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【情報を受け取らない力】で心を守る。ヒントは「来週もぜってぇに見てくれよな」との付き合い方

こんにちは。かしんです。
今回のテーマは「情報の受け取り方」。

さらに言うと、「情報を全部は受け取らない力」。

情報の受け取り方のさじ加減が上手になると、

「自分の心が守れる」
「不要な心のざわめきを回避できる」

なんてメリットがあるかもしれない!と最近気づきました。

きっかけはビジネス書の表紙


これまで、情報の発信の仕方は考えたことがあっても
情報の受け取り方はあんまり考えてきたことがありませんでした。

でも、先日友人との会話をきっかけに気づきがあったのです。
まずはそんなお話から。

友人と本屋さんに寄った時。

ビジネス書のコーナーで、
平積みになった書籍を眺めて
人を奮起させるようなタイトルが多めだよねぇ、という話題に。

「〜論」
「これからの時代〜だけが生き残る」
「〜せよ」
「今すぐ〜〜だ」
「生き残るには絶対に〜」
「だから〜〜はダメなんだ」

わたしはもともと会社に勤めていた頃から、
ビジネス書のタイトルの迫力に圧倒されやすいタイプでした。

「あぁこの辺の話についていけないといけないのかなぁ」なんて思っては
心が疲れたり。

もちろん、実際読めば役立つ内容な本もたくさんあるのですが

何だか不思議なもので
タイトルの文言や迫力あるビジュアルの表紙にどっと疲れてしまうのです。

それを話した時の友人が

そういう受け取り方をして疲れてしまうタイプの人もいますよね。

わたしは、あぁ、この訴求が今のトレンドなのね、ふーん 

くらいで流しちゃいますけど


とリアクション。

え?

受け取り側のスタンスで疲労度が違うの?

結構な驚きと発見。


そうか、尖ったフレーズでも
こっちが適度にかわしていけば心を消耗しないのか!

尖りフレーズから自分を守る、魔法の言葉を考えよう

友人との会話をきっかけに、自分なりに魔法の言葉を発見をします。

本のタイトルの後ろに

「…というわたしの個人的な考えを書いてみた一冊です。」

をつけてみよう。



例)
「今すぐ〜〜から始めよ、…というわたしの個人的な考えを書いてみた一冊です。」

あ!圧迫感がない!!!


さらにはその後ろに

「この本をぜひ読みたいと思ったあなたはターゲット。

ぜんぜんピンとこないあなたは、今はご縁じゃないみたい、またね」

をつけてみるとより気が楽に。


「あぁ、わたしはうつ病でお休み中なのでこの辺の話は今じゃないな」と

心が乱れることなくまたの機会に、と思えるように。



何が魔法の言葉だ、しょうもないな、と思いました?笑


でもその言葉をつけておくと以下のことに気づきやすくなったのです。

  • 本のタイトルはそんなに長々たくさんは書けない

  • そのためズバッと言い切ったり尖った表現になることがある

  • それはあくまで本のターゲット層に向けた文言である

  • 全てが自分に向けられている話題と思わなくてもよい


SNSでも同様なのでは


SNSにも同様の「情報受け取り疲れ」を感じることがあります。

例えばいわゆる有益情報ツイートのような発信で

「〜な人は必ずやっている!」

とか

「いますぐやるべき〜〜」

といった内容のものもよく見かけます。

こういったテイストの発信を目にすると何だか心がざわっと疲れたり。


ツイートも本のタイトル同様、
ある程度削いだ文章で設計されやすいからかな、と思っています。


断定的な言い回しだったり、
補足すべき情報が多少削られたり、
尖ったタイトルづけでひとの目に触れやすいようにしたり。


それがときにちょっと圧迫感を覚える理由に。


そんな時は、ツイートの後ろに
「…というあくまでもわたし個人の見解です。」を心の中でつけてみる。


追加で
「この内容を受け取りたい思ったあなたはターゲット。

ぜんぜんピンとこないあなたは、今はご縁じゃないみたい、またね」

もつけてみる。



視界に入ると自分に言われたような気になってしまうけど、一回立ち止まる。

もうちょっとSNS上の不和について分解してみます。

SNSの性質上どうしてもいろんな発信が目に入ってくることがあります。

「この発信が視界に入った、自分の考えと違う、非常に不快だ」
と受け取った側が反応。

それに対し
「勝手に文句言っている人たちは解釈が違うんだよな、受け取り方がおかしい」
と発信者。

やんや、やんや、
エンドレスな泥沼…憎悪が積み上がる…


お互いに消耗してしまう。

不和が起きると側からみている人も疲れてしまう。

「自分はこれはターゲット外の話」と、さらりとかわせると

結構な数の不和がなくなったりしないかしら。

みんなが穏やかに過ごせないかしらなんて思います。

まずは自分自身が情報の受け取り力、
(言い換えると受け取らないでサラッと受け流す力)をつけたいな。

イメージは「ぜってぇに来週も見てくれよな!」に怒らない心

例えば、たまたまテレビをつけて

何かのアニメのエンディングに差し掛かるところに出くわしたとします。

「次回、○○第何話!!!
おめえら、来週もぜってぇ見てくれよな!!」

なんてシーンがたまたま、目に入ったとする。

たまたま通りがかっただけなんだけど、

おめえらって呼びかけられた「おめえ=あなた」は果たしてターゲット?

もしターゲットじゃなかったとしたら、
そのまま本当にみたい番組が始まるのを心穏やかに待てばOKなのでは。

でも、たまたま目にしてしまったからと言って

直球で受け取って、まるで命令されたかのように解釈してしまったら?

「来週見るかなんて、なんで上から目線で強制してくるわけ??
ムカつく!!そもそもお前は誰なんだ?なんだこのアニメ!!!」

と激怒したら?

…ちょ、ちょっと待とう。一回、落ち着こう。

あれはあくまで、
番組を楽しみに毎週見ている子供たちと約束する目的で発信しているだけ。

あなたに命令や強制しているものではないですよ

目にしてしまったからと言って、受け取らなくてOK、受け流してOKですよーー!

と、たしなめてしまう気がします。

受け取らない力も実は大切

情報の発信力が求められ、
情報の収集力も求められ。

でも実は、情報を精査したり、

時には受け取らない力も結構大切なのではないかなと思います。

それは、自分の心を守るためにも。

  • 本のタイトルも、SNSも、色々視界には入ってくる

  • でも全部が自分宛ての情報ではないと思っておく

  • ターゲットに刺さるように少し尖った表現もある

  • ただ、絶対に正解なわけではなく「誰かの個人の思い」の場合もある

  • 誰向けの発信なのか、自分はそれを受け取りたいのか、ターゲットなのかを考える

そんなことを心に留めておけると、
自分の心のペースを保てそうな気がします。


ここまで読んでいただいてありがとうございました!

 【あなたに質問】

 どんなスタンスでいると「自分に合った情報との付き合い方」ができそうですか?

現在わたし自身の人生の物語、気づき、考えかたを一冊の本にまとめようと取り組んでいます。

Kindleの電子書籍の形でお届けする予定です。

よろしければ楽しみに待っていただけたらと思います!

もし、わたしの発信のスタンスやイラストが気に入ってくださったら
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それではまた!

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