katabami

石の上にも三年。結婚して以来、その言葉を頼りに生きてきました。 どんなに辛い結婚生活も…

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石の上にも三年。結婚して以来、その言葉を頼りに生きてきました。 どんなに辛い結婚生活も、最低3年は我慢しようと。 時は過ぎ、10年目を前に家を出ました。 離婚は本意ではなかったけれど、 夫と暮らすことに身体も精神も限界でした。

最近の記事

思い出は、モラハラといっしょに

最近では少し珍しくなった、ジャングルジムのある公園の横を通った。 木漏れ日のなか、赤ちゃんから4歳くらいまでの子どもたちと、その保護者が遊んでいた。 なつかしいな、少し前までうちの子どももこうだった・・・。 キラキラした幼児期を思い出すと同時に、心にどんよりとした影が広がる。 子どもが小さかった頃、休みの日は決まって母子で公園へ出かけていた。 砂場でお店屋さんごっこをしたり、すべり台やブランコに抱っこで乗ったり。 そんな大切な記憶といっしょに、夫からのモラハラを思い出す。

    • 何かを「しない」という暴力

      殴る蹴るだけが暴力ではない、暴言は精神的暴力だ。 その認識は徐々に浸透して、やっとのことでDV防止法に精神的DVが含まれるようなった。 それはいいのだが、暴力は「暴言を吐く」という積極的な行動だけではないと思う。求められることを「やらない」、その消極的な行動も、結果として相手を追い詰め、支配的な構造を生み出す。 夫から数々の精神的DVを受けてきた。 暴言、無視はわかりやすい。向こうに非があると、周囲に分かって貰いやすい。 しかし、私がもっとも堪えたのは「子の世話をやらない」

      • 「悲しみ」を自覚する能力

        夫からの怒りの連絡が、間欠的にやってくる。 これでもかというほどに怒り、憤り、恨みを、丁寧な言葉で表現してくる。 もちろん、夫が怒るだろうとは予想していた。 だが、それと同時に深い孤独に苛まれるのではないか、 うつになってしまうのではいかと気を揉んでいた。 私の見当違いだったのだろうか…と、虚しさに包まれる。 悲しみベースの話しをしたい。怒りではなく、悲しみの。 家庭が崩壊し、多くのものと大切な人間関係を失ったことを それぞれ悲しみ、過去を振り返り、これからを話したかった。

        • 日常を破壊するのは、私か?

          夫に別居の意志と、必要性を告げた。 予想していた通り「子どもを巻き込むことは認めない」と、言われた。 夫とのコミュニケーションは、常に「認める・認めない」「認める場合の条件は」という論調で、虚しくなる。 私が大きく動こうとすると、夫は「俺の許可を得ること」を迫ってくる。 それは、直接的な言葉だとは限らない。 私の行動計画に「それは無理でしょ」「今まで通り、生活を維持できるの?」「常識から見ておかしい」などといって、断念させようとする。 今回もそうだったが、私は巻き込まれま

        思い出は、モラハラといっしょに

          モラハラ離婚は、そう単純化できない

          もう5年以上になるだろうか。モラルハラスメントという言葉に出会い、夫と暮す上での苦しさを理解し、解決する方法を探ってきた。 モラルハラスメントについては、いろんな方が、いろんな表現をしているが、単純すぎてがっかりする言説もある。 「モラハラ夫は、相手を痛めつけることが目的」という解釈は、私にとって特に違和感が大きい。それが真実であったら、どんなに離婚を決断しやすく、相手を憎んで楽になれただろうか。 夫の言動を観察していると、子どもに対する愛情はある。夫が一人で行動している

          モラハラ離婚は、そう単純化できない

          夫と別居を決めた理由

          夫との別居に向けて、私が手放せないものがある。 それは「やれるだけのことは、やった」という納得を得ることだ。 すでに弁護士には相談しており、「別居に夫の同意はいらない」とは言われているが、もう少しねばりたいと思っている。 夫とは、情緒的な交流ができないまま、長い年月が過ぎていった。 長い年月をともにした、ではなく、ただ過ぎていった。 子どもは大きくなり、ある程度、自分のことができるようになった。 別居するには、いいタイミングだと思う。 私が別居を決意した理由は「ずっと嘘だ

          夫と別居を決めた理由

          子どもと私の写真は、いつもスマホの自撮りだった

          なんだかつらいけれど、まずは努力、がまんしよう。今までどんなつらいことだって、何とかなってきたじゃないか。 結婚初年度、毎日そう思いながら暮していた。 実際に3年がすぎたときは嬉しかった。それはもちろん、結婚3周年の喜びではなく、がまんを成し遂げた自分が誇らしかったからだ。ただ、独身時代に経験した難しさ、たとえば仕事や友人関係のいざこざとはちがって、夫との生活はどんなに時間がたっても、良い方向には行かなかった。 子どもが生まれ、家の中には3人いる。それなのに、いつも孤独で

          子どもと私の写真は、いつもスマホの自撮りだった

          私が「破壊」しなければならないのか?

          夫に離婚協議を持ちかけている。すでに直接会話できない関係性のため、メールで話し合いに応じることを繰り返し求めた。 「急に言われても無理」「子どもにとって両親揃うことが何より重要」と、夫は詭弁を繰り広げ、直接の対話を拒んでいる。このまま先延ばしにして、ズルズル日常を続けるつもりなのだろう。 予想していたこととはいえ、遅々として進まないことに、うんざりする。 今まで家事育児のほとんどを私に押しつけていた夫は、離婚話を前に、「優しいお父さん」を演じはじめた。 子どもの話に耳を傾け

          私が「破壊」しなければならないのか?

