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遍路記録㉒台風接近中なんとか87番札所到着の讃岐道~屋島から長尾寺

個人的四国お遍路記録
今回は22回目となりました。
そしていよいよ結願への最後の
区切り打ち7回目
79番札所から88番札所へ
その2日目のお話です。
8年も前のことですがやっと纏められております。
よかったおつきあいください


さてこの2日目から3日にかけての台風接近。
予定としては、3日目に最後の88番札所のみにしていますから
時間的には余裕があるはず、
そして多少の雨でも大丈夫、
だけど風が強いと危ないから、
少しでも早めに動く方が望ましいかなと思い
ホテルを5時出発しました。

ただ駅前で線路を超えて向こうの道に
渡らなければならなかったのですが踏切が見つけられず、
かなり回り道をしてしまい、
結局のところ、結構な時間的ロスをしてしまいました。

これなら、一番初めに考えていた琴電始発での移動、
瓦町発6時6分にのって潟元(かたもと)6時18分着を利用しても
ほぼ同じ時間といいすか‥‥、
実際、やっと着くという所で
その列車に追いこされたのでした。
迷ったことを悔やむスタートでした。

でもまだ朝日が綺麗!

始発より早く動きたくて
1時間20分近く歩いたのですが
ホテルから駅まで徒歩10分、
更に琴電にのって12分で到着、というのと変わらなかった、
と、少しへこみます。
でもいやいや、出来るだけ歩きたかったのだから
これでいいじゃないかと気を立て直して
屋島を登り始めます。

屋島の歴史と出会った清子さん


そうです、ここから屋島と言う所に向かうのですが
ここは高松から瀬戸内海に突き出た半島のような所です。
溶岩台地の山で標高は292mの南の嶺と
282mの北嶺に別れています。
源平合戦の屋島の戦いの舞台、元は島だったそうです。

源義経の奇襲が有名ですが、
屋島のあとは八栗半島の北を回り込んで志度へと続くので
これらの地名の場所を次々に訪れることになるので
「この一帯だったのだな」と、あらためて実感するのでした。

平家はここを追われて壇ノ浦へと向かうことになる
滅亡の最終きっかけといってもいいのかもしれません。

そんな古戦場ではありますが
勿論、今はそんな面影なく
下からは公園にむけてのの遊歩道になっています。

まだ遠くから見た屋島〜台形です

やや急坂ではありますが、
その入り口の道の端に車をとめて
ウォーキングを始める方が幾人かいらっしゃいました。

その中に、わたしより少しお姉さんのような
小柄なお姉さまがいらっしゃいました。
「おはようございます」とどちらからともないご挨拶から
何となくおしゃべりしながら一緒に歩きはじめました。

その女性は清子さんと仰るのですが
「私も車で八十八カ所まわったのよ」と、
そしてなんと「今週末に高野山にお参りに行くの」と。
それも車でだそうですが。
以前も、観音寺で同じように、
今週末に高野山と言う女性にお会いしましたが、
そんな出会いにまたもや、と驚きです。

清子さんは高野山は初めて行くとののことでしたから
わたしが知っている範囲でご参考になればと
お話しながら歩きました。

清子さんは、この屋島の山頂に毎日のぼっているそうです。
後で私も見せていただきましたが
この屋島山頂には名簿が置いてあります。
誰が何回登ったという記録でその都度しるしをつけていく
ラジオ体操のハンコみたいな感じです。
そしてラングがあり、2000回以上登った人は大横綱になります。

清子さんは、というと、あともう少しでここに入るのでした。

歩くペースが同じくらいだったのもあり、
おしゃべりしていたからあっという間、
1時間くらいで着いていました。
清子さんも、いつもより楽だったといってくれたので
わたしも同じでしたと、感謝をしてお別れをしました。

そしてこの楽しかった出会いも、
出発直後に道にまよっていなかったらなかったことだと思うと、
やはり何事にも意味はあるなとつくづく思ったのでした。

そしてつきました

第84番札所 南面山 千光院 屋島寺

(なんめんざん せんこういん やしまじ)
宗派  真言宗御室派
本尊  十一面千手観世音菩薩
創建  天平勝宝年間(749〜756)
真言  おん ばさら たらま きりく

