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四国遍路記録㉓女体山超え結願88番札所

毎週水曜日個人的四国お遍路記録
今回は23回目となりました。
そしていよいよ結願への最後の日
区切り打ち7回目88番札所へ

8年も前のことですがやっと音声だから
纏められました。

ずっとおつきあいいただいている方
ありがとうございました。
ようやく今回、88番札所、
最後のお寺へと向かいます。

この後、また高野山へ上るので
そこまでをこのシリーズとさせていただきますが
ひとまず結願まで参ります。

音声での配信はこちらから↓

さて最終日、
台風が心配された朝でしたが、
夜の間に遠く去ってくれておりまして、
晴れ晴れ、気持ちの良い朝でした。

4時半起床。
支度を整え、玄関へ。
丁度、部屋をでてきた若い外国人カップルと出くわしご挨拶。
前日も出会った方たちでしたが
私は一足さきに外へ出ました。

いざ!と、意気揚々と、
はりきりすぎてか「あ、お杖を忘れてきた」
しばらく行って気づきます。
引き返すと、母屋のお庭に
洗濯物をほしている宿のお母さん。
あらためてにお礼が言えたからいいか、と思いつつ再び出発。
時間は6時頃でした。

近くのローソンにより、お水などを調達をと思ったところ、
ここでまた、先の宿が一緒だった外国人カップルと再会。
ご主人の方が「どちらの道に行く?」と尋ねてこられました。

彼は、わたしの前に他の人に尋ねたそうで、
その人から「3号線を行く」と言われたとのこと。
それで、その道がいいのかと、迷っていたようです。

おそらく彼も私と同じコースを考えていたのだと思います。
わたしも3号線ではない違う道を行くつもりだけれど、と話しました。
そして念のため、地図を出して一緒に確認をはじめました。

すると、近所の奥様でしょうか、
コンビニにやってきた方が
「大窪寺さんいくのよね?」と声をかけてくれました。
そして、やはり3号線とは違う方向をさして、
「あの信号を左であとはまっすぐ」と教えてくれました。
我々は「そうそう、その道を行きたかったのです
やっぱりそれでいいのですよね」と安心。
するとまた、どこからともなく別のおじさまがよってきて、
「それが近いよ、途中で合流するはず」と更に教えてくれました。

困っているのかなと見かけたら
すぐに声をかけくださる、本当にありがたいことです。
あらためてたくさんお礼をいって、
カップルにも説明したので、
彼らは安心して歩き始めました。

わたしがはそれから買い物をして歩き始めましたが、
またすぐ彼らに追いつきました。
そこで、すこしお話を伺いましたら、
アメリカ出身だけれど、今は静岡に住んでいて、
もう7年になるというご夫婦でした。

ご夫妻みーっけ

その後、また自分のペースがあるので私は先に行きましたが、
このあと山を登る時も、
このカップルも少し後ろから登ってくれていると思うと
ちょっとだけ心強く思います。

さて、ここからしばらくは舗装道路です。
でも川が流れていたり
林道のような、ほとんど車など入らないような道だったり
何より木々がたくさん茂っているので
朝のキラキラした光の中で
とても気持ちのよい時間でした。

途中キャンプ場や結構大きなダムもあり、
ちょっと今までの道とは違う感じがします。

次に時計をみたのがは7時半でした。
道の駅ながおと言う所についた時です。
お寺までの道中、ここでお手洗いもお借りできるし
何か買い足すこともできます。
ただ、この時間はお店はまだ空いていませんでしたが。

交流サロンのおねえさま

そしてここの向かいにあるのが、
「前山おへんろ交流サロン」です。

前回の音声配信の中で、
私は前回間違えてお遍路センターと言っていますが、
正しくはお遍路交流サロン、
この辺りは「前山地区」というそうで、
その前山地区活性化センターの中にあります。

半分木造のモダンな建物です。
この中には遍路資料館があり、
そして何より、歩いてきたお遍路さんには
「四国八十八ヶ所遍路大使」という任命書と
「同行二人バッジ」を下さるのですよ。
でも前も言いましたけど、歩き遍路の人のためのものです。
宿のおかみさんから「じゃあだめよ」と言われたそこです。

そうです、わたしは鉄道も使っていますから
それは該当しないし、
どちらにしてもまだ開いていないからいいか、と
素通りしようと思ったのでした。

が、ちょっと覗くとお掃除をしている女性がいらっしゃいました。
そこで、今後の安心のためにも、
ここで道も確認させてもらおうと声をかけました。
すると「もう入っていいですよ、どうぞ」と言ってくださいました。

