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(ネタバレあり)ミッドサマーの薄い考察

ミッドサマー(字幕版)見てきました。
すごいですね、これ。ディレクターズカット版を見にいかねば、と思っている次第です。

興奮冷めやらぬ気持ちのまま、考察を書き殴りました。
1回しか見てないので、間違ってる部分が大いにあると思うのでご指摘くださいませ。
ルーンとか絵画の意味とかそう言う専門知識は他の素晴らしい考察をご覧になってくださいな。日常的に、人権とか社会問題に関心を抱いているのでそういう内容が多めだと思います。

粗すぎるあらすじとしましては、大学院生5人組が研究関心から独自の文化を持った集落に研究旅行に訪れるが、文化を理解せずに好き放題した結果、制裁として殺されましたよ、と解釈しました。

エテッシュテュッパン-輪廻転生と通過儀礼

劇場で思わず目を瞑りました、あのシーン。生理的に受け付けないって人も多い気がしますが、理論は理解できるんですよね。

日本でもお馴染み、輪廻転生ではなかろうか。作中で何度か「インドみたい」ってワードがあった(気がする)んですが、それは「魂」の存在を信じる考え方なのかな、と。

ホルガの人々にとって、肉体的な死は特別悲しいことではないのです。だって魂が生まれ変わるから。人間のライフステージを春夏秋冬で表していましたが、老齢期の「冬」が終われば一度古い肉体を捨てて、また赤ん坊として「春」が始まるのです。季節が巡るように、人間の魂も同じライフステージを巡る、と考えているように見えました。

また、人生の通過儀礼的なポジションとして捉えられているようにも見えました。実在する文化でも、ライフステージが切り替わるタイミングで歯を抜いたり、刺青を彫ったり、バンジージャンプをしたり、と命や身体を危険に晒すことで新しいライフステージに移行できる、とされています(いました)。生命観が違うだけで、次のライフステージに移行するための必要な苦しみ、と捉えればそう突飛な出来事でもない気がします。

個人的には<ホルガの文化は現代日本にする私から見れば奇妙に見えたが、筋は通っており、文化、と言う側面から見ると特別おかしいわけではない>と感じました。
日本だって、子供に石噛ませたり、餅背負わせたり、全身真っ赤の服を着せて喜んでるんですから、他文化から見たら奇妙に見えると思いますよ。

カニバリズム

作中で4人ほど人が消えますが、「あれ、中身どこ行った?」って疑問に思った人はそんなにいないんでしょうか。

特にマークなんかは、完全に「皮」の状態なので、中身はくり抜かれているわけですよね。その肉の部分ってどこいったんだろう……
と思っていたら、都合の良いタイミングで「ミートパイ」的なものを作り始めてるんですよねぇ。

さらに気になったのが、メイ・クイーンが決まった後の食事のシーンで、料理に虫がたかってる様子が何度か描かれます。ホルガ村に訪れた当初にはこういった描写はなかった(はず)。何かしらの意図があったんじゃないか、と勘ぐってしまいました。

クリスチャンの「なんでこんなことをするんだ」はなんで人の肉なんて食べるんだ、に聞こえてしまいました。その後目の前で手を叩かれることによって、トリップモード(?)に入り、気にしなくなったとか? このシーンは料理の内容が具体的に見えにくいこと、ミートパイに真っ先にかぶりついていたクリスチャンが一切手をつけてないことからも、何か意図するところのある「食事」だったんじゃないかなあ、と思います。

体を共有することで、一体化して、家族になる、そんな思考もあり得そう。


ここまでが映画の内容それ自体の話。
これ以降が、制作者側が伝えたかったメッセージなんじゃない?と言う解釈です。

障害者の神聖視

唯一、ルビ・ラダーを描くことができる存在、ルビンは意図的に生み出された「障害者」です。本編において、彼は一言も言葉を発さず、神聖でピュアな存在として描かれています。

このような考え方って、現在でも当たり前のように共有されているように思います。一度、感動ポルノという言葉を使い始めた方のTED Talkを是非聴いて欲しいんですけども。

〇〇時間テレビを代表に、障害のある人に健気、無垢、純粋、神聖と意味付ける社会全体の雰囲気ってありますよね。村の人が、彼は我々よりも真実に対して純粋に向き合える的なことを言っていましたが、こういう文言って障害者アート(エイブルアートとか、アールブリュットとか色々言い方はあります)の文脈でもよく聞く気がします。

でも、障害を持っているからと言って、みんなが純粋なわけじゃないし、だらしない人も意地悪な人だっているでしょう。

性交のシーンでルビンが様子を見ていたのも、純粋と対極に置かれるセクシャルな場面に登場させることで、純粋というイメージ像を壊そうとしていたのではないでしょうか。

前近代社会と近代社会の対比

作品全体を通して、前近代的な文化を近代的な目線見ると、奇妙に見える、と言った構造が取られていました。

どちらが文化的に優れているわけではない(近代社会の方が優れていると思い込みがちですが)ので、あくまでもその対比をしてみたいと思います。

前近代社会(ホルガ村)        近代社会(大学院生たち)   
・集団を尊重する           ・個人を尊重する
・伝統や文化を重んじる        ・科学的合理性を重んじる
・パターナリスティック        ・自己責任論的
・共感、同調を重要視         ・それぞれの意見を尊重

