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新谷まさこの自己紹介。看護師らしからぬ働き方してます。

はじめまして、新谷まさこと申します。
2009年に活動を開始、2012年に起業して、現在は看護師として
・講師
・著者/執筆
・キャリアカウンセラー
等の仕事をしています。

趣味は、ご当地ものや旬を楽しむこと、ふわもこです。

ご当地スーパーで地元物産やお土産を楽しんだり、道の駅で地元銘菓や野菜を選んだりしていると、ウキウキして楽しいです。

食材や花で季節や行事を楽しむことも、小さな幸せを感じています。

あと、ふわふわもこもこなど感触のいいものが好き。
パンケーキとか、サテン生地のパジャマや日本酒のサラサラ感、カットした頭の触り心地とか。

看護師のくせに、看護師らしくない働き方をしています。

「看護師=病院勤務」ではなく、

保育大学で授業を教えていたり、
全国の公共機関や企業等で講師をしたり、
雑誌の連載を執筆しています。

国立大学で病児保育事業立ち上げの有識者アドバイザーとして関わったり、
子育て支援団体「子ども看護プロジェクト」の代表を務めたり、
家庭看護や子育て支援における研究に取り組んだり、

小児救急電話相談(#8000)の相談員だったり、
京都府の介護・福祉サービス第三者評価調査員として施設訪問したり、
医療現場で実務したり…

看護師資格をもった仕事の『パラレルキャリア』を積み重ねていっています。

「え、なにそれ!?中途半端!」

って言われるかもしれませんが、看護や医療知識を、地域に届けられること自体が嬉しいので仕方ないですよね。

看護資格における医療業務は法律により決まっているけれど、働き方は自由です。
どんな風に生きるかも、自由。

noteでは

「働くことは誇りと自信をつくる」

をコンセプトとして執筆活動をしています。

ストレスが必要以上かかり、うつ未満の状態でいるなんて、苦しいしかない。

今までまでがんばったことはムダなことなんてなくて、
むしろその経験が、自分の誇りや自信をつくってきた。
だからこそ、その経験や知識を大切にしてあげたいと思ってこの仕事をしていますが、

「病院勤務で常勤の方が、収入も社会的評価も安定しているのに?」
「不安定な仕事なんて、親や家族は反対でしょ?」

とよく聞かれるので、今回ははじめての自己紹介ですから
「なぜ、私がこのような活動をするようになったのか」
少し長めですが、お話したいと思います。


「ママの自分」大嫌い!

私の起業のきっかけは2009年頃。
その当時は、大阪市の保健福祉センターで乳幼児健診、子育てや健康相談担当をしていました。

そんな仕事をしていましたが、私も悩める2歳と0歳、2人の男の子のママ。
「もういやーー!イライラする!」
と悩んでいた時だからこそ、相談に来たママは他人事ではない感じ。
応えたい!
あと、自分もママとして人並になりたいというのも本音で、いろいろ学びました。

保育、コーチング、カウンセリング、ベビーマッサージ、インナーチャイルドや小児看護、夜間小児救急相談…広い分野に視野がだいぶ広がりました。

とりあえず、ブログしてみようかな。

長男2歳。
「イヤイヤ!」期まっただなかで、子育てにイライラしっぱなしでしたが、

「う~…こういう時どうしよう…」
という自分の悩みをネタにして、
「こんな方法はどうかな?」
と、子育ての技をブログに書き始めることにしました。
このブログをきっかけに講座も開催するようになりました。

でも、身内や周りの人から見たら遊んでいるようにしかみえなかったんですよね。

子育てに関する厳しい言葉が届くようになりました。

「子どもをほったらかしにして、遊んでばかり」
「あなたの子どもでいることがかわいそう」
「子どもが小さいのに夜勤なんかして哀れだね」
なんて言葉をかけられることもしばしば…。

