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不安な者への力の誘惑 釈行信「常々無常流々流転」No,151 『西念寺だより』令和4年3月号掲載

実は浄土真宗では信仰は「持った」瞬間腐ると言われます。如来のはたらきによる信仰に基づいているので、「私の信仰」になった瞬間から腐るのです。しかし「その私」の在り方に如来がはたらくという循環が信仰の歩みになっています。

さてウクライナではロシアとアメリカがにらみ合っています。本来であれば、戦争にまでは至らないでしょう。しかしながら、アフガン侵攻はアメリカの諜報組織が予算や発言力のためにイスラムゲリラを過大評価して始まったと言われています。火遊びが大火事になることは否定できません。そういう時は火を使っていると思っている自分が火に包まれることになります。

力を持つとまず見せびらかしたくなります。一番安直な選択肢が脅して従わせることです。しかし一度でも脅せば、脅された方は決して忘れません。結果、常に逆襲を警戒しなければならなくなり、眠れない日々を送ります。『観無量寿経』の韋提希夫人はそんな互いで傷だらけになる自分を発見して、阿弥陀仏の世界に生まれたいという尊い願いをお釈迦さまの前で起こしました。

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