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田村裕著『ホームレス中学生』が歴史に残る名作な理由


 2007年に刊行されたホームレス中学生は瞬く間にベストセラーとなった。
作品はテレビドラマ化、舞台化され、さらには映画化されたのだが、その映画を見て首をひねった。作品のテーマ、つまり言いたいことが全く変わってしまっているように感じたのだ。

ホームレス中学生とは、どんな小説だったか

 お笑い芸人田村裕が中学生の夏休み、破産した父親による突然の家族解散宣言を機会に、ホームレス生活を送ったという実話。

 彼のホームレス生活は、かねてより芸人の貧乏話としてテレビなどトーク番組で話していた。そのおかげで話がこなれており、分かりやすく楽しく作られている。ただその肝心なホームレス生活は前半まで、ちょうど本の真ん中で終わる。後半は彼の心の中の煩悶、やるせない気持ちを爆発させながらの大人への成長物語となる。

なにがすごいのか

 この作品のすごさは、母親との邂逅である。早くして亡くなった母は身体を悪くするまでパートで働いていた。母親に甘えたくて店に来てしまった幼い筆者にも優しく声をかけたそうだ。そしていつも自分が悪いと謝ってばかりいた。母親は何も悪くないのに・・・ そして筆者が中学生となり該当の一件の際、彼は誰にも頼ろうとしなかった。お兄さんの働いているコンビニに行っても、心配されると「大丈夫」と迷惑をかけないようにする。本当は限界だったのだ、だから兄を探したはずなのに。彼は子どもである自分として母親の真似をしていたのだ。「大丈夫だから」そういって心配かけまいとする姿は母親そのものだった。 その後、姉だけ離れて暮らす危機を乗り越え、住む場所を与えてくれた町内会の有志の助けもあり生活ができるようになる。学校に通うことができ、信頼できる女性教師にも会うことができる。やりきれない思いから自転車でとにかく突っ走ってしまったこともあったけど、元気に成長していった。そして彼はバスケットボール部に入部するとお兄さんにバスケットシューズをねだる。まだ生活も不安定で大学を休学して働いているお兄さんに、何万円もする部活で履くためのシューズをねだる。ここだ。ここが彼の成長ポイント。彼の母親は長男にこんなおねだりはしなかった。彼は自分の次男という立場を理解し、欲しいもの、困っていること、それを素直に言うことができたのだ。迷惑ならば、無理ならばそれは長男が自分の判断で断ることであって、自分から頼むことをやめる必要はない。彼は甘えることができたのだ。

きわめて日本的なクリスマス・キャロル

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 私はこの作品を読んで、世界的巨匠チャールズ・ディケンズによる歴史的名著『クリスマス・キャロル』が更新されたと感じた。かの名作は、貧しき人への施しを拒む老人に、精霊が見聞を広げさせることで、改心を促す物語である。なるほど他人の困りごとに手を伸ばせる人こそが真の豊かさを知っているといえる。しかしどうだろう、現在日本では困っている人に手を差し伸べている人は多くいるだろうか。あまりいない。その理由は何か。それは頼まれないからだ。クリスマスキャロルでは冒頭からお金の無心を依頼される。日本はそういうことは無いとは言わないが少ない。その理由はチャリティーなどの文化が無いからではなく、恥の意識が強すぎることだ。お金だけではない。人生にあるたくさんの不幸を日本人は人に言おうとしない。助けてくれそうな人を避けようとすらしてしまう。そして不幸にどっぷりつかり、自らの命を絶つ。
 私の知る自分の子どもがいじめを苦に自殺した遺族たちは例外なく「どうして言ってくれなかったのか」「どうしてわかってやれなかったのか」と憔悴していた。悔いの人生だけが目の前に広がる。彼らの人生はもう、一生、子どもに自殺されてしまった親の人生でしかない。その不幸の重さたるや!

 施しの心や分け与える心よりずっともっと、求める心甘える心こそが、恥ずかしがりやで自信のない日本人には大切だ。だから、それを成長過程の大事なイベントとして描いたこの作品は、文学史に残る名作と言いたい。

 ホームレス中学生では、主人公が友達の家に遊びに行ったとき、食事もお風呂も世話になった。そこで友達の親に見つけてもらった。家に帰らないと、と言い出さない子どもを怪しむのは当たり前のことだ。友達のお母さんは、「どうしてもっと早く言わなかったの」と怒る。当然のことだ。もう少しで、彼だけでなくたくさんの人の心に取り返しのつかない傷をつけるところだった。彼はしっかり甘えられないことで、みんなに迷惑をかけていたのだ。

映画の何が気に入らなかったのか

 蛇足的ではあるが、私はこの作品にとてつもないパワーを感じていたため、映画の気の抜けた作品作りには拍子抜けした。結局は何気ない日常のかけがえのない大切さを訴えたに過ぎない。そんなもの映画でやることじゃない。やってもいいけど原作はそんなレベルじゃない。読めてない(怒)。
 映画で表現される「味の向こう側」はラストシーンにふさわしいシーンだったが、この原作の素晴らしさの本筋とは関係ない。唯一、友達のお母さん役、田中裕子さんのセリフ「なぜ早く言わなかった・・・」の語気にはその切実さが感じられた。

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