確かに、ブログを書いたり、講座していると、誰かに必要とされ、感謝され、収入にもなるから楽しかったんですよね。

ママとしてはダメでも、個人の仕事では、ちょっと「できている私」を味わえるから居心地もよかった。

最初は、泣いてた。
私はダメな母親だな。って。

でも、ある日、小児救急電話相談に出務するため夜勤に出かけようとしたとき

「じゃあ、ママ行ってくるね」
長男)「うん、いってらっしゃい」

ドアを出て数歩歩いた時に、玄関の扉がバタン!と開きました。

長男)「ママーーー!いってらっしゃーーい!」
と、道路まで出てきて、大きな声で長男が送ってくれました。

母親が夜勤に行く=子どもがかわいそう
って言われていたし、私もそう思っていた後ろめたさがあった。

でも、次男が3歳くらいの時に額を8針縫うけがをしたときに、病院先を教えてもらった経験があったので

「次男くんの血がいっぱい出て大変だった時、怖くて慌てていたけれど、#8000の人に優しく教えてもらったの。
だから、無事に病院に連れていけたんだよ。
今度は、ママがお返ししているの。」

と、小児救急電話相談に出務する時に何度も話していました。

それが、子どもながらに誇らしく思ってくれたのかな。
ものすごい大きな声で

「ママ―、夜のお仕事がんばってねーーー!」

と叫ばれて、道行く人たちからは
(どこの夜の蝶だ?)
と顔をみられましたけどね(;'∀')

「本当にそこまで否定されるほど、私はダメな母親か?」
と、考えたときに
…絵本読んだり、栄養考えてごはん作って一緒に食べている。
保育所お迎えの時は、全力で抱っこして受けとめてるし…

出来ていることもあったんですよね。
それなのに、人の言葉が正しいと思いこんでしまっていた。

今も時々、姉や友人知人と比べては落ち込むこともあるけれど、
「私はこう思うよ、してるよ」
と、自分の言葉で言うように変えたことで、
「ママのわたしも、まぁまぁOK」
と思えるようになってきました。

「主婦の小遣い稼ぎには上等な講師料でしょ」と言われて起業スイッチ入りました。

ブログで子育ての技と称してノウハウと公開していたら、

「新谷さんは何歳ですか?子育て支援のベテランさんですよね。」
「講座開催の予定はありますか?」

とコメントをいただくようになり、初めての講座開催にも挑戦してみました。

いっぱいの感想をいただけるほど喜んでくれる講座ができて、私もうれしかったです。

そんなある日、近所の施設職員さんから、
「よかったら、うちの施設開催の子育て講座でやってみませんか?」
と、声をかけてもらいました。
いつ開催するか、回数はどうするか…
最後は講師料の話。

「講師料は5000円でいいですよね。主婦の小遣い稼ぎには上等な講師料でしょ」
と担当の女性からの一言。

ん?
(なんかもやもや…。)
(いやいやいや!初めてなのに、講師料をいただけることがありがたいから!)
その時は全然わからなかったけれど、確かに違和感を感じました。

何回か講座を経験した後に、その理由が分かりました。

他の人の講座やセミナーに参加してみると、その人がどれだけの時間と労力、学習への投資をしてきたのかも垣間見えます。
講師にとって、講座やセミナーは労力の結晶。
それを値踏みされたことに不快感があったんですよね。

参加者が喜んでくれるように、
悩みが解決するヒントが持ちかえれるように、
笑顔や元気がでますように…
そこに焦点をあわせて、全力で講座つくってんねん!
お金が欲しいだけなら、単発バイトした方が確実で早くて楽だわ!
ふざけるな!

