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木幡吹月『尺八古今集』名言集☆『尺八の世界性』

木幡吹月こわたすいげつの尺八哲学とは。




昭和26年(1951年)に刊行された月刊『尺八』に掲載されたコラム、『尺八古今集』というものがある。著者は木幡吹月。10回に渡り連載されたようだ。


それをコピーして一冊にまとめた小冊子が、見出し画像左側で、岐阜の師匠、故藤川流光師に譲って頂いたもの。
(表紙の木幡の名前が小幡になっている汗)

これは竹内史光師が作ったもので、当時の門下に配ったもののようです。史光師は、浦本折潮のコラムなどもまとめてコピーして冊子にしたりしていて、当時、尺八の情報をどのように集めていたかが伺われます。




木幡吹月とは誰だろうなんて思いながら何気に読んでみると、なんと痛快で面白いこと。

早速尺八研究家の神田可遊氏にどのような人か質問し聞いてみた。木幡吹月師の次男・和田真月師が、この『尺八古今集』を新たに読みやすく書き直し冊子にしたものを作っていたとのこと。そして送って頂いた。

この中の序文にて、和田真月師が『尺八古今集』を現代でも分りやすく書き直すことにした経緯を書かれている中で、神如道の直弟子の小出虚風氏も同じように、『尺八』誌から『尺八古今集』を、抜粋しコピーして本にしていたことが書かれてあった。木幡吹月の「活字に込められた竹への情熱」というのは古今東西変わらないのだなと思った。




木幡吹月とは

1901(明治34)年生まれ。
1983(昭和58)年没。
島根県宍道町の旧家(名家)の木幡家十四世で、代々久右衛門を名乗っていた。戦前は町長や県議で、戦後は島根新聞(現・山陰中央新報)社長、山陰中央新報顧問をつとめながら、「八雲本陣」という旅館も経営。
『鬼の念仏』という本を4,5冊出版している山陰の文化人でもある。多趣味で多くの文化人との交流もあったという。棟方志功が虚無僧姿の木幡吹月師を描いている。

神如道の門人で、尺八界では一家言のある実力者、かつ古管や古譜の収集家でもあった。

84才をもって人生の幕を閉じる。


神田可遊氏から教えて頂いた情報と、和田真月師の序文などを参考にしました。

尚、虚無僧研究会誌『一音成仏』第三十六号に和田真月師の投稿された「如の字の一神先生と私」にも、父上である木幡吹月師のことが書かれている。



当時の三曲界は、今と違い、百花繚乱、新旧の流派が入り乱れ、競い合い、熱気に溢れていた。とくに、木幡氏が活躍した関西は都山王国で、山陰では古典本曲は極めて少数派、都山流に非ずんば尺八に非ずといった風潮に覆われていたそうな。

そういった環境の中で、木幡氏は歯に衣着せぬ辛口コラムを『尺八』誌に連載した。
当然避難の声はあがり、他流派の読者による不買運動まで起こったが、誌上での反論は無かったとのこと。姫路の小出師や、岐阜の竹内史光師のように、心待ちにしていた人もいたのかもしれない。



第十章までありますが、今回は第一章の『尺八の世界性』から、抜粋して紹介したいと思う。臨場感があるためあえて木幡吹月師の書いたままを載せたいと思います。あとの勝手な私の感想はサラッとお聞き流しくださいませ。



第一章 尺八の世界性



戦後、日本文化の再吟味が流行し、反省が要求された当時、あらゆる古来の日本文化を一々世界性という目盛りの判らぬ秤にかけてみねば承知できず、秤にかけて目方の軽そうな日本画や日本音楽は将来性なしとしてその滅亡論がいろいろ取りざたされ、気の早い連中の中には日本の岩絵具を酷使して、油絵まがいの日本画を描こうとする一派もあれば、尺八で洋楽類似の曲を吹いたり、オーケストラの真似事をしたりする新流派も出たが、流行りものは廃りものの諺の通り、昨今は再び古典の研究が唱えられるに至ったのは、不思議な話と種をきいてみれば、その再反省も実は外国の偉い人から注意されての事とは、どこまでいっても、あなたまかせの事大性が抜け切らぬだらしなさには開いた口が塞がらぬ。



なかなか面白い話。戦後、日本の芸術は将来性無しと滅亡論まで出ていたんですね。あながち大袈裟でも無いかもしれない。滅亡しかかっている普化尺八の生き残りの少なさに木幡吹月師はきっと驚愕する事でしょう。他にも、着物や下駄など、日常的な古来の日本様式も周りを見渡せば…。下駄や草履の修理屋さんが高齢化であと数年で消えていくであろうというのが私は気がかりです。



最後の「あなたまかせの事大性(弱いものが強いものにしたがうこと)が抜け切らぬだらしなさには開いた口が塞がらぬ。」とは、戦争に絡んだ話ではあると思いますが、和田真月師は「どこまで行っても他人の評価に弱い日本人の性格が出ている」と訳されています。(ふと、BBCによって取り上げられようやく明るみに出たジャニーズ性加害問題の事を思い出しました。)



