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四国遍路記録⑲運転手さんお陰の出会いや弘法大師お膝元いざ善通寺

毎週水曜日個人的四国お遍路記録
前回はイレギュラーで高野山のお話になりましたが、また戻ります。
今回は区切り打ち6回目のこと。
今回は初チャレンジで、深夜高速バスに乗り、
朝一から動けるようにして
バス車中1泊と、香川での1泊の2泊3日。
66番札所から78番札所までまわりました。
良かったらおつきあいください


バスの中で観た夢に…

さて区切り打ち5回め時には
おなじく、朝一番から動きたいからと
船にのって行きましたが、
今度は高速バスをつかってみました。

幸いお席も広めでゆったり座れました。
ただ途中、時間調整もあるのでしょう、
パーキングに停車していたようで
その時に目がさめてしまったりしていました。

でも、この時に、まだ着かないのに
既にうきうきした私は、とてもステキな夢を見ることができました。

なんと、空海さんが来てくれたのです。
空海さんは旅姿で、よく像になっているお姿ですが
そのまま高速バスのバス停まで迎えにきてくれて

「こっちだよ、よくきたね、もうすこしだよ」と仰いました。
まもなく到着と言う時だったので、
うれしかったですね。

高速バスは、福岡市の繁華街天神と言う所にある
バスセンターを21時半に出発、丸亀駅前に朝6時50分予定でしたが、
20分ほど早く6時30分につきました。

平日ならここからコミュニティバスをつかって
近くまで行きたい所ですが、この日は日曜日。
コミュニティバスがお休みの日でした。

駅での出会いに感謝

そこでまずはJR四国予讃線で丸亀6時50分発でみの駅まで乗車。
7時20分に着きました。

そして今回も実は
またコース取りを考えて順番を変えました。
本当なら、66番札所から再開の所を、
二日目に66番さん(厳密には67番からにしたのですが)にして、
この初日は、まずは71番~77番札所へ行き最後に70番札所
という順番でまわりました。

とういうわけで、まずは71番札所に向かいます。
そこで一番近いであろう駅まで乗ったのですが、
ここから71番札所までは
前のお寺からの遍路道ではないアプローチなので
舗装道、車道の横を歩くことになる、
例のわたしのあまり得意ではない道になります。
でもこれも仕方ないと思いながら降り立った無人駅。
けれど駅舎は妙に可愛い印象の木造、
待合室にも木のベンチがありました。

そして、実は二人でした。
わたしと先頭車両からもうひとり、
お遍路姿の若い女性でした。

駅舎入口から見える通りには、
タクシーが停まっていました。
彼女はすっと乗り込んでいきました。

とてもじゃないけれど、
タクシーが待っているような駅ではありませんから、
おそらく呼んでいたのでしょう。
そうか、ここからだとそれも正解だななどと思いつつ、
私はまずはお手洗いを済ませておこうと向かいました。

ただ、とても残念ながら、
あまりお手洗いがキレイではなかったので、
すぐに待合室に引き返しました。

すると、さっきの女性がタクシーから降りてきていて
「もしかして弥谷寺ですか?」と私に声をかけてくれました。
71番札所のことです。

「はい、今から向かいます」と答えますと、
「乗りますか?」と聞いてくれました。

実は運転手さんが
彼女が乗り込む前に、先に降りてきた私の姿もみてたそうで
「お連れさんじゃないの?彼女もお遍路さんだよ」と
言ってくれたそうです。

私は実は駅で着替えるつもりで、
まだ白衣姿ではなかったのですが、
お杖が見えたのかもれしません。

ともかく気づいてくれて、
「一緒にのっていったらどう?」と
提案してくれたのだそうです。

初めの「お連れさんじゃないの?」と言う言葉も
おそらく連れ出ないことは解っていたのではないかと思います。
同じ女性お遍路さんだしと、
心遣いをしてくれたのかもしれないと思います。
なんてありがたい出会い、運転手さんが違う方なら
こうなってはいなかったかもしれないのです。

