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【リスペクトというまやかし】

🐱書きやすいので一人称は僕で書いてます。

たとえば、詩、小説、漫画、写真などの創作物は、創作者が知的創作活動の結果この世に生みだした作品です。それは多岐にわたります。

創作活動に限りませんが、すべてのことを犠牲にしてひとつのことを成すのは容易なことではありません。

多くの時間や様ざまな繋がりを犠牲にしてまでこの世界に現した作品は、創作者にとっては大切なわが子同然なのです。

この点を理解していない、わかっていない人が多いように思います。でも、きっとわかってはいても、個々人の立場や諸事情で理解するのをあきらめている人もいるのかも知れません。

でも僕は作品を扱おうという人や企業・団体は自らの立場や諸事情はひとまず脇に置いて、安易な気持ちで作品を扱わないで欲しいと思うのです。

冒頭でも書いたように、創作者にとって作品はわが子同然です。自分の子どもがぞんざいに扱われて喜ぶ親などいないと思うのです。

この世界に素晴らしい作品を生み出してくれた創作者にまず敬意を払い、わが子同然の作品を大切に扱うようお願いしたいのです。

そのうえで編集や改変が必要であればきちんと納得がいくまで双方とも時間をとってきちんと話し合いの場を設けて欲しいのです。

創作者にとっては、わが子の将来がかかっているのです。

そのうえでお互い譲るところは譲る、主張するところは主張する。

理想をいえば、ズームやLINE、メール、電話やFAXとかではなくて、しっかりと落ち着ける場所で会ってちゃんと膝をつきあわせてとことん話し合う。

おそらく、多くの人が面倒だ、非効率だと言って避けていることをあえて避けずに面と向かって粛々と行なう。

もちろん、わかり合えないことだってあります。そのときはお互い潔くあきらめればいいんだと思います。うらみっこなしです。

青くさいことは百も承知なのですが、青くさいことが出来なければ、人とは言えないのかなって思います。人は理想があるから頑張れるのではないかとも思っています。

ところで、今回の事件でもリスペクトという言葉が盛んにメディアで言われています。目にした方も多いのではないかと思います。

でも、僕には「リスペクト」とさえ言っておけば、「リスペクト」と書いておけば、何をしてもすべて許されるような風潮になっている気がして怖いのです。

ひんぱんにメディアに溢れる「リスペクト」という語句は、本来の意味をはずれ、もはや記号にしか僕にはみえない。創作者や作品を大切に扱ってますよ、というポーズにしか思えないのです。

言い換えれば「リスペクト」の語句を使えばつかうほど、かえって創作者をないがしろにし、創作者にしてみればわが子同然の作品を勝手に編集・改変しても許されるんだという編集する側にとっては非常に都合のよい免罪符に「リスペクト」という言葉はなっているのではないかということなんです。

相手に敬意を払うことを、「リスペクトする」なんて簡単に話し言葉として置き換えることが流行っていますけど、カタカナ語やカタカナ英語は本質を曇らせてしまい見えにくくしてしまいます。

もちろん根づいている言葉もあるので一概には言えませんが、近ごろはこういうカタカナ語などがあまりにも多すぎると感じています。

カタカナ語やカタカナ英語は耳ざわりも良いし、文字に現したときに見栄えも良い。そのため、さもすごいことをやっているのではと感じてしまう人もいるだろうと思います。

でも、こうしたカタカナ語やカタカナ英語は「リスペクト」同様に、やってますよ感を醸し出しはしますが、おおくのそれは所詮浅知恵に終始するのがせいぜいだろと思うのです。

ここまで書いてみて僕はこう思いました。
どうも日本人は話し言葉として面と向かって相手に言いにくい言葉はカタカナ語やカタカナ英語で伝えるくせがあるのかも知れない、ということです。まえまえからそうだろうなとは思っていましたが、成文化することではっきりと僕のなかで輪郭があらわれてきました。

僕はあなたをリスペクトしている。
僕はあなたに敬意を払います。
僕はあなたに敬意を払っています。
僕はあなたを尊敬しています。

どれも間違いではないのだけれど、やはり受け取る印象は違うと思います。カタカタ語やカタカナ英語の方が堅苦しくなくて何となく格好いいとは思いませんか。ここがカタカタ語やカタカナ英語は本質を曇らせてしまい見えにくくしてしまうと書いた理由です。

僕は、相手に対する尊敬や敬意とは本来なまじ安易な言葉では言い表わせない、所作に近いもののように思います。

なので頻繁に目にする最近の語句のなかでとくに「リスペクト」に過剰反応してしまい、今回「リスペクトというまやかし」という拙い文章を4回にも亘り投稿したのかも知れません。

人の心は「リスペクト」するだけでは動きません。
あまり良いことではないけど、むしろ今の世の中は非常に虐げられているけども、人の心を最終的に動かすことができるのは感情だと思っています。

そういえば遠い昔、郷に入っては郷に従えという言葉がありました。今の世の中、至言ではないかと思います。

その土地に入ったら、自分の価値観はひとまず置いて、まずその土地にあった行動をとることが必要だ、といった意味内容だったと思いますが、きっと今では眉を顰める人が多いのではないかと思います。

でも僕が思うに、創作者や作品をいくら「リスペクト」だけしていても、それはうわべだけであって、こうした気持ちがなかったから今回のような不幸な出来事が起きてしまったようにも思えるのです。

作品は創作者にとってはわが子なのです。


...っていうお話。

[投稿にあたりfeaturecompassさんのイラストを使用させていただきました。ありがとうございます。]

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