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結局は誰も得をしなかった選挙結果。大統領選を別の角度で見てみよう。

今回の米国大統領選挙では、いろいろな角度で様々なメディアが論じてはいるものの、私個人は、どれも見る価値に値しないのと、あまりに視点が狭い尺度で幼稚に議論し、憶測ばかりの報道には、ほとほと嫌気が差していました。そこで、今回は、全く別の角度でこの世界中の注目を集めた、2020年米国大統領選を考えてみたいと思います。

トランプ嫌いが勝った事が、そんなに良いことなのか?

まず、ドナルド・トランプ氏の悪いところは今更論じても不毛だと私は思うので、良かった点だけ考えて見ますと、第一に良かった点は、見捨てられた白人層を取り込んで政治に引っ張り出したこの1点は、価値ある事だと私は思います。

小説タバコ・ロードのテーマでもある、愚かで無知なプアホワイトと呼ばれる、労働者階層の白人。学歴も低く、また米国の最下層でこれまで米国の生産を下支えしたかつての栄光ある、1950年代のアメリカンドリーム。

まずアメリカは、ベトナム戦争以降、不況から立ち直っては、サブプライムローンの住宅バブル、金融バブルを経験しては破綻し、産業の空洞化でIT産業も、もはや純粋な米国人技術者だけでは成り立たない、良く言えばグローバルな、悪く言えば移民や海外との取引なしでは、米国として独り立ちできないまでに、その力は萎えたと言わざるを得ません。

一方で、したたかに外国との取引で、金融、または技術提携と言いながらも、事実上の身売りをしてまで、米国企業は一部、いや、ほとんどすべてが国内需要だけでは、景気を支えられなくなっています。

ここに、”取り残された人々”がいたわけです。この人達にいまだ根強い、グローバリズムやある既得権を持つ、都心部や金融などで利益を得ている人々に比べ、近代では労働、頑張れば這い上がれるという原則のハシゴを外され、夢を諦めた人々の愛国心に対して、それに応えたのがトランプ大統領でした。

私は、愛国心というカビ臭い思想は、今日では通用しないと考えていますが、それでも、努力しても報われないのは本人の努力や才能がないのだという、暗黙の了解がどこかに潜むのが現代社会の暗部だと確信しています。

そもそも、才能だけで成り上がって夢を実現するのが、本来のアメリカンドリームであるはずなら、生まれとたまたま貧困層に生まれ、自分たちは人権侵害を訴える事も出来ず、また逆に自由な事を言えば、激しいバッシングを受ける”白人”というレッテルが、裏を返して差別的な思想に染まるのも、私は無理がない方向性だと思います。

分断というのは、始めから存在していた

結果的に、民主党の弱者救済型のバイデン候補が勝利した形になりましたが、私は逆にこれが元で、米国はさらなる混乱の時代へと突入すると考えています。それはまず、バイデン候補も、トランプ大統領とさして大きな違いを感じない点です。

ドナルド・トランプは、特に左派、リベラルを極左と決めつけ、非常に汚く罵ります。しかし、それはバイデン候補支持者も全く同じ反応なのです。

確かに感染を心配して郵便投票という選択は間違いではありませんが、この郵便投票を呼びかけた背景には、共和党支持者は郵便投票にはあまり積極的ではないという米国ならではの事情があります。加えて、バイデン候補が強く求めていたのは、郵便投票の正確性よりも、トランプ大統領の選挙活動との違いを見せるためのもので、現に、この郵便投票によって、選挙は未だに決着していないのです。それどころか、相手の陣営に反論の機会を与える時間の猶予が生まれてしまっています。

この点から、バイデン候補も決してマトモな政策を持って、選挙に挑んでいない、単なる反トランプ運動を利用した便乗選挙だと思うわけです。勝利目前で無意味な演説も、反トランプの法的な根拠よりは、要は自信がない現れだと私は感じました。まったくこれまで、彼は米国をどの様に導くのか、具体的な発案以上に、反トランプであれば支持してくれと言わんばかりの、単細胞な選挙活動でした。

まるで、どこかの島国の野党と同様、首相が辞めればそれで良いのだという、知性のまるでない幼稚園でも恥ずかしいような、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いだけの論評に終始している点では、政権を任せるに値しないのは、火を見るより明らかです。

