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新しいものは古くなる

 仏教民話の現代語訳を考えているのですが、当時の社会常識が現代だと差別表現というのはよくある話です。手塚治虫のマンガなどで「執筆当時の時代背景を考え、該当箇所の削除や書き換えは行わず、原文のままとしました。」のような断り書きがよく見られます。仏教経典の中にも現代においても決着がついていない問題があります。

最近は時代の変化が激しく、タクシー運転手のオジサンが若い人とは世間話も怖くてできないという話を聞きました。かつては若者だったわけですが、中年のオジサンや高齢者の起こす事件が新しい社会に適応できない迷惑な人としてネットで炎上する記事をよく見ます。

さて、私たちは歴史にある昔の人間社会を未開で野蛮な社会と感じることは大いにあることです。これは私たちの社会が身分や種族、男女の差別から次第に解放されつつあることの証にもなるでしょう。しかしながら、今の私たちの振る舞いもまた、未来の人々から見たら未開で野蛮な行為なのかもしれません。

私たちの常識、そして常識から見ている世界は古くなり、過去になります。だからこそ私たちの先祖は色あせず人間を鮮やかに描写し続ける仏さまの言葉に惹かれたのではないでしょうか。

釈行信「常々無常流々流転」No,154 『西念寺だより』令和4年6月号掲載

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