彼女にも運転手さんにも感謝を伝えて
相乗りをさせていただきました。
そして10分後には、到着していました。

勿論、車中や本堂への道すがら
彼女といろいろお話をしましたが
青梅市にすんでいらっしゃるとのことでした。
そして今回が結願、88ケ寺全部回り終えるのだそうですが、
ここに至る前8年かかっての区切り打ちだったそうです。
というのも、毎年ゴールデンウィークにしか
まとまったお休みがとれないお仕事だからなのだそうです。

音声での配信も、よかったらこちらから👇

しかし実は、この71番札所は
前回、既にまわり終えていたそうです。
ではなぜ再訪したかというと、
「お御影をいただいたのに、
おそらくお寺に忘れてきてしまったので
もう一度、いただきにきたのです」とのこと。

彼女は、今回、88ケ所納経を終えたら
そのまま高野山までいくことにしているのですが、
どうにも、このお御影を忘れてきたことが
とてもとても悔やまれて、ショックだったと仰るのです。

それで私はつい老婆心ながら
「わたしはこのお寺に来るのを、
とても楽しみにしてに来たのですけど、いいお寺ですよね」といいました。
そしたら彼女は、
「わたしもここは大好きなお寺のひとつです」と仰いました。

そこでまたつい
「居心地がよかったり、もうちょっとここにいたいなとか、
また来たいなと思う所では、落とし物や忘れ物することって
結構ありますよ、だからまた来れたのかもしれませんね」と
言ってしまいました。
彼女もちょっと嬉しそうになさっていたから、
余計なことですけど、ちょっとよかったかなと思ったりもしました。
そしてお陰で私たちは出会えたとも思いましたが
これは言葉にはしませんでした。

そんな素敵なお寺がこちらです。

階段の先が本堂です

第71番札所 剣五山 千手院 弥谷寺

(けんござん せいじゅいん いやだにじ)
宗派 真言宗善通寺派
本尊 千手観世音菩薩
創建 天平年間(729〜749)
真言 おん ばざら たらま きりく

本堂までは長い石壇が続き、
その下までタクシーで送ってもらいました。
駅からの料金は1200円ほどでしたからそんなに遠くはないのですが
お山としては標高382m、霊山と呼ばれる弥谷山の中腹にあるお寺です。

緑の中に現れる岩とお堂

入口には茶店がならび風情ある参道、
更に階段のぼっていきますが、
その側面、横にはずっと岩壁。
そしてそこには石仏がならんでいて
岩壁を背に本堂が立っているのです。

その後、大師堂の方は更に階段をのぼって
靴をぬいであがるお堂です。
ただ、室内ではあるのですが
ぐるっと回りこんで奥にいくと
獅子の窟屋と呼ばれる岩窟があります。

そこは、弘法大師が9~12歳の頃、修学(学問)に励まれた岩屋
といわれていて、今も弘法大師像が鎮座しています。

ずっとここに座っていたい場所でした

ここがもうとっても心地よくて
まわるの休んで、しばらくいたいと思うくらいでした。
そういうわけにもいかないので
次へとむかいましたが、帰りもまた先の彼女と一緒になりました。
そこで私は彼女にアドバイスをもらうことができました。

この日は4月26日でた。
もう春も少し季節が進んでいます。
そして次のお寺への遍路道は山道であり、また竹藪になっています。
そしてそこには蛇が出るという話をきいていました。
冬ならまだ出てこないのですが
暖かくなると危ないということです。

ですから、既に同じ季節に回っている彼女なら
なにかご存知かと思い尋ねたのです。
そしたら「多分まだ大丈夫だと思いますよ」との答え。
そこで安心して、彼女はつづきの道にもどるため、
私はその72番さんへ向かう遍路道へ進む分かれ道で
さよならしました。