近代社会で疲れたダニーが、前近代社会で癒される物語としても解釈でき、無批判に近代社会が優れていると思い込むことへ、疑問を呈しているように見えました。

自文化中心を信じ込むことへの批判

映画の感想をボーッとTwitterで眺めていたとき、怖かったとか、変だったとか、気持ち悪かった、みたいな意見もそりゃ当然出てきたんですけども。
ふと考えてみたのが、これペレの出身地がスウェーデンじゃなかったらどうなってたんだろう、と。

もしペレがアフリカ出身でジャングルの奥地に向かい、そこで秘密の儀式が行われて、太鼓がドンドコドンドコ叩かれるBGMが流れて、原色づかいのカラフルな衣装を着せられたメイクイーンが誕生していたら?

もしペレがインド出身で、出てくる料理がカレーで、捕まった動物がトラで、古代から続く儀式によって殺人が起きました、という内容だったら?

我々は、本作と同様の「気味悪さ」を感じたでしょうか。
上記の例も私の偏見丸出しですが、多分今回のゾッとする嫌な感じは、「白人でヨーロッパ圏で英語も通じるところ」=「文化的に進んでいるはずのところ」で事件が起こったことも、少なからず影響しているのではないでしょうか。

欧米を中心とした先進国や近代化が進んでる国に対して、自分たちの文化を過剰に優れているって無意識的に信じてない?大丈夫?と問いかけているように思えました。

共感と解放の物語

他の方の考察を読むと、ダニーの精神的「自立」と書かれている方が多かったんですが、個人的には「解放」かな、と思います。

ダニーは村を訪れる前は、精神的に閉じこもった状態でいました。
自分を批判してくる彼氏とも別れられず、人間関係も硬直状態。
辛いことがあっても、声をグッっっっと堪えて泣きますし、知人の前では泣く姿も見せようとしません。あげく、彼氏が自分の誕生日を平気で忘れていても、怒った方がいいんだろうけど、と感情をあらわにはしません。
自分で決断することも難しく、別れる、別れないの相談や、家族のことも自分で何かを決める様子は、旅行に行く、と決めるくらいしか現れていません。

それが、村に訪れてからゆっくりと変わっていきます。

女性たちと一緒になって感情を共有することで、人前で大声で泣くことができるようになりました。
最終的には、彼氏との縁を切るという選択を、まさかの彼氏を生贄として捧げるという超極端な方法で決断します。
燃える様子を見る表情は、しがらみから解き離れて晴々としているように見えました。人間関係や感情を押し殺す鎖から解き放たれていったのです。

ダニーとクリスチャンの関係は被害者とDV加害者のようでもあります。家族が心配で泣く相手に対して、お前がつけ上がらせたんだ、と否定する。言葉遣いや態度はまだ優しい方ではありますが、結構ひどいことを何度も言うし、傷つけた後にテキトーに優しくしておけばいいや感が否めません。

ダニーは今回の祝祭を通して、DV加害者的な彼氏から解放されたのかもしれません。

そしておそらく彼女が一番欲していたのが、共感、もしくは感情の共有だったのでしょう。辛い時に「辛いね」と言ってくれる存在が、必要でした。
その役割を果たしたのが、村出身で家族を喪失した気持ちを理解しようとしてきたペレと、不貞を見て「腹が立つ、悲しい、苦しい」気持ちを一緒に泣き叫んで共有してくれた村の女性たちでした。

共感してくれ、癒しを与えてくれたホルガ村にダニーが染まっていくのは当然のことに思えました。

総括

だらだらと書いてしまいましたが、本当に凄い映画でした。

解釈というか、掘り下げる余地が無限に残っている作品ですね。全ての伏線や謎を知りたいものです。専門知識を持って書かれている方を見て「教養が!おっかぁ、おら教養が欲しいだ!」って気持ちでいっぱいです。

多くは語らず、見る側に委ねる作品のあり方に心震わされました。

見る人それぞれで感じ方が全く異なる作品であり、その人の文化観が反映される作品なのだろうと思いました。

とりあえず

ディレクターカット版見にいこーっと。



おまけ:フィールドワーカーとして0点

これ個人的に突っ込みどころ満載だったんですけど、フィールドワークをやろうとする学生ならまず教わるだろう基礎をすっ飛ばしまくりでした。
なんとまあ。

・相手の文化に対してリスペクトがない(マーク)
・相手の文化をバカにする、下に見る(クリスチャン)
・研究を優先してタブーを犯す(ジョシュ)
・相手の文化にのめり込みすぎて、同一視試始める(ダニー)

ダニーは専攻が違うのでまあ置いておいて、お前ら3人大学で何を勉強してきたんや!博士課程にもなって、こんな簡単なこともできずに何が文化人類学専攻じゃああああ!!!とフィールドワークに爪先を突っ込んでいる文系学徒は思ったわけであります。



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