日常を破壊するのは、私か?

夫に別居の意志と、必要性を告げた。
予想していた通り「子どもを巻き込むことは認めない」と、言われた。
夫とのコミュニケーションは、常に「認める・認めない」「認める場合の条件は」という論調で、虚しくなる。

私が大きく動こうとすると、夫は「俺の許可を得ること」を迫ってくる。
それは、直接的な言葉だとは限らない。
私の行動計画に「それは無理でしょ」「今まで通り、生活を維持できるの?」「常識から見ておかしい」などといって、断念させようとする。

今回もそうだったが、私は巻き込まれまいとふんばった。
別居の必要性を丁寧に説明して、反論して、また説明した。
夫からの引き留めは、いったん弱まった。

ところが、夫は子どもをかわいがり始めた。
今まではちょっとしたことで怒鳴り、育児を投げ出していたのに、
私が家を出る意思を曲げなかったことで、子どもとの関係を深めようとしている。

子どもはとても嬉しそうだ。
にこにこ笑って、父親とのコミュニケーションを楽しんでいる。

これが、私にとって大変な苦しみである。
ずっとずっと、そうしてほしかった。父親として、もっと子どもに関わってほしかった。父親の自覚を持ってほしかった。それが無理だと思ったから、別居に踏み出した。それなのに今頃になって…。

正直、死がよぎるほど夫との関係に苦しんだ。泣いて泣いて、ようやく家を出ようと決意した。でも、父に甘える子どもの笑顔を見ると、気持ちが揺らぐ。この父子関係を切り裂くのか? 自分は。

私は決して、利他的な性格ではないし、思いやりの精神のあるタイプではない。自分の思い通りにものごとを運びたいし、誰かに命令されるのも、不公平な生活に甘んじるのも嫌だ。
なのに、目の前の父子関係は維持したいと、思ってしまう。

このまま夫と暮していれば、体を壊し、精神を病むことが予想される。理不尽な要求、不毛な対立に苦しみ続けることは確実だ。死んじゃうんじゃないか? とも思う。
我慢の限界は越えている。でも、子どもの笑う姿を見ると、ゆらぐ。
堂々巡りで、息が苦しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?