道そのものは好きなタイプです
所々に石仏

そしてそこから徒歩約30分、距離にすると4㎞弱、
雑木林を下り、また街中の舗装動に出て
高速道路の下をくぐったりしながら着いたのが

第72番札所 我拝師山 延命院 曼荼羅寺

(がはいしざん えんめいいん まんだらじ)
宗派 真言宗善通寺派
本尊 大日如来
創建 大同2年(807)
真言 おん あびらうんけん ばざらだどばん

こちらは、境内そのものはそんなに大きくはないですが
近くに庵を建てて7年余り暮らしていたのが西行法師という
素敵なエピソードがあります。
西行法師はこの寺に通い、本堂前の平らな石に上があって
よく昼寝をしていたそうで、
この石は「西行の昼寝石」と呼ばれているそうです。

何となく落ち着く丁度いいサイズのお寺

さて、納経を終えて移動しますが、次はとても近くです。
徒歩わずか5分、400mで着きます。

第73番札所 我拝師山求聞持院出釈迦寺

(がばいしざん ぐもんじいん しゅっしゃかじ)
宗派 真言宗御室派
本尊 釈迦如来
創建 奈良後期〜平安時代前期
真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

ここはもう幼少期の弘法大師
まだ真魚(まお)ちゃんだった頃のお話が伝わっていて
ファン(といっては何ですが)にとってたまらないお寺です。

境内の脇に遥拝所がありますが、そこは捨身ケ嶽
このお寺、出釋迦寺の基になっている、
弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」です。

この捨身ケ嶽は、境内から50分ほど登った場所にあり、
そこからさらに100m進むと、岩場である
大師捨身のお行場があります。
毎月、旧暦15日には護摩祈祷が行われていて、
その時はお寺からそこまでマイクロバスが出ているそうです。
一緒にまわっていた友人が、ひとりでまわった時は
丁度このバスがあると教えてもらい、お参りができたそうで
うらやましいタイミングでした。

捨身ケ嶽の伝説

ここでご存知のない方のために、伝説をご紹介しておきます。

弘法大師が「真魚(まお)」と呼ばれていた7歳の時。
我拝師山(がばいしざん)に登って
「私は将来、仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。
私の願いが叶うなら、お釈迦さま、どうぞ姿を現してください。
もし叶わぬのなら、一命を捨ててこの身を諸仏に捧げます」と、
断崖絶壁から身を投じました。

すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、
雲の中で弘法大師を抱きとめました。

願いが叶うことを示された弘法大師は、
青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、
お堂を建てたといいます。

その時の様子が手ぬぐいに

そしてお勧めのお土産はこちらです。
出釈迦寺には、この伝説を描いた手ぬぐいが販売されているのです。
これがなんともかわいくて気に入りまして、
普段使いと、しまっておくのと、飾っておくために
3枚いただいてまいりました。

さて、そしてここからまた歩き始めますが
ここからは、本当に弘法大師のお膝元だなと
あらためてあちこちで感じる道を行きます。

静かな住宅地を歩いたり、少し田畑の間を抜けたりしながら約2.8km、
40分ほど歩いて着いたのが

第74番札所 医王山 多宝院 甲山寺

(いおうざん たほういん こうやまじ)
宗派 真言宗善通寺派
本尊 薬師如来(伝弘法大師作)
創建 平安時代初期
真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

弘法大師は幼少期に、このお寺のまわりで、
よく遊んでいたと伝わっています。

そして大人になってからは
この近くの満濃池を修復した業績が有名です。
香川県は慢性的な水不足で困っていたそうで、
その際、灌漑用に満濃池という大きなため池をつくっています。
けれど今度は、これが決壊してしまうということがあったそうです。

それが9世紀初めのこと、
弘法大師空海はこの池の修復工事をわずか3ケ月で成し遂げたそうです。
弘法大師は、土木の知識も学んでいたのです。
そしてこの時に朝廷からお礼をいただき、
それで建てたのが、この甲山寺、
工事の無事を祈って彫った薬師如来をご本尊にしたと伝わっています。