中に入ると、既にお遍路姿のご夫婦もいらっしゃいました。
お掃除をしていたのは勿論このサロンの少し年輩の女性でした。
早く来て、開館前に開けていてくれたようで、
お陰で入ることができました。

そこで、彼女に道についてお尋ねしたました。
そしたら「この道、女体山越えしたらいいわよ」というお答え。
そうか、と思いつつも
実はその山は、結構な急坂だと聞いていたので、
この山越えか、少し遠回りでも別のなだらかな道を行くか、
ちょっと迷っていたわたしでした。

すると「大丈夫よ、わたしも4時間でいったから、
あなたくらい若いならいけるわよ」と、
道中の写真もみせてくれました。
さらに「途中のちょっと急な岩場はこれくらいまでよ」と解説してくれて
更に写真もあるし、イメージしやすく、
これなら大丈夫だと、安心しました。

ピンクの4の道を行きます

それから彼女は
「じゃあ遍路大使の証明書つくるからお名前を教えて」
言ってくれました。
でも先に記した通りですから
「ありがたいですが、わたし全部歩いていないんです」と
お答えしました。

実際は、歩き遍路結願であることを自己申告した人
という微妙な条件なのですが、
まさかこんなところで嘘を言うなんてありえませんから、
残念ですが、と申し上げたのでした。

そしたら彼女が「いいわよ、少しだけだったんだから」と…。
そうなのです、全行程を聞いてもいないけれど、
歩かなかった距離はちょっとだから
にこっとわらって証明書を出してくれました。

遍路大使任命書
ピンバッジ

ここでわたしはつい、
金の斧と銀の斧の昔話を思い出したのでした。
そんなこともあったので、2回目は、
今回歩いていない所を、ちゃんと歩く、と思って
歩いている所もあります。

そしてその後資料室も見せていただき、
そうです、八十八カ所を紹介したDVDもいただきました。

そうして、これを配信していて、今更ながら気づきました。
こんな形で「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」を頂いたのだから
こうやってお話して、大使として活動をしていいのです、
折角、ご好意でいただいたのだから、
もっと早く、よりたくさんに聞いてもらえる所で
話さなくちゃいけなかったのにと。
でもとりあえずよかったです。
こうしてちゃんと少しだけお役目が果たせて…

ともあれここで状況も確認できて、
お茶までいただいて準備万端、
山越えに出発です。

道標 8時12分
神社は来栖神社というらしい

山道はというと、もうそれはそれは楽しかったですね。
岩登りみたいになる所もちょっとだけあり、
お杖がちょっと困ったと、
リュックの背中に長い刀みたいにさしてのぼりましけ
どそれもおもしろくて。

9時29分 たった1.138mなのに坂だとね…
この緑のトンネルが好きなのです
岩登り
足場がつくってあります

そして山頂だったのかな、
多分そうだと思いますが
女体宮という祠があり
その向こうに遠くまでの景色がみました。

10時13分 祠
ちょっと霞んでいます

その近くにベンチがありましたので、
少し休憩をしましたが
そこには、缶がおいてあり
中にはノートが入っていました。

10時17分と写真に記録されていました。
皆さん「ここまで来たよ」とか
いろんな想いが書いてありました。
英語もイタリア語とかフランス語かな?とか
様々文字、言語がありました。
それを読みながら少し休憩して、
わたしも何か書いたのですがわすれましたが、
多分、お遍路中、四国の皆さんに
とてもよくしていただいて、ありがとうございましたとか
そんなことだったと思います。

なんかゴミが落ちていてこれが残念でしたが
いつ頃から誰が始めたのかなあ…

さて、ここからです。
ここまではとても好調でした。
が、ここから結構きついなと感じた場所がこの後でてきました。
それはやはり下り坂でした。
きついといっても足腰というより、メンタルなのか

結構急な下り坂
10時27分 そしてまた登る…

この女体山は標高は776mで、北側から登って南側におりて
標高450mの所に88番札所大窪寺さんがあるということになります。
途中少し下ってまた上ってから下った記憶もありますが
八栗さんでもそうでしたが、大変なのは、やはり登りより下りです。

