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【詩】老樹

今日も空は青く、風は心地よい
見下ろす眺めは広く、美しい
降りそそぐ、陽の光りが
ひろげた手足を、たぎらせる

わたしがまだ、小さかったころ
大地は、もっと静かであった
山から海辺へ、吹きぬける風に
流れおちる水に、じっと耳をすましていた
いつしか、まわりは生まれかわり
わたしは誰より、老いていた
あわただしく、追い越していったのだ

なぜ、みな、高みを目指すのだろう
つま先立ち、背伸びをして
とどかない空に、あこがれる
わたしは、枝をひろげ、根をつかみ
節榑だった、幹に力を籠めてきた
そうすることで、風の強さに耐えてきた

麓の眺めは、変わってしまった
けものが走り、疾風が駆けた
藪も野原も、切り拓かれ、踏みしめられ
白く乾いた、ひらたい石に蓋われた

なぜ、みな、行き先を急ぐのだろう
わき目もふらず、通りすぎて
たどり着けない地平線を、追いかける
わたしは、根をおろし、梢をかかえ
生まれた場所で、過ごしてきた
そうして、空の広さを受けとめてきた

過ぎし日は、幻であった
確かなものなど、何もなかった
生きるとは、感じること
繰り返される、悦びと哀しみに
正しさも、疚しさも、口をつぐんでいる

みな、覚えなく生まれ
いずれ、憶えもなく去ってゆく
欲望も情熱も、驕りも諦めも
姿のない、風のざわめき
枝に賑わい、落ちて朽ちる葉に同じ

森が、命を重ねても
山の景色は、変わらない
今日も、陽はのぼり、季節はめぐる
だが、息するものに約束はない
同じ枝で、啼いていても
明日の鳥は、昨日の鳥ではないのだから

わたしも、傷に病み、痛みに疲れ
いずれ、倒れて、果てるだろう
わたしの瞳に、うつる眺めも
わたしを、瞳にうつした眺めも
手ごたえなく、うしなわれ
なにもかも、突き抜けていくだろう
そこに、何もなかったように


©2023  Hiroshi Kasumi

お読みいただき有難うございます。 よい詩が書けるよう、日々精進してまいります。