ですから、この満濃池にもお参りするお遍路さんもたくさんいます。
こちらにもよると少し時間も距離もかかりますが、
直接次に進むなら、またすぐ、近くです。
住宅地を抜けて1.4㎞、徒歩約15分で
やってまいりました

第75番札所 五岳山 誕生院 善通寺

(ごがくざん たんじょういん ぜんつうじ)
宗派 真言宗善通寺派
本尊 薬師如来
創建 大同2年(807)
真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

もう、こちらは周囲も含めてすっかり
観光地のようになっていますし、本当に人が多くて驚きました。
名物のお菓子屋さんなども並んでいて、その前にも行列。

境内はといえば、とにかく広い、
境内の真ん中に道があり、二手に分かれていましたが
初めに本堂をお参りするつもりが
大師堂方向に出てしまっていたりしました。

そしてこちらのお寺は、
わたし事ですが、祖母が幼少期に近所に住んでいて境内で遊んだ、
本堂の周りをくるっとまわったりしていた、と、聞かされていました。
はじめてその場に立ち、「ここかぁ」と、今は亡き姿を思い浮かべました。

と、本堂で、そんなこと思っていた時でした。
なぜか年輩のご夫婦が、私の前にどんどん近づいてきました。
他にもたくさんの人がいるのに、何だろう?と思っていましたら
ぐいっと、iPadをわたされました。
ご夫妻が並んでいる、2人の写真をとってほしいということでした。
なるほどと、勿論、おひきうけしまして撮りました。
そしたら、今度は100円玉を差し出されます。
そして「私たちはここしか来れないから、御接待です。
これくらいしか渡せないけど」と言われました。
他にも沢山お遍路さんはいたのですが、
なぜか私だったのでしょう。
ちょっと押しの強さに驚きましたが、
わたしが声がかけやすかったなら良かったと思いながら
「では最後の88番さんで御浄銭にいれます、お預かりします」
と、いって次のお寺へと向かいました。

次は距離にして4.3㎞、
1時間くらいかかっていました。

第76番札所 鶏足山 宝幢院 金倉寺

(けいそくざん ほうどういん こんぞうじ)
宗派 天台寺門宗
本尊 薬師如来
創建 宝亀5年(774)
真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

お寺までの途中には、随分低いJRのガードの下をくぐり、
丁度、そこにアンパンマン列車の特急南風がみられたり、
道行く年輩の方が優しい笑顔だったりと
とても楽しい道でした。

そして着いたお寺は上記のように、
天台寺門宗、初めて出てきた宗派です。
実際、趣も、雰囲気も、何となく違う、と言う印象でした。

こちらのお寺、元々は地元の豪族の
和気道善(わけのどうぜん)さんが創建したそうです。
その後このお寺で、弘法大師の姪御さんが男の子を産んだそうです。
そしてその子は延暦寺に修行に行き、
その方が智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)さん
天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)祖として知られる方だそうです。

いうことで、この寺には弘法大師と智証大師
さらには天台宗の伝教大師(でんぎょうだいし)すなわち最澄さん、
さらには、山岳修験道の祖である役行者さんも祀られているのです!!
これはなかなか珍しく、にぎやかで、なにより懐が広い!
と、楽しくなるお寺でした。

なんだかとても満たされた気持ちで、お寺を後にしました。

さて、ここからですが、今度は鉄道を使います。
駅までは徒歩5分なので行ってみました。
すると駅に着いたのが13時47分
多度津まで乗車するつもりでしたが、
6分前に既に発車していました。
そしてその次の列車は14時22分発、
結構、時間がありましたが、朝からずっと歩いているので、
丁度待合室もあったで久しぶりに腰をかけて待つことにしました。
そう言えば食事もしていませんが、
わたしはこういう時は、カロリーメイトが丁度よいのです。
食べながらしばしの休憩です。

