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英雄の魔剣 1

 コンラッド王国。この国の王族には、建国からの伝統がある。
 国に危機ある時は先陣を切って戦え。
 それが、建国の父である英雄王コンラッドの遺訓(いくん)である。
 それはまさに英雄に課せられた使命と言えたが、王家に生まれた者すべてが英雄に生まれついたのではない。
 王家の者は英雄になるのだ。

 アレクロス王子は王宮のバルコニーに立って、沈み行く夕日を眺めていた。赤みがかった濃い黄金色の髪が、風にかすかに揺れる。
 三百年にもなる長い歴史が、コンラッド王国の歴史だ。それはアレクロスが継ぐべきもの、課せられた使命でもある。世継ぎの王子、王家の正王妃の長子として生まれたアレクロスには生まれた時から重責があった。

 王宮自体は、コンラッド王国以前から存在していた。《法の国》の時代から存在した。《法の国》の一領主の住まいであった。《法の国》が崩壊して、新王国時代になってから前王国の王が住んだ。その後、コンラッド王が引き継いだ。いや、奪い取ったと言うべきなのかも知れない。

 英雄王の末裔。自分は果たしてその重荷を背負える人間であろうか。アレクロスは常に疑問に思ってきた。
 父王や臣下の者たちが、自分のことを何と言っているか。王子は充分知っている。
「優しく聡明ではあるが、国を治めるにはあまりに頼りない」と。
 このコンラット王国が平和であれば、それでも何の問題もなかった。
 世界は魔性の化け物どもに日々襲撃されている。アレクロスは決して臆病ではないが、次期国王となる立場には、勇気だけでなく時には苛烈さや冷徹さも必要だ。つまりは、真の『英雄』でなければならない。
 アレクロスは自分を歯がゆく思ってきた。ずっと。

 人類の敵である《魔物》とは何か。《奈落》の底に棲(す)んでいるモノだ。
 《奈落》はまたの名を《魔界》とも言う。
 その《奈落》から魔物はやって来た。

 《奈落》は暗く、光が一切無い場所だ。果てもなくどこまでも続く。それは地底にあるのだが、人間と他の地上の生き物が暮らす全ての土地を合わせたよりも広大だと伝えられてきた。実際に、真相を──深層を──知る者はいない。アレクロスはそのような人物を知らない。もしもいるのなら、それは人間ではないだろう。

 魔物は膿(うみ)である、と言われている。世界の膿、大地の女神の膿なのだと。自然に生じはしたが本来あってはならないモノ。治癒されるべきモノ。
 いかにして世界を治癒するのか。世界は優しくはなかったので、人間は湧き出した膿を、その都度始末するより他になかった。
 魔物は膿であるが非常に美しいモノもいる。反対にとても醜い姿をしているモノもいる。人間の目には、人間の感覚では、そのように見える。

 アレクロスはこう考えた。コンラッド王国は世界のごく一部に過ぎない。何とかしてこの国を救う。
 初代コンラッド王の武具。それがあれば。それさえあれば。もっと強く、もっと賢くなれる。

──俺は、英雄になりたい。真の英雄に。

 コンラッド王国は建国者の名をそのまま付けられた。常にアレクロスに重圧を与える存在だが、重責は何もアレクロス一人にのみ、のしかかるのではない。歴代の国王たちは皆それに耐えてきた。

 アレクロスは、幼い頃から彼に従ってくれていた、同い年の魔術師の報告を待っていた。
 その魔術師は世継ぎの王子の親友であり、王家の遠縁の大貴族。
 英雄王に仕えていた忠良なる臣下のうち、特に能力・見識共に優れたる七人は王宮に肖像画と彫刻を飾られる栄誉に与(あずか)っている。建国王と並んで神格化された男女の偉人たちである。
 その中でも一番の存在は、レイナルド・エルナンデであり、その直系男子の子孫がアレクロスの親友セシリオである。
 王家とエルナンデ家は長らく血縁・姻戚関係にあった。
 エルナンデ家は公爵位を与えられている。爵位ある貴族の中でも別格だ。親友セシリオは、そのエルナンデ公爵家の長男である。つまり彼は、名門の跡継ぎである苦しみと栄光の双方を、アレクロスと分かち合える立場であった。

 セシリオは幼い頃から周囲の期待を裏切ることはなかった。レイナルドの再来と言われるほどに、傑出した魔術の才能を持っている。それでも決しておごり高ぶることなく、王子に対して忠実、心からの敬意を常に捧げている。
 アレクロスはそれを心底からありがたく思う。
 セシリオには時に厳しく諌(いさ)められた。この王国を創った英雄ベルトラン王は諫言(かんげん)をよく聞き入れたと言われる。自分には、偉大な開祖のような度量はないと王子は思い続けてきた。
 言われるたびに自分の駄目さ加減を思い知らされる気がしていたからだ。

「セシリオの期待に応えられるだけの器が僕にあればいいのに」
 隣国ブリランテ女王国。かの国が友人に高い位と莫大な富を約束して、女王の宮廷に招いたのは知っていた。
 ブリランテも魔物の襲撃には悩まされている。だから優秀で強力な人材集めに必死だ。人間同士で戦争をする余裕はないが、思いやるゆとりも同じくらい無い。
 自分が何とかしなければならない、とアレクロスは思う。
 その時、親友の凛とした声が背後から聞こえた。
「アレクロス王子。お待たせをいたしました」
 アレクロスはそちらを振り向いた。友人の手に武具があった。漆黒の武具が、建国王が用いたとされる鎧と魔剣が、そこにあった。
 その時、アレクロスは直感した。
 自分は、真実の自分を脱ぎ捨てて英雄になるのではない。
 偽りの自分を捨てて、英雄として目覚めるのだ、と。

 それは遠い過去からの、アレクロスが生まれる前からの、彼に授けられた約束だと思えた。

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