          その「こだわり」を抱きしめ、生きていってください。

          子どもが飲みかけの牛乳をこぼした。 うしろにあるテレビを見ながら、飲んでいたから。 食事中はテレビを消せばいい。たったそれだけのことが、できない。 夫が、怒鳴るからだ。 夫がリビングにいると、四六時中、テレビをつけられる。 うるさいし、つかれるし、低俗な情報に触れるのは苦痛だ。 子どもが食べている時だけでもやめてくれと、何度言っただろうか。 暴言を吐かれて終わる。 私は諦めた。 この人にテレビを消させるのは無理だし、 歩み寄りなどという言葉は、何の頼りにもならない。 だ

          その「こだわり」を抱きしめ、生きていってください。

          あの日、父は母にビールを浴びせた

          幸せというのは匂いみたいなもので、ふっと感じたと思うと消えてしまうーー。 若い頃、そんな話を聞いた。子どもと一緒にいると、その匂いを感じることが多々ある。毎日、子どもを抱きしめながら、ありがたいと思っている。 同時に、うっすらとした希死念慮も抱えている。衝動的なものではなく、そこはかとなく死にたい気持ち。消えたい、終わりにしたいと言語化できるときはまだましなほうで、言葉にできない澱のようなものが漂っている。 子どもを抱いて泣けてくる幸せと、真っ白にして終わらせたい気持ち

          あの日、父は母にビールを浴びせた

          攻撃は減ったが、一緒にいられない。

          自宅とは別に部屋を借りて、夫と過ごす時間は激減した。 人間関係の問題は距離感がすべて、という話を聞いたことがあるが、それは真実だ。夫と物理的な距離をとることで、モラルハラスメントの被害は減った。まるで会社の同僚のように、必要なことのみ報告、連絡する関係性になりつつある(相談はしない)。 夫という人物を俯瞰して考える。なぜ、この人と結婚して幸福感を得られなかったのか? 夫はおびただしい荷物をため込み、昼夜逆転の生活をしている。子どもが生まれても、そのスタイルは変わらなかっ

          攻撃は減ったが、一緒にいられない。

          比較、ブラック企業と結婚生活。

          独身だった頃、いつも夜中まで仕事をしていた。従業員5~6人の小さな事務所。激務が常態化したブラック企業だったが、社長を中心にまったりとした雰囲気で、実家のような心地よさがあった。 従業員同士で飲みに行くことをもたびたびで、なぜか”二次会”と称して夜中のバッティングセンターに流れ込んだことがある。野球など興味のない私も、酔いに任せてバットを振る。当然、ボールにかすりもしないが、大笑いしながら「次こそ打つぞ!」などとはしゃいでいた。 激務かつ貧乏だったが、何の不安もなかった。

          比較、ブラック企業と結婚生活。

          七夕を前に、モラハラを考える。

          週末、子どもと出かけた先に、七夕の短冊を書くコーナーがあった。 子どもは無邪気に、「どうしようかなー」といいながら楽しそうに迷っていた。たくさん願いがあるようだ。この子の未来に希望があるように見えて、うれしかった。 願いごと。 結婚して以来、ちゃんと考えたことがなかった。夫の悪癖や暴言をなんとかすることに明け暮れていたが、願いというような希望はない。ただの「是正」に向けた独り相撲だった。 夫を是正する。こう書いてみると、なんて傲慢で、高圧的だろうか。自分にそんなことを

          七夕を前に、モラハラを考える。

          モラハラは「口が悪いだけ」なのか?

          補助輪のついた自転車を、ずいぶん乗りこなせるようになった。その子どもの姿を、安心して愛でられる生活がほしい。 母子二人で行くはずだった公園に、夫が同行した。ふつうの夫婦であれば、和やかなひとときなのだろうが、私にとっては足に鎖。夫が飽きる前に、早く帰ろうと子どもに促さなくてはならない。子どもが砂場で汚れぬよう、注意しなくてはならない。夫の爆発を予防するために、子どもの自由を奪うのが私である。 夕方、なかなか帰らない子どもにイラつきだした夫。「先に帰っていいよ」と言うと、こ

          モラハラは「口が悪いだけ」なのか?

          せめて自覚的であって欲しい

          この週末も、数々の暴言を夫に投げつけられた。すでにボロボロの私の心は、さらに殴りつけられる。反論する気力も、ない。サンドバッグの気持ちがよく分かる。 外出先で、子どもが「おもちゃをかって」とごねた。今日は買えないと話すと泣いた。夫は怒鳴った「めんどくせえことに させんなよ!」。昼まで寝ていて、ランチだけ顔を出した夫。朝から子どもとずっと一緒だった私。非対称性を無視するというか、自覚すらしていない暴言。心がグシャッと潰される。使い終わったアルミホイルを捨てるように。 このレ

          せめて自覚的であって欲しい

          「捨てる」について考える

          これまでの結婚生活は、「捨てる」の連続だった。 いわゆる断捨離ではない。必要に迫られて、捨てるしか無かったのだ。きれいな色の服は捨て、いまはモノトーンしか着ない。心が荒んで、きれいな色についていけないから。 本やCD、DVDも大部分をBOOKOFFに売った。夫が荷物をためこむタチで、物理的に置き場がないからだ。いつでも家を出られるように、身軽にしておきたいのもある。 独身時代にイメージしていた、少しキラキラした結婚生活も捨てた。というより、幻に終わった。 朝は、好みの

          「捨てる」について考える