確定ではないことを強調しておきます。
仮説
紐崗は神奈川県で紐岡として興ったと考えられます。その後、彼らは何らかのきっかけで岡山県へ移住します。そこで一族が繁栄していくにつれ、同じ名字間でも何かを区別する必要が生じたため、岡を崗に変えた紐崗が誕生したのではないでしょうか。
調査方法
誰に対してか分からない建前としてそれっぽい仮説を立てたところで調査へGO!
調査方法は「本を読む」の一点賭け。なぜなら、前述の通りネットで調べても全く情報が出てこなかったので……人類之知之結晶是図書館也。
とは言え、無鉄砲に本を漁るのは時間の無駄です。前もって、過去に同じような調査をしていらっしゃった方々のブログやまとめ記事を読み、参考とする文献を2冊ピックアップしました。
①太田亮『姓氏家系大辞典』
②太田亮、丹羽基二『新編 姓氏家系辞書』
そして来るXデー(午後の授業が何者かの魔力で全部休講になった日←ガチ)、「紐崗」の起源を探るべく、私はアマゾンの奥地 a.k.a. 筑波大学の中央図書館へと足を踏み入れたのだった…………
調査結果
・地名姓としての「紐岡」の起源は2つある。
①N県の北部(今も紐岡という地名あり)
②K県の西部(〃)
どちらの地域も、O県に対して糸魚川-静岡構造線を挟んだ反対側にあります。なんとなくお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、上記の地名の存在は、事前情報として本調査の前から知っていました。
ただし、本に書いてあるのは既出乙ばかりではありません。該当箇所を読み進めていて一番気になったのが、②で興った「紐岡」の家紋。なんと「丸に横木瓜」なのだそうです。うちの家紋の一つは「割り木瓜」なので……これはかなり重要な手がかりな気がします。一方、①で興った「紐岡」の家紋は載っていませんでした。
・O県の「紐岡」の起源は清水氏族にある。
今回の大本命、O県の「紐岡」については、やや断片的ではあるものの詳しめの説明が載っていました。
その内容を要約すると、「O県の某城にいた清水○○の5代孫が『紐岡』を名乗っていたのが古の文献に記されている。O県における紐岡氏の始まりは、彼のひ孫がO県のT町(O町から直線距離で約50km)に住み始めたことにある」とのこと。
おわりに
考察
さて、考察よりかはまとめと称した方が正しいような文章を書いていきます。
まず、母の名字「紐崗」の起源は、家紋の種類(木瓜紋)から考えてK県で興った「紐岡」にあるでしょう。
続いて、O県で「紐岡」が歩んできた歴史ですが、最も気になるのは「清水○○の5代孫が唐突に『紐岡』を名乗り始めた経緯」です。本には5代孫の名前もはっきり載っていたので、急遽その場で人名辞典を探して調べてみました。「これでワイも名探偵の仲間入りや!」とドヤ顔で図書館を闊歩したのも束の間、残念ながら彼に関する有力な手掛かりは得られませんでした。
仕方がないので今から妄想に近い推測をします。以下思いつく理由3選。
・彼の母親が清水の血筋で父親が「紐岡」だった←ヤヤアリエソー
・5代孫ニキが「紐岡」に婿入りした←ソコソコアリエソー
・戦などで清水家がなんらかの危機に陥り、親戚筋の名字に変えざるを得なかった←フツニアリエソー
そして、時間が経って漢字の表記揺れが起こり、「紐崗」が出現したのではないでしょうか。Q.E.D.
残る謎
名字の由来は、これでなんとなく分かった気がします。しかし、うちに存在するもう一つの謎家紋の正体は未だに何も分かっていません。さらに言えば、先ほどサラっと流した漢字(「崗」と「岡」)の違いも詳しいことは分かりませんでした。
謎家紋の意味や元となった物(漢字?)、1つの家に家紋が2つある理由などが解明される日は来るのでしょうか。漢字に関しても同様です。「紐崗」においては、難しい漢字から簡単な漢字へのシフトではなく、簡単な漢字から難しい漢字へのシフトが起こっているので、私の知識ではそれっぽい考察ができません。もしかしたら大層な理由なんてないのかもしれない。
そんなこんなで調査はここで終わらずに、これからもぼちぼち続けていくと思います。
感想
今回の調査は思いのほか収穫が多くて驚きました。大ネット時代においてもやはり本は偉大。ぼんやりではありますがルーツを突き止められましたし、それを親や親戚に報告したら結構喜んでくれて嬉しかったです。
それから、母の旧姓はバレたら個人を特定されるほどの激レアではないものの、なんだか不安だったので出身地域や人名も含めてできる限りぼかしてみました。きっと地元の方にはバレていると思います()
(おわり)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?