そんな怒り。
怒りの奥には、そうやって参加者さんの可能性を信じて、最善を尽くすことを理解されなかった悲しさがあったんだろうなと思います。

ということから、「この内容なら〇〇円ね」という値踏みではなく
「新谷まさこ」として依頼がもらえる講師を目指すようになり起業しました。

変なところで負けず嫌いだった自分を知りました…。

セミナーグランプリの全国大会ファイナルまで進んだことも。

一般社団法人日本フリーランスウーマン協会創設。

講座や研修後に、参加者さんからいっぱいの感想をいただけることに励まされ、講座をどんどん良くしていきたい気持ちがわいてきました。

当時は実績も肩書も、またなにかの協会所属もしていなかった私ですが、初めての企業依頼をフコク生命様からいただきました。

それが実績となり、
その実績がまた次につながって、少しずつ講師活動を続けていきました。

そのうち、いろんな女性起業家と出会う機会がふえ
(こんなに素敵な人たちが、さらに活躍していくようになったら、すてきだろうなぁ)
と思う気持ちに動かされて、
「一般社団法人日本フリーランスウーマン協会」
を創設しました。

ありがたいことに、創立初年度から大阪府松原市より事業受託をうけることができ、講演開催や女性起業家支援の一端に関わらせていただきました。

そして、協会主催のセミナーでは、第一線でご活躍の講師の方々に登壇いただくなど想いをカタチにする喜びを味わってきました。

はじめての出版・1万部の重版。そして転落。

2014年にはじめての書籍出版
「よくある子どもの病気けが まずの対応マニュアル」
を出版しました。

ありがたいことに重版が叶い、改訂版の出版もふくめると保育書籍としては高評価となる1万部をこえる書籍となりました。

関西テレビに「子どもの看護の専門家」というかたちで出演させていただきましたし、出版にメディア出演、全国セミナーなど、やりたかったことを叶えて…

…そこに続いたのは、強烈なバッシングでした。

直接的に、私の活動を責めてくる人もいれば、
周囲の人から
「新谷さん、今大変だね。周りの人がみんな悪く言ってるなんてつらいね」
と気づいていなかったことを教えられて知る事実など。

必死になって頑張っていたつもりが、逆に攻撃されることになるなんて悔しくて、苦しくて…

でも、一部の声に負けず、自分が信じることをやり続けようと無理した結果…
体調を崩し、1ヵ月の入院。
そして、半年ほど杖を使わないと歩けない不調の状態が続きました。

体の不調と共に、メンタルも一気にガタガタ…と崩れていきました。

人が怖くなりました。
誰かと連絡を取ると、自分が否定されていることを目の当たりにすることが怖くどんどん引きこもるようになりました。
隣の家のチャイムの音でも怯えるようになりました。
当然知人に連絡することもなくなっていき、SNSの更新も止まりました。

「新谷…終わったな」

そう思われているだろうという思い込みで自分を責め続け、心身ともに崩れていった私は、心療内科を受診するまでになっていきました。

認められたい承認欲求の高さが悪い方に出ました。

仕事に自信なんてもてるわけない。

バッシングから心身ともに体調を崩し、約1年半たちました。
やっと、自分の身の回りのことや、子どもの授業参観程度なら出かけられるようになってきたころには、貯金も尽き生活が苦しくなってきました。

でも、もう前と同じように活動する気力もありません。

近所のユニクロやスーパーのバイトの面接にいきました。
でも、看護師資格があることで採用は得られませんでした。
ハローワークにもいった。
でも、希望をだしたところから不要といわれました。

「看護師資格があれば、何とでもなるでしょ?」
と言われますが、私のパラレルワークとしての活動は、あくまでバイトやパートの分類。
看護師として、ひとつの病院で勤続年数20年などのキャリアではない私に商品価値はなく、看護師としての価値は年収180万円ほどでした。