確かに相手は汚い言葉で差別的でしょうが、それに抵抗してより強く相手を非難する考え方と方向性は、ほぼ両者ともやることは同じなのです。文字通り馬鹿げてますね。私は、トランプ大統領とは全く違う思想の候補者が未だにいないアメリカに失望を感じます。新しい政策がないのです。

そして言うことは必ず言い尽くされてきた、弱者に寄り添う・・・・私は「一体誰に?」と思うことばかりです。経済とか景気とは、誰かを犠牲にするというより、資本家が多くを作り、支出し、消費者がそれを消費することで成り立つので、弱い強いの問題ではなく、金回りを良くすることが全ての人に恩恵があると考えます。富裕層でもじゃんじゃん金を使ってもらえば、売ってる方は儲かるのですからね。

それを、政府や国がばら撒いてなんとかしようというのが、そもそも経済の仕組みに合致しないのです。共産主義だった中国でさえ、根本的にその考えでは発展はないと気づいているはずですからね。資本主義とは、誰もが裕福になれるシステムではありません。

ここに気がついていない時点で幼稚なのです。資本主義とは、我々民主主義の中で発展を遂げ、先進的に科学も技術も発達して来たんですから、その資本家から増税でお金を奪って弱者救済なら、もう資本は発展のためには利用が消えていくだけです。

一体、税金とは誰が払うか?よく考えれば誰でもわかるものです。

この資本主義の否定をいいながら、結果的に望むのは平等と発展という矛盾がある限りは、アメリカでは本当の民主主義は機能しないのです。

メディアが総力を上げて世論を誘導する恐ろしさ

今回の大統領選では、私は日本の戦前メディアの恐ろしさを垣間見る思いでした。全てのテレビ局はバイデンを好意的に宣伝し、悪と善の戦いがあるような錯覚を視聴者に与え、その報道の偏りに誰も意見を言わなくなっていたからです。ここに、常に誰が有利か、誰がその判断をするのかを、視聴者ではなく、メディアが判断して世論を動かす恐怖があります。

報道というのは、本来であればどちらの候補者も公平に扱うべきところを、一部は切り取り、一部は強調、そして全体的には結論が先にあって、視聴者には思想の選択肢を与えません。その証拠が、大統領を”さん”付けで呼ぶ、不快なメディアの言い方にあります。なぜかことごとく、「敬称略」で、印象としては、「この人は大統領じゃない」と言いたいのか、あるテレビ局では、「トランプ大統領・・」と言いかけた時に、「トランプさん」と言い直している始末です。これは不気味でした。

これは日本の政治でもそうでしたが、途中から役職を言わず、さん付けになる風潮は、誰が首相や大統領に相応しいか、我々が敬意を払うのは、我々が権限を持つとでも言いたいのでしょうか?本当に、薄気味悪いです。

何も経済が活性化せず、収束しなければ迷走は続く

早くもテレビでは、次期大統領の今後の課題について論じているようですが、私は、この世界的なパンデミックがそうカンタンには収束しないと踏んでいるので、だれが大統領になっても、しばらくは変わらないと思います。売れる業界は売れるままでしょうし、潰れる業種は景気に弱いところから打撃を被るのはいつものことです。

従って、収束後の未来の話は意味はあまりないでしょう。当面の問題は、感染拡大と経済の両立ですから、いずれは、国民、ひとりひとりの努力と工夫で乗り切るしか無いのです。国の支援には限界があるし、明るい未来像は感染が1年を通じて収束の見込みが立ってからでしょう。

それを一時的とは言え、支援ばかりに傾倒して財務を悪化させ、収束後にやりたいことは出来ないのなら、完全な失敗です。たった4年で出来ることは限られているのですから、やることはシンプルに集中して行うべきではないでしょうか?バラ色の夢は、今は語るときではないのです。

知性のない選挙

私は、今回の大統領選、一言で言えば「幼稚な学園ドラマ」だと感じました。カビ臭い昭和臭がするというか、どっちの支援者も同類だなと感じましたね。分断をまとめる力はまるでないのだとハッキリわかりました。否定の水掛け論にはいい加減、うんざりさせられます。

捨てられた40%の投票の思い

幸いにも、アメリカ全体での投票率は約64%だったそうで、これでもかなり高いのですが、結果はバイデン圧勝にはならず、トランプの獲得票は7000万票を超え、なんだかんだで拮抗してようやくバイデンが勝った形です。

私は、この40%の両候補者以外の無言の有権者が、何を今思っているか、大変興味があります。それにしても、本当に薄っぺらい大統領選でした。

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