微妙に映り込んでますが…

しかもかなり急坂です。
丸太みたいなもので段がつくってあるのですが
それはそれでわたしの歩幅が合わない
すると膝の高さが自分のものでなくなるから、
とんと踏み込みすぎたり
つま先より膝が前に出たりすることもあって
これは膝やっちゃうと注意しながら
そして下りだからどうしても
足場を確認しながらなので地面に目をおとします。

すると何を見ているのかよくわからなくなってきました
ずっと丸太が続いているから、変な催眠術みたいです。
ですから、つとめて時々立ち止まっては上をみあげていました。

周りの雰囲気はよいのですが

そしてやっと石仏や小さなお堂がみえてきたのが
写真の記録によると10時49分

10時49分

山の下の方には、バスが走るような太い道が見えて
お寺も「あれかな?」と見える地点にでたのが10時54分。

細道の先にお寺が

そしてここでは写真を撮り忘れていますが、
T字のように左右に道が分かれ、道案内がでてきます。
左に進めばそのまま88番札所、
右は奥の院へ0.2kmとありましたので
勿論先にそちらにお参りします。

ここは胎蔵ヶ峰寺(たいぞうがみねじ)というと後でしりました。
でもお堂であろう建物は閉まっていました。
祠もいくつもありました。

その後、また元来た道へもどります。
でもここからもまだ急な下りです。

けれど、この道のお陰で、
奥之院でお参りもそのままできてありがたいのだから、等と思いながら、
でも、もうそろそろ着いてもいいのに長いな、と思いながら、
とはいっても実際にはそんなに長い時間ではなかったはずなのですが。

ともあれ、そんな風にひたすら下っていた所、
急に境内につきました。
え?っと思うあっけなさで
多分、大師堂の方だったと思いますが。

でもここは折角だからやはり山門からと、
まずは境内をつきぬけて、一旦でました。
そしてあらためて山門でお辞儀をしてそこをくぐりました。

11時07分山門 つきました

第88番札所 医王山 遍照光院 大窪寺

(いおうざん へんじょうこういん おおくぼじ)
宗派 真言宗
本尊 薬師如来
創建 養老元年(717)
真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

そこから御本堂、大師堂をまわり納経をすませ
納経帳にかいていただきました。

納経所には、また手ぬぐいが売っていたので記念にいただきました。
丁度、善通寺で育った祖母の法事も近かったので
叔母たちの分も一緒に。

とっても快晴
大師堂

そしてこちらのお寺には、
お遍路を一緒に巡ってくれたお杖を奉納する所があります。
金剛杖を供養してくれるのですが、
ただ私はまだ次に使わせていただこうと思ったので
いまだそのまま持っています。

ガラス張りの塔の中にはお杖がいっぱい

ともあれ、これで88カ所全部を巡れたことになります。

最後の気持ち

そして最後に記しておきたいのが
私のこの時の気持ちです。

この山越えの山道から大師堂をお参り終わるまで
もう本当に感謝の気持ちしか出てこない、
何もかもがありがたくて、ずっと目がうるんでいる感じでした。
うれしくて、うれしくて、幸せで泣きそうなのです。

ずっとふんわり、何かに包まれている感じ、
これを同行二人といっていいなら、
空海さん最後までありがとう、と言う気持ち。

そして道中であった、優しくしてくれた皆さんからはじまって、
普段からの知り合いやきかっけをくれた友人たちは勿論ですが、
今までの人生の中で、近くにいてくれた人たちの顔が浮かびます。

今までであった皆さんによって、今のわたしができて、
そして元気に旅にでてみよう、お遍路まわってみよういう
希望がかなえられる環境を作ってもらってもいて、
そこへも感謝があふれます。

そして、特に、最後の女体山を下りる道中からは
両親や家族へ「ありがとう、ありがとう」
と繰り返し呟きながら歩いていました。

両親はもうその時にもう他界しているのですけど、
「ありがとう、ありがとう、お陰で私はこんなに元気です。
こんな年になっても、こんなに元気に、
ここを歩いて行ける体を
あたなたちからいただきました。
そして空海さんに興味を抱かせてくれてくれてありがとう」
そんな思いでした。

言葉でこの時の状態を表現することは
とても難しいのですが、
こんなにありがとうの気持ちがずっと溢れ続ける経験は、
多分、この時がはじめてで、未だにこれ以上もありません。

そして今はもう会えない人たちも含めて
どうぞ、関わってくれたみなさんが、
笑顔で幸せにすごしていけますように、
ということだけが願いでした。
それを一生懸命に祈ったのです。