こちらを開かれたのは 鑑真和上です。
唐から太宰府について奈良までの途中でこの地に寄られたとか
歴史あるお寺です。
ちなみに太宰府にも鑑真和上が到着後開かれた戒壇院と言うお寺、
そして空海さんがしばらく滞在していた観世音寺があります。

ここを入る手前で清子さんとお別れ

屋島寺境内は広々していて、
変わった形の屋根の建物があったり
あちこち目が行きます。
でも一番印相に残っているのは、はやりたぬきさん
蓑山大明神(みのやまだいみょうじん)
またの名をたさぶろうたぬきさんの像です。
本堂の右手にいらっしゃいますが
四国狸の総大将だそうです。

たさぶろうたぬきさん

土地の氏神様であり、子宝、縁結びや家庭円満などの神様だそうです。
民話や伝承も含めて、よそのエリアではきつねの話が多い気がするけれど
四国はやっぱりたぬきさん!」という印象を
勝手に持っていたので、
ここのたぬきさんが総大将かと、うれしくなりました。

こちら👇音声での配信です。リアルボイスで是非聞いてみてください。

その後、こちらもお参りをすませ、納経所に入りました。
そこで、次の八栗寺までの道に少し自信がなかったので
地図を一緒にみてもらって、お尋ねしたのです。
すると「この道は急な下りだけど、まだ雨が降っていないから
大丈夫だと思うよ、気を付けてね」と教えてくださいました。
そして更に、チョコレートのお菓子を「お接待」といただきました。
なんともとてもやさしい雰囲気の納経所内でした。
書いてくださる方のお人柄かもしれませんが、
私の印象では、88番札所中一番優しい!と思うほどでした。

唐招提寺の屋根の鴟尾と同じですよね?

そんな皆さんに見送っていただき、
そしてそこから1時間半、約4.2㎞の道のり、
距離は大したことはありません。
ただ、かなり急な遍路道と言う所がポイントでした。

ここは道なの?とちょっと思う林の中だったり、
山道の入り口にゲートが設置されており、
「イノシシ侵入防止柵。扉をしめてからはいってください」
ありまして、イノシシと出会いたくないな、と思いましたが
この柵で入らないようにしてあるのだから安心なはず、と思い直すも
でもちょっと緊張しながら、ひとり進んでいきます。

下る前の眼下
これ下ってますが急すぎて、目が変になります
この柵を飛び越えることはないのかな?と少し思う

とはいえ、その後、無事にすっかり坂を下りきりました。
しばらく住宅地や小学校などの横を進み、また登山口まで。

勿論、ここから歩いて登る方が良いのだろうなあと思いつつ
ただ、ここは乗り物好きのわたくしでもありますし、
雨もぽつぽつ降ってきていますし、と、
ここからはかわいい八栗のケーブルカーに乗車です。
実はこれをとても楽しみにしていたのです。

下から歩いて昇っても25分程度だそうですが
ケーブルカーは5分ほどでつきます。
8時50分のの載っています。

この顔が可愛くて好きです

帰りは歩いて下るので、片道だけチケットを購入、
当時で560円とメモしています。

そしたら丁度ケーブルカーに乗ったとたんに
たくさん雨が降ってきました。
これは助かったけれど、降りた時が、と心配もしましたが
ありがたいことに、降車したら止みました。

ケーブルカーから下をみる

つきました八栗山上駅からは歩いて5分
はじめに鳥居があり、そこをくぐって札所です。

この先です

第85番 五剣山 観自在院 八栗寺

(ごけんざん かんじざいいん やくりじ)
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 聖観世音菩薩
創建 天長6年(829)
真言 おん あろりきゃ そわか

八栗寺は、屋島の東、源平の古戦場を挟み、
標高375mのお山の8合目にあります。
参道には、ずっと石仏などもならんでいて
丁度、雨の蒸気かもしれませんが
霧がかかったようになっていたので
とても神秘的に映りました。

