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播磨陰陽師の独り言・第三百九十一話「大根の年越し」

 今月、2022年11月3日は旧暦十月十日にあたります。この日は関東では〈とうかんや〉、関西では〈大根の年越し〉があります。
 とうかんやは、漢字で〈十日夜〉と書きます。この日はそろそろ稲刈りも終わって田の神が山へと帰る時です。
 大根の年越しの方は、この日に畑に入って、大根がはぜる音を聞くと縁起が悪いと伝わっています。この日は大根に感謝して風呂吹き大根を食べる風習がありました。最近は、大根を食べる日とかあまり聞きませんね。
 地方の昔話にはこの日の言われらしきことが書いてあります。それによると、大黒さんの人気をひがんだ神々が、
「大黒天は餅が好きだから餅をたくさん食べさせてイジメてやろう」
 と言う話になりました。それでたくさんの餅を用意して大黒さんに食べさせました。
 大黒さんは大喜びで餅を食べました。食べ過ぎての帰り道、お腹が痛くなり、たいそう、苦しんだそうです。その時、通り道に大根を洗う娘がいました。
 大黒さんは娘に言いました。
「大根は餅を食べ過ぎた時の薬になる。大根が欲しい」
「この大根は売り物なので、数が決まっていて、差し上げることは出来ません」
 しかし、大黒さんがあまりにも苦しそうなので、
「二股の大根の片方なら、お分けしても数が変わらないので良いですよ」
 と言って、二股の大根の片方を渡しました。これを食べた大黒さんは、たちまち体調が良くなりました。そして、福を娘に与えたのでした。
 この話が元になり、大黒さんに二股の大根を捧げるようになったそうです。このことに感謝してか、感謝せずか、この日は大根を休ませるために畑から大根を取らない決まりになりました。そして、やがてそれが畑に入ることを忌む風習になって行ったそうです。
 さて、大阪で二股の大根と言えば天下茶屋の聖天さん。正式には〈聖天山正圓寺〉と言います。山道の入り口には『徒然草』で有名な吉田兼好の〈隠棲跡碑〉と〈藁打ち石〉があります。この場所に吉田兼好が住んでいて徒然草を書いていたそうです。
 お寺の説明書きによると、

——吉田兼好が実の息子のように可愛がっていた南北朝時代の武将・北畠顕家あきいえ公が阿倍野で戦死すると、とても悲しんだ。顕家公が戦死した場所の近くに庵を構えて藁を打ち、むしろを織って生計を立て、菩提を弔った。

 とあります。
 ちなみに、この北畠顕家公の碑は近くの北畠公園の中にあります。この正圓寺には千利休の師匠である武野紹鴎たけのじょうおうが愛した手水鉢なども伝わっています。
 私は『徒然草』が好きなこともあり、かつて聖天さんへ遊びに行った時、とても感銘を受けました。そこから松虫の祠や、北畠公園へ行き、最後は大阪の安倍晴明神社にお参りして帰りました。この神社の近くから路面電車が天王寺まで走っていて、なかなかレトロな感じがして楽しかったです。

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