祈り

2022年10月31日。グランキューブ大阪。
amazarashiというアーティストのライブを観に行った。

4曲目の、ロストボーイズから、耐えていた涙腺が崩壊し、7曲目と8曲目、僕が死のうと思ったのは〜あんたへ で、またもや泣いた。数え歌やアオモリオルタナティブでも涙と鼻水をすすって。
ラストから3曲目の1.0ではイントロから(過去の歌詞を辿るような演出から)最後までボロボロ泣いた。

泣きすぎて、目がしょぼしょぼした。

どうしてこんなに泣いたのか。
何がわたしをあんなにも刺激したのか。

それらは、amazarashiのヴォーカルギター、秋田ひろむ氏の「説得力」みたいなものに答えがある。

わたしは彼のことをそんなに詳しくは知らない。
けど、彼が紡ぎ出す言葉の数々に触れてると、いつの間にか自分自身と対話しているような感覚を覚えるのだ。

1.0には、
「死にたいとうそぶいたって」
という歌詞がある。

わたしは一時期死にたくてしょうがなかった。
でも本当は生きたかった。ただ、その術がわからなかった。

そんな日々を見透かされた気がした。

あるいは、
「躓かない方法より、立ち上がる方法を知るのが大切」(要約)
という今回のMCでの言葉。

その通りだと思ったし、それで良いのだと、昔の自分を肯定されたように感じた。

自分を肯定する。
そのために、過去を受け入れる。

当たり前のようだけど難しい。

でも、だからこそ、ひとは祈るのだと思う。

成功しますように。
大丈夫でありますように。
あなたやわたしにとっての「1」が見つかりますように。

1とは、安心、居場所、心地よさ、などのことを指すのかな。と思っている。

amazarashi、とりわけ秋田ひろむ氏は、過去を浄化して、「1」にたどり着けたのだろう。

人生は、旅であり物語でもある。

生きていくなかで涙を流すことや、ひどく落ち込むことだってある。
だけど、わたしはまだまだ生きていきたいと願う。

「また再会できる日を楽しみに」しているのは、リスナーあるいはファンも同じだ。

だから祈る。
生きてまた会えますように。


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