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今、生きているということ

4月がきたら、措置入院からもう3年経つことになる(まだ先だけど)

あなたの性格、IQでは生きにくいという診断を貰ってから何も変わらないけれど、とりあえず生きてる。

それでいいじゃない?って思えるようになった。地獄は見たし記憶は消えないけど、それでも人生の半分近く闘い抜いた。
枯れることのない涙も、あれだけ消えたかった衝動も抑えきれなかった慟哭も、全てが今の私と共にある。

笑って話すには聞く人が重いだろうけど、起きてしまったことはしょうがないし、起こるべくして起こったことで、全ての事柄に意味を持たせる必要もなくて、ただ、その時そうしたかった、そうしないと生きられなかった。
薬も、医者のことばも何ひとつ効果はなく、届くこともなく、ただ、無為にそこに存在だけしていた。

抱えたものが重すぎて辛すぎて軽くならなくて、雨に打たれながら泣き叫んだ夜も、繋がらないいのちの電話に絶望した夜も何もかも、今なら同じ思いを持っている若い子に、

『いつかきっと、こんなことあったんだよって同じ思いを抱えた子に話せる日がくるから』

って言うことができる。

それだけの道を、歩んできた。
要介護状態にもなったし、自力歩行困難、トイレも行けない、人としての尊厳も失い、周りの家族も絶望の2文字で覆われたことだろう。
それだけ、その時の鬱は酷く、そして私は生きることを拒絶していた。

医療従事者だった自分との約束、『自分から命を絶たない』を、守れなくなったとき、私の中で何かが終わって、自分の存在価値なんかないと、否定の言葉を吐き続け、周りの言葉を全部拒絶していた。

どうせ話したって伝わらない、理解されない、的はずれな返事しか返ってこない(これは事実、返ってこなかった)
このズレが知能指数、とりわけ言語の部分の世間一般とのズレによるものだと、措置入院の結果判明した。

入院する前の2ヶ月くらい、ほとんど寝たきりで過ごし、寝てない時は常に何かわからない発作を数時間レベルで起こし続け、とにかく寝てろということでずっと布団の上だった。
食事も摂らないから胃がものを受け付けず、最終的に薬も異物として胃が拒絶、飲んだ直後に全部吐く日々。
薬を飲めないから症状は改善も安定もしない。
まさに生き地獄。

そんなどん底の生活だって、いつかは出口がある。
主治医ガチャもあるかもしれないけれど、措置入院で叩き込まれた閉鎖病棟の担当医は、2時間くらい、部屋に来ては他愛のない話や医学の話、色々と話してくれた。

『あなたは頭がいいから知ってると思うけど』

よく、そんな前置きをくしゃっと笑いながらして、話してくれる担当医だった。

私は勉強ができないと進学校で烙印押され、大学で学ぶことの楽しさ、知識を吸収することの楽しさを知ったので、いわゆる詰め込みの受験用の勉強ができなかった。
覚えろと言われても、なぜそうなるのか、が分からなければ覚えれなかった。
高校を不登校した上に、相当酷い扱いを受けたのはこの辺のせいだと思う。
だから、私は自分が頭悪いと思ってたし、クソ雑魚なんだと刷り込まれてた。

ただ、その当時から思っていた世間とのズレも、やはり知能指数によるものらしく、生きづらさの根源はそこにあるらしいことがわかった。

けれど、指数下げることはできないから、やはり他の人とものの見方、とらえかた、発想、そういったもののズレがかなりあって、今現在も私はそれで悩んでいる。

けれども。

今を、生きている

それだけで十分なのではないか。
それ以上を求めると、また地獄を見る気がして、今はこれで大丈夫、また、新たな羽ばたきができる時をじっと待とう?

ただ、そう、おもっている。
その時がくるのを、じっと、待っている。

背中に風を感じる日まで。

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