随想録 輕井澤二十四節氣

1964年福岡筑豊の山村に生まれる。18歳で郷里を離れ、東京四谷、福岡市、吉祥寺、原宿…

随想録 輕井澤二十四節氣

1964年福岡筑豊の山村に生まれる。18歳で郷里を離れ、東京四谷、福岡市、吉祥寺、原宿、恵比寿と移り住み、2020年夏、軽井沢へ移住。パートナー、アイコ先生と2匹の愛猫とユルく暮らす。

マガジン

  • 随想録 輕井澤二十四節氣「信州軽井沢ふつうの暮らし」

    2020年夏、東京恵比寿から信州軽井沢に移住してきた、僕とパートナー、アイコ先生と2匹の猫。 僕たちの日常は、みなさんが想像するようなスタイリッシュな「軽井沢ライフ」では、決してありませんが、四季折々の美しい花鳥風月と、それを愛する優しい人達がまわりにいてくれます。 このマガジンでは、そんな僕たちの軽井沢での「ふつうの暮らし」を、郷里筑豊や東京でのエピソードと織り交ぜながら書き綴ってまいります。 それにしても、僕たち、たいしてお金もないのに、瀟洒なリゾート地、軽井沢で、はたして、ふつうに暮らしていけるのやら、どうやら。 お茶でものみながら、ゆっくり楽しんでいただけたら幸いです。

  • 音楽未来人教養講座

    • 1本

    音楽ビジネスの未来をゲストとともに考える連続ワークショップの特設ページ

最近の記事

  • 固定された記事

随想録 輕井澤二十四節氣 「信州軽井沢ふつうの暮らし」はじめます。

福岡・東京・軽井沢 僕とアイコと2匹の猫と 僕は昭和39年、福岡県は筑豊の山村に生まれました。18歳で故郷を離れて、かれこれ40年、東京都内や福岡市内を幾度となく転居し、2020年の夏、東京恵比寿から、パートナー、アイコ先生、そして2匹の猫と一緒に信州軽井沢に引っ越してきてきました。 人生も折り返し地点をぐるりと回ったあたりで、仕事や生活の環境が大きく変わり、近頃は「もう走るのはやめて、歩いちゃってもいいんじゃないか、ゴールできれば、それでいいんじゃないか」と、思いはじめ

    • 屋根のない病院、軽井沢

      「屋根のない病院」っていったい? 避暑地、保養地としての軽井沢を見出した、カナダ人宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーは、この地を「屋根のない病院」と評した。僕は、最初、つまりそれは、野戦病院のことかと思った。それもナイチンゲール以前のだ。 どうやらその認識は全く間違っていて、「町全体がホスピスのようだ」ということらしい。 「軽井沢に来ると眠くなる」と、よく言われる。友人がウチに遊びにくると、着いた早々うたた寝して、夜は一杯飲んで早々に寝て、朝は一旦起きるけど、昼過ぎ

      • 秘湯北温泉の浮世絵 〜後編

        テルマエ・ロマエ この広々とした露天風呂は、後に『テルマエ・ロマエ』という映画のワンシーンに登場してきて、びっくりすると同時に懐かしさがこみあげてきた。阿部寛のデカい背中が蓮佛の白い背中と重なって、あのときの光景がありありと時間旅行の向こうに蘇った。 雪合戦 野郎どもは、しばしの間、寒気にさらされた肌を湯であたためて、「ぶえぇぇぇ」とか「あったけー」とか「けど顔さみい」とか口々に言って、湯を楽しんでいたのだが、露天風呂の水面から半身をのぞかせている、蓮佛の白い背中があま

        • 秘湯北温泉の浮世絵 〜前編

          鄙の宿 栃木県は北温泉 野郎四人の温泉旅行、レンタカーのブレーキをゆっくり踏み込むと、グググゥという、片栗粉の袋を手のひらで押したような音がして、車は止まった。 やっと着いた。 途中から降り始めた雪のせいで、那須塩原の駅から、たかだか20キロほどの山道を走るのに、一時間ちかくかかってしまった。 「サイドブレーキはかけないでおくよ」 ちょっとした達成感を感じていた僕は、北国では常識であろう慣習をみなにひけらかした。実際この場所で、サイドブレーキを引いておくと、翌朝には

        • 固定された記事

        随想録 輕井澤二十四節氣 「信州軽井沢ふつうの暮らし」はじめます。

        マガジン

        • 随想録 輕井澤二十四節氣「信州軽井沢ふつうの暮らし」
          10本
        • 音楽未来人教養講座
          1本

        記事

          軽井沢の夏って涼しい?