そして、さっきはたぬきさまでしたが、
こちらには本堂横に歓喜天が祀られています。
聖天堂さんとして商売繁盛などで親しまれているそうです。

御本堂
今度は象さん

滞りなく納経を終えてから、
岩肌などもそそりたって素敵だと喜びながら、
スマートフォンで写真を撮っておりました。

そしたら急に、スマートフォンがフリーズ
湿気がすごかったからかなと焦りながら、
しばし格闘、何度もトライして
何とか再起動できてほっとする、と言う出来事がありました。
これが前兆だったとは…

このお姿を撮った後にフリーズ…

その後、今度は歩いてお山をおります。
その間、雨は降ったり止んだりが続きました。
そのまま下山しきると、琴電の八栗新道駅につきあたります。
ここで時計をみると10時26分。
雨も心配だし、この後は、電車でもいいかなと思いましたが
いやいや、せっかくだから、それにもうすぐ終わってしまうお遍路ですから
できるだけ歩こうと思い直します。

とはいえ、気になるのはお天気です。すこし風が強まってきました。
ただ雨はまた止んでくれたので、午前中はもちそうだと進みます。
次はまた平坦な道、アスファルトですが
住宅や小店が並ぶので生活感があり、
その土地の暮らしに触れられるようで楽しくなって、
きょろきょろしなが歩きます。

途中、平賀源内邸というのがあり
あらこんなところに,、と、ちょっとおもしろかったり

なにかの白壁

琴電の駅でいえばさっきの八栗新道から二駅の志度駅、
JRの高徳線の志度駅もすぐですが
そこからすぐ近くのお寺が次の札所。
この辺り旅館もたくさんあり、昔から栄えていたのかもしれません。

そしてついたのは

第86番札所 補陀洛山 志度寺

(ふだらくさん しどじ)
宗派 真言宗 善通寺派
本尊 十一面観世音菩薩
創建 推古33年(625)
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

こちらのお寺は創建が推古33年と古いですね。
そして開いたのは、藤原鎌足の息子の藤原不比等さん
これはお能の謡曲「海人」の原型になる伝説があるお寺です。
それが「海女の玉取伝説」
この不比等さんと奥さんにまつわる伝説です。

不比等さんは、お父さんの鎌足さんがなくなったので
興福寺建立を発願したそうです。
そしてここに唐から贈られた宝珠を祀りたいと思われたそうです。
そこで唐の第三代皇帝、高宗に嫁いでいた鎌足さんの娘が、
三つの宝物を贈ったとも伝わります。

ところがそれが奈良に着く前に
志度の浦で竜神に奪われてしまったそうです。
そこで不比等は身分を隠して志度に来て、
この地の海女さんと恋に落ちて更に男児が生まれたそうです。

その後、不比等は素性をあかして
実は「宝珠を取り返しにきたんだ」というと
奥さんになっていた海女が
「では私が取り返してきましょう。
その代わり息子を藤原の跡取りにしてください」と言って竜宮に潜り、
死と引き換えに奪還してきたそうです。

そこで悲しんで、不比等は「死度」と書いてシドと名付けたそうです。
でもその後、今の志度に改名されたということです。
伝説としては、え?なんで隠して?といろいろ突っ込みどころ満載ですが
ともあれこんな伝説があるお寺についたのは11時40分でした。

その後、納経を終えましたら、
また親切に納経所のお母様たちが
「ちょっとそこに座って、お茶のんでいったら?」と
すすめてくださいました。
こちらの納経所はソファが置いてあり、
寛げるような場所になっているのですが
すぐにTVをつけて、台風情報を見せてい下さいました。
この時はもう高知は大荒れでした。
「まだこっちには来ないけど、気を付けてね」と送り出してくれました。

