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悲しみに蓋をすること

連日の報道で、コロナによってご家族を亡くした方の話を耳にします。

ついこの間までは元気だったのに。
感染リスクから、最期に立ち会うことができなかった。
すぐに火葬されてしまい、ご遺体とも対面できなかった。

大切な人を失うことは、何よりも辛い出来事です。そしてあまりにも唐突で無情な現実に、怒りや悲しみや後悔を感じている方がたくさんいらっしゃることと思います。でもどうか自分を責めないでください。

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私は17歳の時に父を病気で亡くしましたが、父の闘病中も死後も、その悲しみや辛さを上手に消化してあげることができませんでした。

父は脳に腫瘍を抱えていたので、だんだんと身体の自由が利かなくなり、記憶は脆弱になり、ときには私のことも誰だかわからなくなっていました。またあるときは、脳の損傷、薬、自分が衰えていくことへの恐怖などが合わさったのでしょう、見たことがないくらい感情的になりました。

さらに運悪く、当時父の取引先の会社が大規模な脱税をした影響で、国税局の人が複数自宅に来てもう話もできない父に何時間も調査をしたり、ネットには父に関する噂話がたくさん書かれていたりと(その多くは嘘でした。たとえば病気で亡くなったのに「会社が傾いて自殺した」とか)、世間は必ずしも穏やかではないと感じる出来事がいくつも続きました。

もう子供ではなかったけれど、17歳の私は確実に傷ついていました。

それでも私から母に父の話をすることは何年にもわたって1度もなかったですし、されてもすぐに話を変えていました。どんなに仲の良い友達にもただ簡単に事実を伝えるだけで、自分の気持ちを吐露することはありませんでした。言葉にしてしまえば、感情が何倍にもなって母や私を殺してしまいそうに感じたからです。

その結果、私は見つかることのない父を探し続ける夢を(毎日ではないですが)10年以上も見ます。
しかしある日「時が解決する」という言葉が本当なら、いつも10年前と同じように恐怖を感じている私の身体はおかしいと思いました。もうこれ以上、目が覚めた時のあの感覚-目の前にある天井がいまは過去のあの日ではないのだと私に教えて、本当にこれ以上ないほどゆっくり過去から現実に意識が移っていく中で、心臓の鼓動がだんだんと正常の速さに戻り、汗が引き、体が重くなって、やりきれなさから涙するあの感覚-を味わいたくありませんでした。


感情に蓋をしてしまったのは、私だけではありませんでした。
母方の祖父は父とは血の繋がりはないものの、孫の私から見ても本当に父を可愛がっていました。そんな父が亡くなってから、祖父はあまりのショックからかほとんど口をきかなくなってしまいました。ただ来る日も来る日も、黙って悲しみと自分だけの世界にいるようでした。
まもなく元気だった祖父は認知症になり、3年後には亡くなりました。

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心の傷は、放っておくだけでは、何かしらの形で身体に痕を残します。蓋をしてしまえば一見いなくなったようにも感じますが、長い年月をかけてあなたに働きかけてくるかもしれません。

転んだのに怪我をしない人はいません。大怪我をすれば治療もします。だから心の傷を負ったことを隠したり恥ずかしいと思ったりしないでくださいね。脅威から回復するために脳が出すサインです。もし悲しみに押しつぶされそうであれば、誰かの助けを借りましょう。


次回はどうやってその傷を癒してあげるのかについて、私の経験も交えながら書きたいと思います。


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