魔法も自分で作り出す

ちょっと嫌な事があった。ズンと凹んでいる。自分は悪くないという自負はあるが、当事者でない周りの反応に、いたたまれない気持ちになっている。

それは一気に、言葉ではない不穏な空気を感じ取れるようになるからだ。人というのは自分も含めて面倒くさい生き物で、一度気にするとその考えに囚われる性質があり、正に今、自分が囚われの身になっている。鎖や足枷など付いていないのに、気持ちが縛られている。

何日もその囚われに心は疲弊し、落ち込みから脱する事が出来ていない。自分の失敗ではないはずなのに、自分の発した言葉がまずかったような気がして、謝りたい衝動にさえかられる。自分に落ち度はないにしてもだ。

囚われた心を解き放つには、少し静かに時を待って、別の事に没頭し、心の平穏を保つ必要がある。問題がネット内での事なら尚更だ。

言葉は難しい。こうして言葉を発している自分さえ、誤解なく相手に伝えたい事を伝えられているか、悩む。こんなたわいもない事でさえ、悩むのだ。忌憚ない発言を促した結果、物事の争いの勃発を招くことすらあるのだから。

私の問題は、ちょっと親しい人にそれとなく投げてみたが、案外私が思っているより皆んなが気にしている様子もなく、取り越し苦労だったかな?と思った矢先、1人だけ「ちょっと良くなかったんじゃないか?」という人がいた。それはそれで正直に言ってくれたのだろう。

それよりもむしろ、ある意味私の中で言う「とある事件」が起こってから、完全に私に対して無視を決め込む状況に入った友人がいて、それがあからさまなのが一番こたえている。

物事は色んな方面からそれを眺めている人がいて、その見え方も実に多様なのだ。一方向だけから見ていれば、その見え方によってガラリと印象も受け取り方も変わってしまう。想像力がなければ尚更だ。

自分はなるべく、色々な事象に対し、なるべく多角的な状況を鑑みて対応したいと思うものだが、十人十色。色んな人がいる事もまた心に留めておかなければならない。

今自分は試されている。そんな気分の私だ。逃げるのは簡単だが、それは責任を取らない生き方。状況のうまい回避ゲームを試されたと思って、少し考えていこうと思う。

囚われた心をうまく解き放つ、魔法の言葉が今は必要だけれどね。その魔法も、自分で作り出さなければならないのが人生。




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