さて、昨今は尺八で洋楽を吹くのは別に普通の時代となりました。

今や、日本人より外国人に人気があると言う古典尺八は、音楽性というよりも、どちらかというと、ビジュアル的なもの「仏教」「メディテーション」「楽譜の縦書きがお経的な雰囲気」といったものが取り入れられているのではないでしょうか。簡単にネットで何でも手に入るし、知ることも出来るので、それほど敷居も高くなくなった。尺八の製作図面もネット上にいくらでもあるので誰でも作れる。歌口をあの斜めに切ったのが、尺八と言えるのだから、長さも穴の数も位置も関係無い。日本だって勝手に五孔に変えてしまったんだし、文句は言えませんが。

数年前からネットが解禁になったキューバの男性から、尺八の事を教えて欲しいとSNSを通じて連絡がありました。キューバには尺八情報がほとんど無いとのこと。結局彼は自分で、竹を切ってきて作っていました。根っこも節も関係なく。ロツレチから「調子」を丁寧に教えましたが、彼は曲よりも雰囲気を味わっている様子でした。その後、なんと彼はアメリカに亡命。尺八を送ってあげましたが、忙しいのか投稿も連絡もとんと無く、「流行りものは廃りもの」となっていないことを祈るばかり。




尺八の音質が静陰なもの故、陽気な長唄とは絶対にマッチせぬものなのに尺八の各流に長唄伴奏の尺八譜をたくさん作って売り出しているのは、無定見と云わずんば譜を売らんが為に流人を欺くものとは云わねばならぬ。是は尺八誤用のホンの一例に過ぎぬ。



そうだったのですね…。
知りませんでした。


「尺八誤用のホンの一例」
他に何があるんでしょうね?汗




 琴古流の本曲、表裏三十六曲譜は(今日まで)完全に伝わりながら、いずれの曲も千篇一律、禅味も興味も共に希薄、だゞら長いばかりで一向に時人の胸に訴えるものがないのは困ったものだが、それを自流のあらたかな古典と奉って、面白くないものをしかつらして吹いているのは、見ている方が先に苦しくなる。
 琴古流の先生方は、すべからくして「鉢返し」「鹿の遠音」「夕暮」くらいを残し、他はあっさりと見送って、普化尺八を古典として研修するくらいの雅量をもたねば、将来が危ぶない。



琴古流の本曲、長いですよね…。

竹内史光師門下の「古典本曲愛好会」の集まりでは、時々吹かれる方がいて、15分経ってもなかなか終わらない、曲の感じからしてあ、もう終わるかな、と思いきやまだ続く…、朝から夕方まで、本曲三昧で畳に座布団で座っているので、聞く方も疲れ果てクタクタ。
流石に苦情が出たのか、実行委員会から演奏は「10分以内」という通達が出されました。




他方、普化尺八の一部の人々が、唯やたらに有難い、有難いと法器尺八を押し戴いて、末香くさい中で一音成仏の自己陶酔をやっていても、現代の青年で、尺八修行の当初から普化尺八へ入るのは、千人に一人もないはずだから、このままでは門人の種切れになろう。明暗流の中で、合奏曲を吹くと本曲が乱れるといい立て、外曲(合奏曲)を恐れるのは、二者の吹き分けができないための泣き言である。



「唯やたらに有難い、有難いと法器尺八を押し戴いて、末香くさい中で一音成仏の自己陶酔」


これは標語にしたい感じ。笑

古典本曲を吹いていない人は、このように感じるかも。
私も若い頃、本曲会の集まりで、オジサマ達がにわかに袈裟なんかつけて僧侶っぽくなっちゃって、かしこまって尺八吹いているのに、なんとなく違和感があった。ホントにこの人たち、仏教心あるのかしら?なんて。笑
今では自分が主になってやっているんだから恐ろしい…。
 


いやはや、「門人の種切れ」を心配されておりますが、まさにそうですね。



「明暗流のなかで、合奏曲を吹くと本曲が乱れるといい立て、外曲(合奏曲)を恐れるのは、二者の吹き分けができないための泣き言」とありますが、今となっては外曲ベースの方々が圧倒的に多い中、本曲を恐れなさすぎて「二者の吹き分け」が出来ていないような気もしますが…。





かく観ずれば現存の尺八各流は何れも不完全であるから、その枠内に跼蹐きょくせきとしていては流祖には忠実かもしれんが、遂に井戸の蛙で終わらねばならぬ。真に竹の道を探求するとなれば、少なくとも二流以上に渉らねばならぬのを目隠ししようとする師匠が多いのは、道の為に困りもの、やむなく所謂新曲派の発生が要求されて然るべきだが、尺八の本質を理解した数曲派が少なく、その大半は人の心を鎮める尺八を以て逆に鼓舞激励しようとしたり、線の音を有する尺八を集めて量を出そうとしたり見当違いの改良がしばしば改悪にして鼻持ちならぬものを聴かされるから、出る新派もいつまでたっても信用がない。



