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偉人の辞世の句(歌)

父が亡くなって1ヶ月が経った。
1ヶ月しか経っていないのに体感覚では半年を過ごしたような錯覚を覚える。
2024年の年が明けて、1月1日の能登沖の震災に始まり、2日航空機の事故、3日北九州の火災がニュースになり、1月4日に父が入院し、急転直下の出来事となった。
冗談のように地震、雷、火事、親父(ジシン・カミナリ・カジ・オヤジ)の順で自分に迫ってきた。
通夜、葬儀は母と兄弟とその家族で一丸となって準備ができた。

サークル活動を弔う

ある知人から、サークル活動の葬儀を行ったことがあるとの話を聞いた。
自然発生的に活動が始まったサークルが年代が変わり、やりたい人、遠ざかる人まちまちな中、当初盛り上がった活動も自然消滅状態になっていたそうだ。
そんな中、ケジメをつけようとの思いで、団体の葬儀をお寺の住職にも付き合っていただいて行なったという。
実際にケジメをつけてしまうと、強い思いを持った数人が数ヶ月後に団体をあらためて復活させて、活動が再出発したという。
始まりがあれば終わりもある。
終わりがあるから始まりがあるように思う。

この話を聞いたからなのか、道中の飛行機の中で深い内省が生まれた。


葬儀の準備

訃報は自宅で受け取った電話で聞いた。兄弟で順に実家に帰り見舞っていたが、弟が実家に滞在している間の出来事となった。
危篤状態との報を夜中に受けて、翌朝飛行機移動の準備をしている矢先のことだった。

実家にたどり着くと、病院からの帰ってきた父の傍らで住職の枕経が終わったところだった。
通夜と葬儀に向けての調整が始まった。
お寺の都合で、通常より1日遅らせて通夜と葬儀となった。

思いがけず時間をかけて通夜に向けての準備ができた。
父の日記やエッセイ、書を振り返ることができた。

どうせなら、ということで父の遺したものを展示することにした。
「辞世の歌」は、父が偉人たちの辞世の歌を選んで自書したものだ。
せっかく展示するのであれば、ということで何が書いてあるか調べて併記することにした。
意味解釈は孫である私の子が担当した。
書とともに歌を味わっていただければと思う。

辞世の句(歌)

・・・死を見据えてこの世に書き残す生涯最後の歌

おもしろき こともなき世を おもしろく

住みなすものは 心なりけり

高杉晋作

幕末の志士である高杉晋作の辞世の句。「おもしろき こともなき世を おもしろく」と上の句を詠み力尽きたので、野村望東尼が「住みなすものは 心なりけり」と下の句を続けて詠んだ。享年27歳。「面白いと思えることのない世の中を面白く。それを決めるのは自分の心持ち次第だ」という意味。

昨日といひ 今日と暮らして なす事も

なき身の夢の さむる曙(あけぼの)

小堀遠州

備中松山藩第二代藩主である小堀遠州の辞世の句。大名であると同時に建築家、作庭家、書家の顔を持つ。千利休から古田織部へと続いた茶の湯の本流を受け継ぎ、遠州流を立てた。享年69歳。「今までの人生とやり残したこと全てでさえ、亡くなっていく身の自分にとっては、あけぼのの中ではかなく覚めていく夢のようだ」という意味。

おもひおく 鮪の刺身 鰒汁(フグの汁)

ふっくりぼぼに どぶろくの味

新門辰五郎

江戸時代後期の侠客である新門辰五郎の辞世の句。ドラマ「暴れん坊将軍」に登場する辰五郎のモデルとなった。享年75歳。「人の幸せは美味しいものを食べ、いい恋をして、酒にほろ酔うこと。そういう単純な幸せでいい」という意味。

灯を消して しのびやかに 隣にくるものを

快楽(けらく)の如くに 今は狎(な)らしつ

中城ふみ子

歌人である中城ふみ子の辞世の句。戦後の代表的な女性の歌人の一人で、後進に大きな影響を与えた。享年32歳。書評家は「死に瀕している自分を冷静に観察し、嘆くことはせず、まだ人間の真実を掘り下げることを諦めていない」と解釈している。

露と落ち 露と消えにし 我が身かな

浪速のことは 夢のまた夢

豊臣秀吉

戦国大名であり三英傑に数えられる豊臣秀吉の辞世の句。織田信長の跡を継いで天下統一を成し遂げた。享年61歳。「人生はまるで露のように儚い。大阪での栄華の日々も、儚い夢のようだった」という意味。

身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちぬとも

留め置かまし 大和魂

吉田松陰

江戸時代後期の思想家、教育者である吉田松陰の辞世の句。松下村塾を開き、明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた。享年29歳。「私の身が武蔵の地で朽ちてしまおうとも大和魂だけは留めておきたいものだ」という意味。

石川や 浜の真砂(まさご)は 尽きるとも

世に盗人の 種は尽きまじ

石川五右衛門

天下の大泥棒として知られる石川五右衛門の辞世の句。この世の中に盗人がいなくなることはないと詠んだ句である。享年36歳。「石川家がなくなっても、砂浜の砂がなくなってもこの世から盗人がいなくなることはない」という意味。

宗鑑は いづこへと人の問うならば

ちとようありて あの世へといへ

山崎宗鑑

戦国時代の連歌師、俳諧作者である山崎宗鑑の辞世の句。将軍足利義尚に仕えた。享年88歳。「誰かが宗鑑はどこへ行ったのだと問うことがあれば、ちょっと用(癰)があってあの世へ行ったと言ってくれ」という意味。癰はできもののこと。

百ゐても 同じ浮世に 同じ花

月はまんまる 雪は白妙

永田貞柳

江戸時代中期の狂歌師である永田貞柳の辞世の句。多数の門弟を育て、<狂歌中興の祖>と称された。享年80歳。「百年の長寿を生きても、この世は浮世は浮世のままで変わらない。毎年同じ花が咲くし、月はまんまるだし、雪は白いままだ」という意味。

この世をば どりやおいとま(暇)に せん香と

ともにつひには はい(灰)左様なら

十返舎一九

江戸時代の戯作者、絵師である十返舎一九の辞世の句。「東海道中膝栗毛」の作者としても知られる。享年66歳。「この世を、どりゃお暇しようかいな。線香の灰ではないが、皆さんハイさようなら」という意味。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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