これは自分でも後で思えば、
「わたしがんばったよ、いいことあるかな」とか
願っても不思議ではないと思いましたが、
面白いことに、そんなことは欠片も微塵も浮かばなかったのです。
そんな、利他心あるいい人でもないわたしが、
このときばかりはそんな気持ちだったのです。

そして多分、ご利益というものがあるなら
そんな自分を体験させてもらったことが、
巡礼をした最大のそれなのだろう思いました。

私自身があるようでない、
自分がどうのとか、結願だからという達成感とかそんなものも一切ない、
ただ見えない物もふくめて暖かく透明なものに包まれて
全てが繋がっていて、だからこそありがたくて、
安心で幸せだ、と、そんな感じでした。

Instagramにあげました
気分はまさにこの曲

皆さんといっしょに帰ります

さて、ここからは帰り道です。
お寺の前の名物のうどん屋さん八十八庵にはいって
お腹をみたします。

そしたらここに、高知で出会った大好きになった
こんにゃくずしがあったので、これもいただき、
家族にお土産にもしました。

11時58分 野菜たくさんのおうどん

食べ終わり、お遍路も終ったなあと思いながら
レジに向かいました。
でもまだ嬉しいことはつづきました。
終っていませんでした。

レジでお会計をしようとしたら、
お店の方が「これ御接待です」と
紙パックのコーヒー牛乳を渡してくれました。
そこには一緒に小さなお手紙で新潟の住所と
2人のお名前が書いてありました。

「この方たちから、お遍路さんにわたしてくださいといわれて、
お店の方が、歩いて昇ってこられたかなと思う方に渡しているです」
とのことでした。
最後の最後にまたびっくりするお接待をいただきました。

そうだこの思いを引き続き日常でも持ち続けるのだから
終らないのだ、とも思いました。

バス停側からみた八十八庵さん

さて、その後ですが、
一般的にはそのまま1番札所に向かう方が多いのですが、
わたしはこの日に帰りますから、
バスでくだることにしていました。

バス停はお寺のすぐ前にあり、13時30分発です。
この時点で、出発までは
まだ40分以上は時間があったと思いますが
すでにもう、結願を終えたお遍路さんが数人まっています。

日差しも優しいし、そよ風もふいているし
五月の緑もきもちよくて
バス停の後ろにある円形になっているベンチで
皆さんゆっくりすごしています。
多分同じ思いなのでしょう。
「お疲れさまでした」とそれぞれにこやかに挨拶をします。

その中のお一人に見たお顏がいらっしゃいました。
あちらも気づかれて、一宮寺であった方でした。
「お久しぶりです」とご挨拶したりしました。

別の男性は、このまま途中の高速道路のバス停から
徳島のフェリー乗り場行のバスに乗り換えて、
和歌山にわたり高野山まで一気に行くと仰っていました。
この方は随分遅くにバス停にきたので
お腹がすいたままだというので
まだ残っていたわたしのカロリーメイトを差し上げました。
よろこんでくれてこちらが嬉しい事でした。

そんなことをしながら
他にも皆さんそれぞれのお話をきいていました。
独りの方は、もう終わっちゃったと思うと、
また次いつからにしようかと思うんだよね、
あと一回で緑の納札になる、
つまり7回目になるのですが、
「お四国病だよね」と笑いました。

お四国病院と言う言葉もあり、
これは歩いていると心身が健康になるということでもありますが、
またすぐ来たくなることはお四国病と言われています。

ともあれバスはJR志度駅に14時34分につきました。
そしてそこから14時53分発→高松駅15時25分着。
そして高松駅15時40分発マリンライナーに乗り
岡山駅に16時32分着。

瀬戸大橋からの夕景もきれい

また次はいつ四国にこれるかわかりませんから、
高松では駅構内のウィリーウィンキーでお土産もかねて塩パンを買い、
勿論、岡山駅でまたままかり寿司を買い込んで
17時17分岡山発→博多着19時の新幹線で戻りました。

ということで四国八十八カ所巡礼の第一回目が無事結びとなりました。
その後、結局、また歩いてない所を歩こうとおもって
2回目はじめてますが、途中でコロナ禍があり、その後は進めていません。
そろそろ、すずしくなって、いや、でもまた春がいいかななどと思いながらお四国遍路はひとまずここまでです。

そして次回、途中一緒に回った友人の結願をまって
秋に高野山を登った時のお話で
このシリーズを最終回にしたいと思います。

今日も最後までおつきあいいただきありがとうございました。
良かったら後一回、お立ち寄りください。

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