跼蹐きょくせきとは、跼天蹐地きょくてんせきちの略。
【跼天蹐地】 恐れおののいてびくびくすること。ひどく恐れて身の置き所のないこと。また、世間をはばかって暮らすこと。



「尺八の各流派はいずれも不完全であるから本当に竹の道を追求するとなると、複数の流派にわたって修めなければならなくなる。しかし、師匠というのは、とかく自流のみに囲おうとするもので、これは道のために困りものだ。」と和田真月師が分かりやすく書いている。最近は、そんな垣根も取り払われているような気がしますが、大きな組織であればあるほど、そういったしがらみがありそうです。



尺八は時代とともに進歩したというのは、応用の範囲が広くなっただけのことで、広くなったが浅くもなったわけで、琴古や都山の現代尺八には普化尺八で古人が活用した微妙な気息、口唇の運用による音韻の操作は更に見られぬ点は、尺八は時代とともに退歩しているともいえるかもしれん。



2003年頃、中国の北京の音楽大学に招待され、岐阜の先生と音楽大学の学生たちと笛交流をしたことがあり、その頃中国では、尺八を知る人もおらず、日本の尺八を、へ〜、そんな吹き方をするんですか、難しいですね、てな感想を生徒さんたちは言っていました。その音楽大学で演奏してくれた古笛は色々あって、大陸で時代と共に変化し、長いのやら、穴がたくさんのやらで、早く沢山の音を出す笛へと変化、改良されているように感じました。日本でも尺八そのものが、効率化され改良されるのは自然の成り行きですね。

ただ、やはり木幡吹月師のいうように、「古人が活用した微妙な気息、口唇の運用による音韻の操作」によって出された音でないと普化尺八とは言えないのでしょう。

退化しないためにも、鍛錬は続けるべしですね。




世界中の音楽や絵画が、いわゆる”世界性”とかいう荒刷毛で一色に塗りつぶされ。、ピカピカ光ったジェラルミンのような文化ができあがるなど、考えても恐ろしいことだから、尺八はあくまでも日本人のものでありたいと希う。




ジェラルミンとは、恐らくジュラルミンのことで、アルミニウムと銅、マグネシウムなどによるアルミニウム合金の一種。

最後の言葉を、今の時代風に言い換えますと、「尺八はあくまでも日本人の心を持った人のものでありたい。」とうことでしょうか。

今や、文化の上では日本人、外国人とはっきり線引きはできません。人種の線引よりもどれだけの知識や経験があるかで日本人の心を持っている或いは知っていると言えるのではないでしょうか。




普化尺八は音痴だから、西洋音楽の聞き慣れた我々に合うように吹いていると私にはっきりおっしゃった、とある尺八演奏家がいらっしゃいます。
これは、「尺八の世界性」の最初にあった木幡吹月師の言う「尺八で西洋音楽の真似事」ではなく、古典本曲を西洋風に吹くという事で、演奏される楽器が変わるのではなく、音楽そのものを意識的に変えてしまったのです。その先生の演奏は極端な強弱が連続するばかり。まさしくピカピカ光ったジェラルミンのよう。
そういうわけで、その大先生は外国人に人気があるのだそうです。本人曰く。(気さくで人に好かれやすいタイプでもある)

文化は時代と共に変化していくもの、それは受け入れるしかないですが、音痴だと言って変えてしまったのに、「日本」や「禅」を「商売道具」にしている。これが私は納得できない。現代曲でもやったらいいのに。
「本物本物って煩いんだよね」といったのもこの大先生。私は初めて偽物というものがあるんだなと、知った。悪い大人に騙されたような気分でした。(私も100%大人おばさんです…)


逆に「ウチが本物」と言って流派の上に胡座をかいている大先生もいらっしゃいますが。(本物なんだろうけど人柄的に認めたくない人もいる笑)




戦後78年、食生活から衣服まですっかり西洋化し、生まれた時から西洋音楽を聞き続けている「日本人の顔をした日本人では無い人」が、今の日本人なのでしょう。



駅前で虚無僧をしていてつくづく感じるのが、目の前の風景も、駅も、店も、人の服装も、履物も、何もかも、「日本らしい」といえるものが、ほとんど無いということ。


  
私達は本当に日本人と言えるのでしょうか。





実は私は相撲を全く見ないので日本人とは言えないかもしれない…。





木幡吹月師の「尺八の世界性」、
とくと考えさせられます。






木幡吹月『尺八古今集』名言集でした♪

木幡師に便乗して私は好き勝手に感想を書いているだけです。ご容赦下さいませ。


不読運動が起きないことを祈りつつ。笑


ご協力
尺八研究家 神田可遊師

古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