バッシングを受けて心が折れる程度の実力で、看護師としての商品価値もない。

(稼げない自分には価値がない…)
と思うには十分すぎる条件が、手を変え品を変えやってきました。

仕事がない不安。

子どもが冷蔵庫を開けて「おなかすいた…」というのに、何もだせない情けなさ。
専業主婦として、子どもや夫を盛り立てられる安定感もない不器用さ。

何をよりどころにすればいいのかすらわからず、日々迷うばかりでした。

「そこで踏ん張って動いてこそでしょ!」

と鼓舞しようにも、生きてることも苦しく、体の痛みも加わって物理的にも動けない時なので
「がんばること」
は過呼吸を出現させ、寿命を縮める思いでした。

けれど、これがきっかけで、これまで外に外にと向けていた方向が
・家族や友人知人など身近な人
・自分のこれまで積み上げてきた経験
・自分との対話、体のケア
に向き始めました。

このおかげで、私の人に認められたい承認欲求や他人の目を気にしすぎる感情の溜飲が下がっていったんだと思います。

童話「青い鳥」と同じですね。
【しあわせは、みじかなところにあった】ですね。

復帰へ

2016年の熊本での震災や各地での台風被害による避難生活など、日常が当たり前じゃなくなっていく出来事が世の中に続きました。

避難生活の報道を見るたびに、
(子どもが熱を出していたらどうしているんだろう…)
と、不安な気持ちと自分の無力感を感じました。

そして2019年新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックス。

病院は危機的な状況となり、気軽な受診ができなくなりました。
家族の誰かが発症すれば、濃厚接触者となり家庭の機能も低下します。
当然#8000の相談件数も急増化していきました。

今も時々ありますが、この時期は特に電話相談で
「相談出来てよかったです…不安で怖くて…」
震える声とともに感謝の言葉をもらうことが多かったですね。
物理的な支援ができなくとも
その場で子どもに寄り添うパパママの力になれていることが誇らしかったです。

復帰を決めた一通のメール

大学で保育士養成課程の授業を受け持っています。
ある日、実習を終えた学生からメールが届きました。

ーーーーー
保育所実習中に、子どもが嘔吐しました。
その時は保育士さんたちが対応していたのですが、私もその場で窓を開けて関わることができました!
授業で、嘔吐処理を練習していたおかげです。
ありがとうございました!
ーーーーー

何気ない報告のメールですが、とてもとても嬉しかった!

彼女が実習生として、保育現場で主体的な関りができたこと
授業でそのきっかけを与えられていたこと

子どものために、何かしたいと動こうと思ってくれたこと
そんな彼女が将来、保育現場にいてくれるだろうこと

ありがたいなぁ…

ありがとう。


自分の子育ても仕事も、どっちもOK

コロナ禍に出務した病院で地域の訪問診療に関わり、在宅介護や在宅における終末期医療など様々学びました。

現場で働いていると、
「この人がいてくれて、この仕事をしてくれてありがたい」
そう思える人たちに出会いました。
現場には、プロがいる。
地域には、社会制度が充実していっている。
なんと心強いことか。

それならば、私ができることをしよう。
そう思ったときに私ができることは、子ども看護講座とキャリアカウンセリングでした。

「今」子育て中だった人も、子どもの成長と共に状況は変わります。
「これから」は先輩パパママとして、友達や同僚にアドバイスする側に変わります。

「今」悩みつらかった時に、支えられた優しさと乗り越えられた勇気と知恵が、
「今度は」周りの人にバトンのように渡されます。
その流れのきっかけのひとつになりたいなと思ったのです。

「いってらっしゃい」と送り
「ただいま」「おかえり」とむかえ
また「いってらっしゃい」と送る
そんな1つの居場所でありたいと願いました。

もちろん、私も支えてもらえたからこそ、このリスタートに立てましたしね。
結局、2009年の原点に戻ってきちゃっいました。

私が話すことは、常に
今の悩みに対して、どうしたらいいのかの行動論と、その考え方です。

noteでも、その一部を公開していきますので

「これからも新谷の発信をチェックしたい」と思っていただけた方は是非、フォローしていただけたら嬉しいです。

それではまた、記事でお会いしましょう。

ありがとうございました!

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