復讐の女神ネフィアル 第3作目『美女トリアンテの肖像』 第3話
二人は空中通路を静かに歩いていった。一足ごとに足元で埃(ほこり)がたつ。
そのうち、奥の方に光が見えてきた。光は緑色であった。それまで歩いて来た通路も、これから先の通路も、ほぼ真っ直ぐである。しかし時折、定規で直線を引きそこねたかのように、奇妙なずれを生じていた。
それでもどこにもひびや割(わ)れ目はない。壁も床も天井も全部が、そのずれに合わせて形成されている。
緑の光差す方へは、難なく辿り着けた。二人はその前に立つ。
緑の光は、エメラルドのタブレット(板状の物)のように行き止まりの壁に掛かっていた。
その上に文字が浮かんでいるのが読める。
「上にあれ。下にもあれ。全ては等しく、均一に。本来、全ては平等であり、等しく創られている」
「《緑玉の言葉》か。少しだけは聞いたことがある」
と、アルトゥール。
「私もです。あまり良い話は聞きません」
「良いか悪いか、それは判断する側次第だ」
「あなたは魔術師ギルドにも友人がいるのでしたね」
だからなのでしょう? とジュリアは言いたいのだろう。そう察する。
それは話が逆で、魔術的な事物にも抵抗がないから、魔術師ギルドとも深い関わりを持てたのだ。だが、
「ああ。いる」
とだけ言って、それ以上詳しくをアルトゥールは語らなかった。
エメラルド・タブレットは、こうして近くに寄ってみると、その光は淡く眩(まぶ)しくはない。
アルトゥールの魔術師ギルドの知り合いには、グランシアという名の美女と名高い魔術師がいる。彼女がエメラルド・タブレットについて語ったのを思い出す。
「エメラルド・タブレットは、《法の国》初期の大魔術師ダイハールが、その持てる叡智の限りを尽くして作り上げたの。彼は若い頃から大英才で将来を嘱望されていたわ。彼は《法の国》が明るく健全であった時代にそれに相応しく生まれ、そして育てられ、活躍出来た人なの」
グランシアの表情には、憧れの思いが見えた。
遠い時代の話だ。彼女の眼差しも遠くを見る目になっていた。ここではない、どこか。それは現実の、過去に存在した《法の国》なのか。それとも伝説に語られる美談の中の帝国なのか。
美談伝説もまるきりの嘘でもない。
少々誇張が入っているだけで。
《法の国》の末期、白大理石の街の時代には、美談と言えるだけの言い伝えさえもない。
しかし、それもひょっとしたら偏った見方であって、末期にも良い面はあったのかも知れない。
現代はジュリアン信仰が全盛の時代だ。ネフィアル信仰が盛んであった時代である《法の国》は、そもそも良く語られることが少ない。歴史は強き者、権力を持つ者に都合よく語られる。そんな一面が常にある。
過去の帝国の初期や中期でさえも、こうしてジュリアン信仰から自由な魔術師ギルドだからこそ良い面も──当然、良い面だけでもない──堂々と語られるのである。
魔術師の多くは、神々への信仰には比較的冷淡であるから、彼らは別段ネフィアル女神に対して親近感を持っているわけでもない。それでも『今の』大抵のジュリアン信者よりは、よほど公平な見方をしてくれている。
それは一人アルトゥールがそう思うのみならず、衆目の一致するところである。
いずれにせよ、ダイハールは魔術師からは特に尊敬され、ジュリアン神官や熱心な信者からは忌避感を抱かれ、他の人々にはさして関心を持たれぬか、そこそこの敬意が表される。そんな存在であった。
グランシアは説明を続けてくれた。
「ダイハールは、今の私達が用いる魔術の基礎を築いた人よ。それまでは皆、ばらばらに自分の師匠や家系に伝わったやり方を口伝で知っていたに過ぎないの。ベナダンテイと呼ばれる人々が使う自然魔法とも区別されていなかった。それを、整理し、系統立て、ばらばらだったのを統一した学問体系に仕立て上げたのよ」
「つまり、ダイハールは今の魔術の基礎を創った人物だ」
アルトゥールは魔術師グランシアから聞いたすべてを語らず、ジュリアに対しては、そのようにだけ言った。
「エメラルド・タブレットは、その魔術の基礎の中でも、さらに一番土台となる原理を書いた物だ。それ自体に魔術の力がこもっている。エメラルド・タブレットは、ダイハールの生前何枚も作られた。おそらくその一枚が、何らかの経緯でルードラの手に」
「そうなのですか、きっととても貴重な物なのでしょうね。それをこのように無防備に」
「無防備? ご冗談を。これはとても強力な品なんだ。ルードラほどの魔女がエメラルド・タブレットを無駄になどするものか。これはここの守りなんだろう。あるいは、攻撃してくるかも知れない」
まさに、その『あるいは』が実現化した。
エメラルド・タブレットは突如、雷光を轟(とどろ)かせた。雷撃は通路には一切傷を付けず、ただ二人だけを強く撃った。
今はまだ昼にはならぬ。朝のうちの遅い時間帯である。窓からはますます高くなる日差しが差し込んできて、通路内部を照らす。
雷光は陽光をも凌駕した。アルトゥールの目がくらむ。のみならず、思わず片膝を床に着いてしまうほどの痛みと痺れが全身に走った。
──治癒と防護……。治癒と防護だ。どちらかを先に、同時には出来ない。早く……。
この迷いはわずかの間のもので、ほんの瞬時でしかない。その瞬時が明暗を分ける時もあるのだった。
アルトゥールは防護の神技を使い、ジュリアは自身とアルトゥールを同時に治癒してくれた。意思疎通して示し合わせたように、上手く功を奏したのであった。
アルトゥールはジュリアに礼を言わない。
「必ずルードラには裁きを下す」
ただそれだけを口にした。
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