          亜寒帯湿潤気候(Dfb) ケッペンの気候区分で言うと、ここは「亜寒帯湿潤気候(Dfb)」に属する。つまり「温帯」ではないということだ。昔からここに住んでいるひとによると「最近、夏には、30℃を超えちゃったりして、もう『避暑地』とは言えないよ」なんて話もあるけど、地球全体が暖かくなっていることを考えると、相対的には、やっぱり「冷涼」といえるだろう。 だけど、ここで暮らしていて感じるのは、「冷涼」ということよりも、「気温の差が大きい」ということだ。「季節」、「時間帯」そして「

          軽井沢の夏って涼しい?

          わたしゃあなたのそばよりも 信州信濃の蕎麦がいい

          軽井沢に似合う食事ってなんだろう? フレンチ? イタリアン? カフェ? いずれにしても洋風な印象が強い。実際、人口わずか2万人のこの町には、フランス料理店が60軒、イタリア料理店は40軒、そしてカフェに至っては230軒以上もあるのだそうだ。人口あたりの洋食店比率でいくと、おそらく日本屈指なんじゃないだろうか。ひょっとしたら世界屈指かもしれない。 ちなみに、食いしん坊の僕たちがこの町にやってきてから、かれこれ3年経つけれど、腰掛けるときにそっと椅子を押してくれるようなお店に

          わたしゃあなたのそばよりも 信州信濃の蕎麦がいい

          恵比寿から軽井沢へ(後編)

          軽井沢初心者 僕とアイコ先生、二人で軽井沢を訪れるのは、これが2度目である。前回軽井沢に行ったのは、1年前の夏のこと、涼を求めて、東京を暑い盛りのお昼に出発したものだから、軽井沢に着いたのは、もう夕暮れ時、賢明なみなさんお察しのとおり、ほとんどの店は閉まっていた。 霧の三笠通りに閉店間際のカフェをやっと見つけて、お茶を飲み、そのあと峠の見晴台にいったものの、さらに濃い霧でなんにも見えず、その日のうちに東京に帰った。それでも「涼しかったねえ」と、そこそこに満足はした。 道

          恵比寿から軽井沢へ(後編)

          恵比寿から軽井沢へ(前編)

          「私、いっぺん寒いところに住んでみたい」 アイコ先生は南国宮崎の出身。そのせいかどうかわからないが、とにかく「寒いところ」に並々ならぬ憧れをもっている。恵比寿の借家に住んで、十年、アイコ先生がいつものごとく、ボヤくように切りだした。 ただ、今回のは単なるボヤキではないようだ。コロナのせいで、仕事の打ち合わせは全部リモート、地方への出張はあるけれど、なにも東京から出発する必要はない。借家の契約更新も近い。引っ越すなら、たしかに今かもしれない。どうせなら、アイコ先生、長年の憧

          恵比寿から軽井沢へ(前編)

          我が社、中興の祖(予定)ルンバ 湯島にて

          計算速い女 僕が初めてルンバに会ったのは、ヤツがアシスタントとしてやってきた、岐阜のロケ現場だった。以来、かれこれ3年の付き合いになるが、ヤツについては、いまだにわからないような…… わかるような…… やっぱりわからない。ヤツは、いわば、人間の女のフリをした量子コンピューターだ。ちなみに掃除機ではない。 数学が得意で、計算能力が人一倍高いが、けっして「計算高い女」というわけではない。計算が速いから、物事の判断も速い。ただ、やはり計算が速いがゆえに、「なんでそういう判断結果

          我が社、中興の祖(予定)ルンバ 湯島にて

          駄犬モンチーの生涯

          野良犬モンチーがやってきた 僕の母校、千手(せんず)小学校は一学年三十人に満たない山懐の小さな小学校だ。山の学校ゆえ、町の小学校の遠足の目的地が我が千手小学校だったりした。 その遠足の小学生たちについてきたはいいものの、帰路がわからなくなり、そのまま千手に居着いたお馬鹿な犬、それがモンチーだ。 母が「あなたお顔がお猿さんみたいね。でもモンキーじゃかわいそうだからモンチーにしましょう」と名前をつけた。 二ヶ月くらいは野良犬として家々の残飯をもらったり、小学生から給食のパ