そして、土讃線・金蔵寺駅 14時22分発
多度津駅に14時26分着で移動をしました。

そうです多度津駅、
「おお、ここがかの少林寺拳法の本山があるところか」と
駅の売店にあるオリジナルグッズを興味津々で眺めました。

でもそれよりも、あ、あったパン屋さん!
そうですウィリーウィンキーをみつけました。
そして、またもやそうです、
カロリーメイトの後は、もっとタンパク質、
カツサンドで栄養補給です。

駅を出るとSLが展示してありました

駅から次のお寺までは、また舗装道ですが、
時間的に10分ほどでした。
ついたのが

第77番札所 桑多山 明王院 道隆寺

(そうたざん みょうおういん どうりゅうじ)
宗派 真言宗醍醐派
本尊 薬師如来
創建 和銅5年(712)
真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

77番札所から歩いても3.9km ほど、1時間半くらいのようです。

このお寺は、この地方の領主、和気道隆公
桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、
草堂を建てたのが寺の初めだそうです。
そしてこの道隆さんは、
一つ前の76番をたてた和気道善さんの弟さんだそうです。

道善さんは「どうぜん」と言う読み方ですが
こちらはそのまま「みちたか」さんです。

領主の方が建てからかなのか
仁王門も堂々と強い感じがしました。

境内には石仏がならびます

さてこの日は71~77と進んできましたが、
ここから、後まわしていた70番札所へと向かいます。
そして次のお寺でこの日を終えるプランでした。

またJRで多度津駅発15時31分に乗車
本山と言う駅で15時57分に降りました。

そこから徒歩14分、約1.2㎞です。
到着時刻が16時半でしたから
何とか納経時間にすべりこむことができました。
着いたのは

第70番札所 七宝山 持宝院 本山寺

(しっぽうざん じほういん もとやまじ)
宗派 高野山真言宗
本尊 馬頭観音
創建 大同2年(807)
真言 おん あみりとう どはんば うん ぱった そわか

こちらのお寺には、四国霊場では
竹林寺・志度寺・善通寺と、この本山寺の4ヶ所だけ、
という五重塔があります。

丁度、お庭掃除をしていた方が
その五重塔を指して
「少し傾いているのがわかりますか?」と教えてくれました。
確かに斜めにみえました。
また、屋根の大きさや、張り出しが、同じサイズで作られているから
細く見える塔なのだそうです。

そんな五重塔ですが、その後、2019年に修復されたと
ニュースになってました。
斜めだったのはわざとではなかったのだと
その時にあらためて思うといううっかり者の私でしたが、
ある意味、傾いた歴史ある貴重なものをみせていだいたと
有難い気持ちでした。

傾いているでしょ?

そして何より、こちらのご本尊は馬頭観世音菩薩。
勿論、四国霊場では唯一のお寺です。
本堂のそばには馬の像がたっています。

馬が草をモリモリ食べるように、様々な魔を食べてくれるとか、
旅の道中を守ってくれるとか、伝わる馬頭観世音菩薩、
御姿は可愛い馬ではなく、憤怒の面ですけが、慈愛の菩薩さまです。

そしてここで丁度17時、今日はここまで、
鉄道も使いながらですが歩いた距離は14.2㎞の1日でした。

その後、お寺からすぐのところに予約をしていた
マンションタイプのお部屋にチェックインしました。
近くにスーパーもあったので、そこでお買い物をして、
お部屋でお食事、くつろぎました。

普通のワンルームマンションみたいなところでしたから
また、お風呂でお洗濯などして、初日終了です。

畳のお部屋はありがたいです

ということで今回は弘法大師さんが
幼少期をお過ごしになった縁の地やお膝元、
そして善通寺を無事お参りした回でした。

今回も、最後までおつきあいいただきありがとうございました。
次回は2日目雲辺寺という結構なお山もでてきます。
ここのコースどりもあって今回、70番台を先にお参りしました。
またよかったらお越しください。

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