見出し画像

播磨陰陽師の独り言・第二百八十五話「単一民族ではない話」

 わが国は単一民族の国家である……と言われています。しかし、それは誤解です。単一ではありません。少数民族と言う意味では、アイヌの人たちや、沖縄の人たちも存在しています。しかし、普通の日本人でも、実は単一ではないのです。
 単一民族と言うのは、日本人の遺伝子で作られている人々が、多くを占める国のことです。しかし、日本人の遺伝子と言うものがありません。日本人は複雑な混血種ですので、同じ民族の集まりではありません。これが隣国ならば、隣国人の遺伝子70パーセントくらいの純潔種だそうです。
 わが国が混血種ばかりなのは、平和で食糧が豊富だったからです。太古からそうでしたが、明確な資料が残っている時代は平安時代です。
 平安時代は食糧を備蓄した時代です。国の方針として備蓄して、旅人に施したのです。当時、備蓄出来る食糧は米と干物でした。今のように冷蔵庫もない時代、米か干物くらいしか備蓄出来なかったのです。
 国境のない時代、来ようと思えば船で来れます。多くの外国人たちが、安定した暮らしを求めてやって来たと言います。
 治安の良さ、清潔さ、そして人を思いやる心を持ったわが国を、皆が、求めたのです。その点は、今も昔も変わりません。そのために平安の政府がしたことは、食糧の安定供給と教育です。
 食糧の備蓄によって安定して飢えを満たすことが出来るようになりました。飢えなければ、治安は良くなります。飢えるから、他人の食べ物を奪ってまで生きようとするのです。
 次にしたのが教育です。平安時代は身分の低い防人さきもりに至るまで、美しい和歌を詠んで残しています。これは、当時のわが国が、それほど識字率が高かったと言うことを意味しています。
 わが国は、昔から清潔な国です。それは神道の考え方が清浄を基本としているからです。その基本的な考え方も、外国から来た人々に教育しました。
——安定した食糧を望むなら、わが国の教育を受け、共に国を作ろう。
 と誘い、国のいしずえとしたのです。
 食糧をもらい、共に国を作った人々は、人口の三分の一もいたそうです。その子孫たちが、わが国に広がりました。だから単一民族ではないのです。平安時代から、わが国の民の定義は、〈日本語を話し、共に国を作る者〉となっています。最近、西洋の人々が帰化して国民になる事例が増えています。これは平安の昔からの風習なのでした。

*  *  *

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?