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いつでもそこにいる

昔、実家で犬を飼っていた。

ひとつ違いの弟は子どもの時から犬を飼いたがったが、世話をするのはどうせ自分になるからと、動物嫌いの母が反対した。

私はというと、小学生の時に同級生の悪ガキに犬をけしかけられたり、よその家の犬から必ず吠えられていたから、犬は恐かったし生き物全般苦手だった。

弟が中学生になった時、父と弟の二人で父の実家に遊びに行き、まるくて茶色いぬいぐるみのようなふわふわの毛の子犬を抱えて帰ってきた。ミルクの匂いのする生まれて数週間の柴犬だった。
父の実家で飼っていた犬が子犬を産んで、そのうちの一匹を貰ってきたのだった。

母は「誰が世話するの!」と文句を言いつつも、すでに可愛らしさに顔が笑っていて、その子犬は我が家の一員になった。

初めての動物との暮らしで、私は体を撫でることはできるようになったが、舐められるのが嫌で、顔でも手でも舐められそうになったら体を押し返しているうちに舐めてこなくなった。

が、違う意味でなめられるようになり、両親や弟と行くと20分程度の散歩に、たまに私が行くと1時間以上引っ張り回された。
「どこ行ってたの?」と聞かれて道順を話すと、4つある散歩コースのすべてを一度に回らされていた。
犬は人をよく見ている。

家族が帰宅すると、常の居場所だった床下から飛び出してきてじゃれつくが、帰って来た私と目が合うと、床下に寝そべったまま尻尾を左右にパタンパタンパタンと3回振った。
私と彼の関係はそんな感じだった。

中学、高校の時、真夜中に勉強しながら疲れたりいろんなことを考える時、私はひっそりと庭に出て膝を抱えてしばらく座り込んだ。
夜の庭は静かで、小さなアマガエルが葉から葉へ移るときの微かな葉擦れの音や、カタツムリが這うぬめぬめした音さえ聞こえた。

ぼんやり座っていると、彼が犬小屋からのっそり出てきて、隙間なく私に体をくっつけて座った。
寄りかかるわけでもなく、ただ並んで座った。
何もしない。お互い体の片側が温かいだけ。
私が「おやすみ」と言って家に入るまで、私たちは黙って座っていた。

彼が何故そうしたのかよくわからないが、
「まあ、一緒にいてやるよ」
とでも思っていたのだろうか。

私が実家を出てからも、たまに帰省すると彼はやっぱり床下から3回尻尾を振った。

そんな彼は13才で死んだ。
犬が人を舐めるのは、言葉をしゃべれない彼らの愛情表現だと、最近知った。

手でも顔でも、いくらでも舐められればよかった。
ちょっと恐くて、くすぐったかっただけなのだ。

彼が死んで二十年くらい経つ。
飼い主と散歩している犬を見かけると「あ、彼だ!」と思うことがある。
顔は似てないし、犬種も違う。

でも、彼のあの善良で、親しい、期待と好奇心に溢れた目は、すべての犬が人間に対して持っているものだと思っている。
だから私は見知らぬ犬にも「元気?」と心の中で呼び掛ける。
いつでも彼はすべての犬の中にいて、また出会ったような気持ちになる。

だからすべての"彼"が、いつでも幸せであってほしいと願ってやまない。

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