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それでも笑って手を振ろう!~ちょっと切ないクリスマスオーナメント

布で作ったふわふわのオーナメント


この手作りのリースやツリーは、私の叔母がうちの息子たちが小さいころに作って送ってくれたもの。

子供のいない叔母は、私たち姉妹を娘のように、私たちの子供たちを孫のように気にかけてくれた。

息子たちはすっかり大人になり、このオーナメントたちも少し色あせてきたけれど、毎年飾らずにはいられない。


階段下の飾り棚が定位置です


母を連れて仙台へ


11月の中旬、89歳の母を連れて、母の実家のある仙台に行ってきた。

94歳の伯母がお世話になっている施設を訪問するために・・・。

コロナ禍、ずっと面会がかなわなかったけれど、やっと「一度に2人まで、10分間」ならば面会ができる、と聞いた母は、もう我慢が出来ないので、二人の妹たちと4人で行くことになったのだ。

仙台で、同じく80歳代の叔父・叔母と合流し、施設に向かい、母と叔母が施設の玄関ホール内に入る。
残った私たちは、外からガラス越しに様子を伺う。

母と叔母が、車椅子の伯母に何やらささやくと、伯母が顔を上げて私たちを見つける。

目を大きく見開き、あら、あなたたちそこにいたの?と言わんばかりの満面の笑みで手を振る。
私たちも笑顔で大きく手を振り返す。

時折こちらを指さしたり見たり手を振ったりしながら、3人は楽しそうに話している。

でも
伯母は数年前から、もう私たちのことはどこの誰だかわからない。
もちろん、母と叔母のことも。

コロナ前に会った時も、同じように満面の笑みで、楽しそうにとりとめのない、つじつまの合わない話をする。
それが、あまりにも楽しそうなので、私たちもなんだか楽しくなって話を合わせる。

私たちが誰だかわからなくても、伯母は昔かわいがってくれた時と同じように、楽しそうに話す。

感情の記憶は消えない・・・らしい


数年前に、友人に誘われて、
「ユマニチュード」というフランスの介護についての講習会に参加したことがある。

その中で特に印象的だったのが、「感情の記憶は消えない」ということ。
たとえその人がどこの誰だかわからなくても、その人といると楽しいとか 心地よい、とか、
逆に一緒にいたくないとか 会うのがつらい、とかいう感情の記憶は消えない、と講師の方がおっしゃっていた。

数十年前に、やはり施設にいた私の祖母を訪ねたとき、
誰だかわからない私に、それは懐かしそうに楽しそうに話し、
きれいになったね、と言い、
また来てね、と言っていたことを思いだす。
ずっと一緒に住んでいて、育ての親だった祖母が 私のことをまったくわからなかった時は帰りの車の中で泣いたものだ。

でも、その時も孫を愛おしく思う感情の記憶は残っていたのかもしれない、と思うとちょっと心が穏やかになった。

だから笑って手を振る


母たちが室内から出てきて、私たちの横に立つ。
伯母は昔と変わらない優しい笑顔で大きく手を振る。
私たちのことが誰だかわかってなくても、あんなに素敵な笑顔を向けてくれるなら、私たちも笑って手を振ろう。

そして、その笑顔を思い出しながら、
今年も息子たちのために心を込めて作ってくれたツリーとリースを飾るのだ。








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