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2023年の振り返り

「書」を書初めの一文字に選んだ2023年。“何も書いていない”、と言うほどでもないが、“これを書いた”と言えるほどのものもない。相変わらず中途半端なままの私だった1年。いつになったら変わるのだろう。ずっと変わらないままなんだろう。

そんな今年、ここロンドンで、ようやく“暮らしている”という感覚と、アクトン(住んでいる街)を“ローカル”だと言える感覚になれたことは、私にとって大きな変化だった。そういう感覚を持つことが出来るようになったのは、周りの人たちとの関わり合いによるものだ。noteにも何度か書いている、お隣のアパートに住むメアリーとの出会い、交流は、今の私のロンドン生活において、非常に重要な要素となっている。メアリーとの関わりがなかったからといって、生活そのものが変わるわけではない。しかし、彼女との窓越しの挨拶や、たまのお茶の時間があるとないとでは、私の心の安心感、充足感がまるで違ってくる。また、そんな風に思える隣人がいる、ということそのものが、私にとっては非常に重要なことなのだ。また、こどもたちにとっても、自分たちに慈しみの眼差しを向けてくれる年長者が身近にいるということが、彼らの心の成長に寄与するものと信じている。本当の祖父母が近くにいない状況だからこそ、余計に。

そして、メアリーと同じくらい、もしくはそれ以上に、今の私の日常に欠かすことのできない人たちとの出会いもあった。それはルー、ベロニカ、クローディアという3人の友人たちとの出会いだ。今年の春頃から、毎週火曜日の朝、彼女たちと一緒にコーヒーモーニングをするようになったのだ。私よりも一回り以上年上だけれど少女のようにピュアな心と笑顔を持った彼女たちから多くを学び、日常の彩りを分け与えてもらっている。彼女たちのことについては今まで書いてこなかったけれど、おいおい書き残しておきたいと思っている。(本当は、そういうことを日々“書く”ということを今年の目標にしていたはずなのだが…)

また、2年前から始めた近所の映画館でのボランティアについても、今年は少し変化があった。去年までは、ただチケットチェックと掃除をするという基本的な仕事をこなすだけだった。しかし今年は、折り紙ワークショップをしたり、何より、映画「ひろしま」の上映を企画、実施したことは、私のロンドン生活におけるひとつの大きな出来事となったことは疑いようがなく、終生忘れられない思い出ともなるだろうし、その上映に関わってくれた人たちのことも私の記憶に残るだろう。それは旅先でのインスタ映えするような華やかで鮮明な思い出ではなく、ポラロイドカメラで日常を切り取ったような、不明瞭だけれどもその場の空気感が漂ってくるような思い出せるような記憶として。

映画館でボランティアスタッフとして働くだけでなく、映画館に併設されているカフェスペースを借りて活動しているクワイアに加入したこともまた、私の“ローカル”感を強くした要素のひとつだ。
年齢も職業もバラバラで、普段は関わることのないメンバーと一緒に歌い、声を、個性を重ね合わせてひとつのハーモニーを奏でることは、ただただ楽しかった。“歌う”ということは、現代を生きる私たちの日常生活において”必要不可欠な行為“ではないけれど、本来は人間の”根源的な営み“であったのではないかと私は思っている。嬉しいときや楽しいときには自然と鼻歌を歌っていたり、多くの宗教において祈りを旋律に乗せて唱えたりするのは、“歌う“という行為が、根源的なものであるからこそだと思う。そして誰かと一緒に歌うというのは、その相手と互いの振動を伝え、感じ合い響き合うということ。その共鳴もまた、根源的な営みであり、喜びだったのではないかと思う。少なくとも、私自身はそう感じながらクワイアで歌っていた。そして、仲間とともに歌い共鳴するその場所が、どこかの音楽スタジオや学校などではなく、私の馴染みの場所である映画館のカフェだったので、日常の延長線上で自然に歌うことができ、それにより、根源に立ち返ることができたような気がしたのではないかと思う。

もちろん、今振り返ったこと以外にも、たくさんの出会いや出来事があったのだけれど、私にとっての2023年は、非日常の中にある特別を探しに行くのではなく、日常の中にある特別なものを見つけることができた1年だったように思う。つまり、とても良い1年だったということ。


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