87番さんまでの大雨

さて、ここからです。
この日は、次の87番札所のすぐ横に宿をとっていましたから、
まずはそこまで向かいます。

雨の状況を考えると、
すぐ近くの志度駅から一番近くまで鉄道を使うことも考えはしました。
しかし、普段から、なんだか台風などで気分が上がりがちになる私ですので「これはもう歩こう!7kmくらいだし、
今までもずっと雨の時を歩いていないから、
最後に雨の中というのもいいか。まあ普通の雨じゃないけど」
などと思い、歩きを選択、スタートしました。

初めは順調でした。
けれど1時間くらい歩いた所でした。
雨がどどどどっ~と、大降り本降り。
線路沿いを歩いているので、駅も近いはずなので
そろそろ出てきてもよい「オレンジタウン」と言う駅にむけて
折れる道を探しはじめていました。
前が見えないほどの雨になっていました。

けれどそうしているうち、バス停を発見しました。
歩いているのが3号線という大通り沿いでしたから、
これに沿ってバス停があるということに気づきました。

この時見つけたバス停は幸田(こうでん)と言うと所でした。
時刻表をみると本数はやはり少なく、
20分後にしか来ないようでした。
何もない通りにポツンとバス停、完全に雨ざらしです。
だったら歩いても一緒か、と思いまして、
駅への道を探りながら進もうとしました。

けれど雨で視界が悪いのもあるのか
もうそろそろ見えていいはずの道が、なかなか見つからず、
結局その前に、というか、結果的には通り越していたはずですが
長行(おさいき)と言うバス停が建っている所まできました。

幸い、このバス停のすぐ前の道沿いには、
古い木の雨戸が閉まっている民家がありました。
駄菓子屋さんのような、小さな小売り商店と言うイメージの建物でした。
多分、このスペースにはアイスクリームのショーケースが
置いてあったのではないかな?と思うような
いろいろ想像が膨らむ作りでした。
そしてそこには、ちょっとだけひさしがでていました。
いわばお店の軒下の前にバス停があったのです。
雨宿りができ、これはありがたい、ここで待とう、と思い
待つこと5分。バスがやってきました。

13時06分に乗り、旭町と言う所に13時10分着。
降りる時に運転手さんに
「次の長尾寺にいくのですが」と方向を尋ねたら
そのバス停が近いよと、
初めに調べていた所より手前で降りることを教えてもらい助かりました。

そしたら更にその時の運転手さんが仰いました。
「この後、13時35分のバスが88番札所の大窪寺まで行くよ。
帰りも間に合うだろうから、87番さんを急いでお参りしたら、
そのまま88番さんまでいけるよ。」
これは助かる情報でした。

もし台風が長引き、翌日に動けないということになれば、
今日、今から行ってしまった方がいいとも考えられます。
だとしたらこのバスがつかえそうです。

でも、最後のお山は歩こうと思っていたのです。
それにこの時の雨がとてもひどかったのも気になる点です。
結局、この雨の中に88番札所最後をお参りするくらいなら
ひとまず明日に賭ける方がすっきりするのではないか、と考え、
この日は予定通り、この日の最後の参拝はこちらになりました。

第87番札所 補陀落山 観音院 長尾寺

(ふだらくさん かんおんいん ながおじ)
宗派 天台宗
本尊 聖観世音菩薩
創建 天平11年(739)
真言 おん あろりきゃ そわか

こちらのお寺には、二つ前の札所の屋島とは違う
義経の方の悲しい伝説があります。
恋人の静御前は、ここで剃髪して髪を埋めたのだそうです。

まずは納経をすませ、
その後、ここでは幾人かのお遍路さんと話をしました。
お一人の方はお泊りは「あずまや」だとおっしゃっていました。
このお寺の前と隣には、ふたつ有名な宿があり、
たいていどちらかに泊まるとは聞いていました。
私はもうひとつの「ながお路」さんにしてましたが。

