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どこからがエゴの押し付けになるのか

最近家族で旅行に行ってきた。
旅行から帰ってきた翌日の朝、子どもが早朝から泣いていた。
早朝から対応していて疲れたので朝になって手伝ってほしいと旦那を起こしに行った。

すると、「眠たい」と起きないのである。
さらに「昨日頑張ったから。」とキレてきた。

は???

「私も頑張ってたし自分だけじゃない。」というと
「泣いててもいいやん。どうにでもなる。」

まぁ、そりゃそうだ。

「旅行の計画も料理も自分のやりたいようにやってるだけやん。なんでもよかった。自分が勝手にしたいようにしてるだけ」と言うのである。

私は旦那が休みがとれそうだから旅行に行こう、俺が決めるというので待っていたのだが1ヶ月を切っても何もしていないようだった。
今まで何をするにも私が計画を立てたり予約をするので問題はないのだが、やると言ったからにはやってほしかった。

私はせっかくなのでその土地でしか食べられないようなものを食べたいと調べていきいくつか候補を出していた。それもどうでもよかったらしい。
本当はどうでもよくないのだが。(旅行中どこでも良いと答えるとその時調べて候補を出してきた)

その話を聞いて最初はかなりイラっとしたが、よく考えるとそうだなとも思った。

勝手にこちらがそうした方が喜んでくれるだろうなどと思っていた。
こうしたら○○のためかもしれないというエゴに過ぎなかったのだ。
結局は私が喜んだ姿をみて嬉しくなるからこうしたい。というのだ本当の思いだ。

それをあたかもこうしたら喜んでもらえるという考えが傲慢だったのだ。
それを相手がどうでもよいと思ってる時点でひとりよがりなのだ。

痴漢もパワハラも一緒だ。受け取り手がそう思ったのならもうそれはそうでしかない。
事実が大事というより相手の解釈が大事なのだ。

わかっていたようでわかっていなかった。そう思うとすごくスッキリしたし腑に落ちたし、これからは自分がしたいからするようにしようと思った。

私が喜ぶ顔がみたいからする。もし喜んでくれなかったら次の一手を考える。考えるのがしんどければやめてしまえばいい。

自分に正直に生きていないからずっとなにかしんどい気がしていたのだ。
私の当面の目標は自分に正直に生きることにしようと思う。

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