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【和風ファンタジー】海神の社 第十一話【誰かを守れる人間になれ】

マガジンにまとめてあります。


 真鶴は稲神の社《やしろ》の中にいて、夜も眠らず起きたままでいる。彼女には眠りは必要ない。真鶴こそは和御魂《にぎみたま》の化身、『和《にぎ》の変り身』なのだ。

 真鶴のいる社殿《しゃでん》も、鳥居も朱色に塗《ぬ》られ、目にも鮮やかだ。稲神《いねがみ》の社《やしろ》は、海神社《わだつみしゃ》よりもよほど小ぢんまりとしているが、荘園の南側にあり、大池の青を背景に、朱が見事に浮かび上がっている。

 まして今は実りの秋。紅葉《こうよう》した木々の葉もまた、境内《けいだい》にて彩《いろど》りを添えている。

「実咲《みさき》さま……。今どうなさっているだろう?」

 真鶴をこの世に顕現《けんげん》させたのは、他ならぬ南城実咲《みなしろ みさき》であった。

 かつて実咲に真鶴はこう言った。

「私はこの社がある一帯に稲の実りの恩恵をもたらします。この大八島《おおやしま》のある海の向こうの大陸とやらはよく知らないですが、風水で整えられた宮部さまの荘園は居心地が良いから好きです」

 その時から間《ま》もなくして実咲は今の姿となり、正気を失ったために、兄の希咲によって土蔵《どぞう》に押し込められている。

「実咲さま、元には戻られないの?」

 ひざを抱えてうずくまる。

 希咲は弟を元の姿と心にしようとしている。だが弟は、真鶴を現《うつ》し世に『和《にぎ》の変り身』として出しただけでは満足出来なかった。そこで満足していれば。
 
 希咲も何度もそう説いたが、弟の妄執を晴らせはしなかった。真鶴はそれを知っている。

 実咲が物心ついたときから、兄の希咲はずっと賢く優しく勇気があった。どうあがいても敵《かな》わぬ相手。それが三歳《さんさい》上の兄だ。

 希咲は自分が優れているなどとは全く思っていないようで、実力をも鼻に掛けず、実咲を思いやってくれた。それがますます実咲の妬心《としん》をやり場のないものにした。

 なぜ自分は兄のようではないのだろう。

 なぜ自分は兄に、何一つとして敵《かな》わないのだろう?

 華族の一員ではないが、武門の誉れ高き家柄に一人の娘がいた。女でありながら強く勇ましく、その上美しく、実咲は彼女に恋情を抱いていた。

 その娘はしかし、実咲には一顧だにせず、遠縁の男と結ばれた。その男は、実咲とは外見からすれば比べ物にならぬほどの無骨な印象だった。

 まだ少年であった頃からすでに英雄としての声望を得ていた兄にも、さして心動かされた様子を見せぬその娘であったが、だからといって実咲に振り向いてくれるわけではなかったのだ。この事件が、なおさら実咲の自分自身への認識を歪ませ、誤らせた。

 いっそ実咲《じぶん》が二目と見られぬほどに醜くければ、同情してくれる者もいたかも知れない。しかし幸か不幸か、実咲は見た目ばかりは兄と同じくらいに美貌に生まれついたのだった。

 そのせいで余計に、兄の希咲より劣る事ばかりが目につくのだ。実咲は美形に生まれた自分を呪《のろ》いさえした。

 ある時、実咲は病に倒れ、弟の身を案じた兄によって献身的な看病を受けた。和御魂《にぎみたま》の力を用いた癒やしが全身にしみてゆくのは心地良かった。

 実咲は兄にどうしようもないほどの妬《ねた》みを感じていたが、当時に愛情も感じていた。嫉妬《しっと》してはいたが憎んではいなかった。憎めなかった、と言ってもいい。

 兄は美しく優しく謙虚で、それでいて誰よりも勇敢で強く。

 まさに理想の兄だった。華族だからとて誰もが立派に生まれ育つわけではない。中には腐れ切った根性の持ち主もいる。そんな人間に比べたら、希咲は、なんと理想の兄であることか!

 和御魂《にぎみたま》。そうだ、それだ。

 実咲の胸の中に、歪《ゆが》んだ野心が芽生えたのはその時だった。

 いくらか傷を負ったが大した傷ではない。巨体の鵺は倒した。鷹見はほっと一息をつく。もはや背後からも戦いの音は聞こえなかった。

「助かった。ありがとう、やはり宮津湖に来てもらえてよかった」

「なに、大したことではない」

 宮津湖の返事は素っ気《そっけ》ないようにも聞こえるが、以前のような冷たさはもうなかった。
 宮津湖は続けて言った。

「南城様はまだ起きておられるだろうか。出来れば今晩中に報告をしたいものだ」

「月の位置からすれば、いつもならまだ起きておられる時間だよな。さすがに清めは無理かも知れないが、まあそれほど急がなくてもいいだろうな」

「もうお加減《かげん》は大丈夫なのだろうか。俺はそれが少し心配でもある」

「なあに、南城様お一人でなくともいいんだ。宮部様がお忙しいなら真鶴に手伝ってもらえばいい」

「では戻ろう。ここですることはもう何もない」

 三人は玄武の山を降りていった。月星が雲に陰ってゆく。後に残るは闇ばかり。

「希咲様、まだ起きておられたのですか」

 鷹見一人で希咲の屋敷に入っていった。詰め所ではなく、正面の入り口からだ。

 屋敷の周りには、白木の檜《ひのき》の塀《へい》がめぐらされている。屋敷自体もその造りだ。簡素だが品を感じさせる造りだと鷹見はいつも思う。

 希咲は庭にいた。庭のすみにある土蔵の前に一人で立っていた。

「何かあったのか」

 鷹見の目に映る主《あるじ》の姿は、鷹見に希咲を案じる思いを起こさせるのに充分だった。昨日、海神社の『癒しの森』で会った時にはほとんど回復し切ったように見えたが、今は疲れと心痛の色が隠せないように見えていた。

「希咲様、あまりご無理はなさいませんように。まだ動けるようになれたばかりではありませんか」

「私のことは案じてくれなくてもかまわない。それより、お前の話を聞こう」

 普段なら、主《あるじ》からこう言われても、鷹見は自分の話を先にしたりはしない。だが、事が事だ。先に報告を済ませようと、要件を端的にまとめる。

「はい、北の玄武の山に鵺《ぬえ》がたくさん発生していました。宮津湖と東の助けで全て退治しましたが、この度は浄《きよ》めの儀式が必要かと存じます」

「玄武山に鵺が」

 希咲は繰り返した。確認のためだけにするのではないのだろう。完全に予想外ではないにしても、やや意表を突かれた様子ではある。

「そう、分かった。今晩は無理だ。明日行く。三人ともご苦労であった」

「かしこまりました、ではごゆっくりお休みくださいませ」

 鷹見は、軽く頭を下げた。

「そうだ、これだけは言っておこう」

「はい」

 何か深刻な話なのだろうかと考えて、鷹見は表情を固くした。

「いつもありがとう。感謝している」

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