そしてこの宿は本当にすぐ塀を隔てて隣、
しかも私が使わせてもらった部屋の窓からは
しっかり境内がみえる距離です。

これは翌日の朝の写真ですが、このすぐ横のお部屋

参拝が終わったの14時でした。
そのまますぐ宿のインターフォンを押しました。
宿の奥さんがお部屋に案内してくれました。

携帯フリーズ再びと、宿の方々

お部屋に入ると、まずは濡れたものを乾きやすいよう広げて干し、
それから近くのスーパーに買い物にいきました。

ところが、またここでスマートフォンがフリーズ!
ヤッパリさっきのは前兆でしかなくて
いよいよだめなのか…再起動もできない。…
どこをどう触っても黒い画面のまま‥‥
もう、かなりの衝撃でした。

これはかなり厳しいなと思いながらも、
ともあれ、このままでは、「無事宿に着きました」と
家族に電話を入れることもできないので、
まずはスーパーマーケットの公衆電話から、その旨を連絡しました。
こういう時のためにと、ずっとお財布の中にいれていた
テレフォンカードが役立ちました。

その後、どうなるのかなとやや心配しながら、
でも一方で、まあそれならそれで仕方ないと、
諦めながら、宿に戻りました。

引き戸を上げるとバックパッカーのような姿の
外国人ご夫妻がチェックイン中、
私の時と同じように彼らを案内してきた宿のお母さん。
するとお母さん私の顔を見るなりすぐに
「丁度よかったお風呂はいりなさいよ、お湯入れたわよ、
さっき部屋に知らせにいったらいなかったから…」と。

旅館といっても普通の一軒家、
2棟向かい合って建っています。
私がお借りしたのは新しく建てられた
二階建てのこちら。
お風呂も家庭のお風呂ですが
まだ新しくとても綺麗でした。

折角なのですぐ一番風呂をいただき
それから、翌朝は早く出発するつもりなので
先にお支払いを済ませておこうと思ったのと、
スマートフォンが動かないから、そうです、
つまりアラームセットができない、
目覚まし時計がないと起きられないかも…
お借りできないか…とお願いしようと
母屋の戸を叩きました。

出てこられたのは若旦那さんでしたが
「時計はないから起こしてあげますよ」と言って下さり
更にご親切に、もう一度、家に電話しておいたらどうですかと
携帯電話をかしてくれました。

さっきよりはじっくりスマートフォンを確認した後でしたので
家族には、ロック画面のまま動かないとは言え、
ショートメッセージはあらわれるので
それは見ることができると告げました。
なにか解決法がないかどうか調べて
解ったらそこで知らせると言ってもらい、
部屋に戻りました。

そしたら!
しばらくして夫から「この方法を試してみて」と
ショートメッセージが動かない画面に表示されました。
おお!これはやっていない、と、やってみたら
おかげさまで無事復活!
すぐさまもう一度、若旦那さんの所まで行き、
「解決しました」とお礼をいいました。

その時、今度はそこにはお母さんからは
彼女は「明日結願なら、遍路センターに寄っていくといいわよ。
遍路の証明書くれるから」と言われました。
わたしも、そこまでは間違いなく歩くつもりでした。
でもこの証明書は、歩き遍路さんへのものです。
それは知っていたので「全部歩いたわけじゃないので」と答えると
「じゃあダメかもね」とバッサリ。
まあ、そうだな、でもせっかくだから寄ってはみようと思いました。
お母さん、なかなかさっぱりした気質の御様子でした。

とはいえ、実はこの時間にはもう、
玄関に新聞紙がおいてありました。
そうです、この日はみんな雨でずぶぬれ。
既に脱いで上がっているお遍路さんの靴は、くるまれていました。
水気を吸い取って乾かしてあげようとしてくれる宿のお接待でした。
お母さんは、わたしにも
「寝る前にもう一度新しい新聞紙にかえなさいね」と仰いました。
さすが最後の遍路宿です。

ここが玄関

言われた通り、新聞紙を取り換えて、
多分、10時半ごろには眠りに落ちていたと思います。

ということでこの日はここまで
次回はいよいよ最終日です
最後の山越え、どんな気持ちで登り、
どんな気持ちで結願となるのか、
それが楽しみでした。

そんなお話も記していきたいと思います。
よかったらまたおこしください。

今日も最後までおつきあいいただきありがとうございました。

最後に気持ちとしてはこんなポップさ
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