無償の愛ではございません
先日、仕事先で同い年の子(小学4年生)がいるお母さんに「おこづかいってどうしてる?」と質問された。
ちょうど少し前から「おてつだい帳」を作り、おてつだいを1つするごとにシール1枚(10円分)を貼り、月末で締めるというシステムを始め、これが実に良かったので、意気揚々とそれを伝えたところ、思わぬ返答があった。
「この前の授業参観、道徳だったじゃない?あの時、おこづかいがテーマだったよね?」
はて。うちのクラスも道徳だったが、まるでそんなことは話していなかったのでどうやらクラスごとに違ったようだ。
そのお母さんの子のクラスで行われた道徳の内容はこちら↓
あらすじを話してくれたそのお母さんに、わたしは思わず「全然理解できないや」と言ってしまった。
子どもに衣食住を提供するのは親の責務だと思っているからだ。
そして、より良く!は自己満足である。
より美味しいご飯
より健康的な生活
より住み心地の良い家
自分が安心したり、喜んでもらいたい!を満たすためなのである。
無償の愛はあると思う。
でも、無償の愛で行動はしない。
てか、そもそも無償の愛ってなんだ?
道徳の授業を否定するつもりは毛頭ないが、道徳の授業って、「こうだからこうですね!」「はーい!」がワンセットになっている気がしてならない。
ちょっと待て。
だいすけくんが何故対価を請求したのか、そこは掘り下げないのだろうか?
発端はそこだろう。
ならば、それこそ深掘り案件じゃないか。
単純に興味本位かもしれない。
大人の真似事をしてみたかったのかもしれない。
欲しいものを自分の力で買いたかったのかもしれない。
だいすけくんが起こしたアクションはブオンと放り投げられたままだ。
ふーしーぎー。
わが家はお手伝い帳を飽きるまで活用するだろう。
お風呂が10円でキレイになる上、サンリオキラキラシールをキャッキャと貼って楽しむシステムを手放す気は毛頭ない。
読んでくださってありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?