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とっちらかっても満足

私の頭は最近とっちらかってます。

とっちらかってるくせに書くという、図々しさはどこから湧き出るんでしょうか?

ココからです👇

私のnoteの掟。

「誰か1人でも読んで良かったと思ってもらえる記事を書く」

そしてその誰か1人はいつも確定。そう私。

自己満足って自分を満足させること。



最近ね、心が揺さぶられ過ぎてるんですね。

そうすると酔いますよね。

でも快感なのでもっと揺さぶられにいきますよね。

そうしたらもっと酔いますね。

悪酔いはしたくないですね。

誰かの素敵に釣られて、自分が素敵を書けるなんて違いますね。

でも誰かの背中を見たら、頭が下がりますね。

ただ、ただ、私の頭が下がるんですよ。

頭を下げたらはっきりと見えるんです。

その誰かが歩んできた道が。


どれほど泥だらけのぬかるみを引きずったんでしょうか。そこに溜まった水の美しさに息をのみます。私はその水を飲みます。喉の乾きを潤すのではなく、明日を迎える余白をくれるから。


スケールが桁違いで誤解と誤解と理解をされた道には仲間のために缶コーヒーが置いてあります。子どものためにジュースまで用意しています。いつだってそのコーヒーは怯えることから解放してくれます。


よくわからないくらい魅力的な足跡は触れると何故か気持ちごと包まれた挙句になぜかありがとうと聴こえます。こちらこそありがとうなのに、またありがとうと返ってきます。


いつも誰かのことばかりに一生懸命な人の道は砕いた心で舗装されています。「自分を大切にして」なんてことはとっくに知っているけれどそれができません。だから取り巻く人がその人を大切にしてあげてください。


道なのに泳ぐ人は勇猛果敢でいつだって向き合うことから目を背けません。土の中でも泳ぐからそこには何本もの畝が生まれ、取れたお芋は格別です。焼き芋もスイートポテトも惜しげなくみんなに配ります。


我先にの精神を微塵も持たない人の道はただただやさしい道です。やさしいって一番難しいって私は思います。やわらかくてあたたかくてひらがながとてもにあう。「あ」を覚えたての子どもの気持ちになっちゃいます。


今も苦しいが聴こえる道はなぜかキラキラとした小石が光ります。その人は前を見てるから気づいていません。でもその小石が誰かの暗闇を照らすお守りになることをきっとどこかで知っているんだと思います。



私はただ、ただ、頭が下がるのです。

下がるほどに見えるのです。

誰かの歩んできたその道を言葉なんかにできるわけないのに。

なけなしの何かを振り絞って書き残したかった。

そう、己を満足させるために。


書かせてくれてありがとう。

読んでくれてありがとう。

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