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ふるさとの美を求めて★竹内史光師インタビュー岐阜の巻

尺八寸の鳴る竹に

竹内史光



こちらの記事は「月刊(民芸)、発行 岐阜民芸通信」。
この月刊民芸に関することは詳しくは分かりませんが、岐阜地域の月刊誌のようです。値段から推測するに昭和前半頃でしょうか。

竹内史光師のインタビューが掲載されており、門下の故藤川流光師に譲り受けたものです。なかなか貴重なものですので、こちらに掲載して史光師を偲びたいと思います。



まずは冒頭部分。

)これは竹内さんの話を編集部でまとめたものです。竹内さんは、いがぐり頭の頃、昭和五年から尺八をはじめ、同九年に師範免状を取り、昭和十二年から十五年まで東京の家元で修行して以来、専門家としての道を歩いてきた。今では数少ない人の一人で、進取の気風の持ち主です。)

細かい事で恐縮ですが、最初のカッコが何故か逆になっています。



  • 進取しんしゅの気性(気風)】既成概念にとらわれず新しい物事に取り組む気質や性格



進取の気風の持ち主です」ということは、一体どういう話が聞けるのでしょうか。



そうですね、どんな話をしましょうか。


こんな風にインタビュアーとの会話形式で始まります。



戦前は聖徳太子の時代に大陸から伝来したということになっていたが、この頃では日本人が発明した楽器だと言われていますね。


この頃は、こんなことが言われていたのかな?汗



 まずね、音が大きくふくらんで、すぅーっと余韻が消えていくというように、音の大きさが一本調子ではなく自由になること。も一つは音の揺り、音の波が一音半からニ音、というと四律でピアノ鍵盤四つにあたりますが、一つの音だけでの高低が出せること。も一つは、音色、音味が、澄んだ音も濁った音もいろいろ出せること。笛の音は息を使って出すので声に一番近く、特異な迫力がありますが、尺八には特にそれが言えますね。世界的にはめずらしい豊かな特徴を持った楽器と言えるでしょう。


このインタビュー形式は、聞き手の言葉は省略されていて、何を聞かれたのかを自分で想像しながら読むという手法。



ええ、虚無僧の吹いた曲を普化楽というんです。私、こんど出す楽譜に説明したのですが、「臨済宗の一派である普化宗の教典的性格を有する宗教音楽である。唐の普化禅師を開祖とする。我国に伝来したのは鎌倉時代の末期ごろまでは、こも(薦)僧とか、ぼろんじ(暮露児、梵論字)とか、ぼろぼろといって、乞食姿で尺八を吹いて托鉢行脚によって生活し、身分も低く一般から馬鹿にされとりました。そういう時代に尺八の生命ともいえるいろんな曲ができておると思うんです。

徳川時代になってからは、「初期に至るやにわかに隆盛を極め、名称も虚無僧(こむ)と改め、虚無僧寺は全国百二十余の多きに至る。尺八も改良されたが、しかし虚無僧の専有部となり一般の吹奏は禁止された。」
それでこの頃、根を使わねば良いということで「ひとよぎり」という短い笛が盛んになりました。


「普化楽」は「古典尺八」のことで、従来普化宗に伝わる尺八楽のこと。
「普化宗の尺八曲」という意味だか、普化宗の曲ではないものも含まれる場合もあり、一般人にはわかりにくいため、史光師は「古典尺八楽」とも呼称している。

1990年に出版された楽譜にある解説はこちら↓


インタビューにある「こんど出す楽譜」というのはこの1990年の楽譜より以前に出されたものと思われます。


「明治四年十月二十八日、太政宣布告をもって普化楽は全廃された。以後、尺八は楽器として邦楽界に登場することになった。音量、調律、楽譜の完備など楽器として、一大進歩をとげた。反面、全国の虚無僧寺に伝えられた多くの曲は消滅した。幸いにして現在なお伝わる曲も少なからず。数百年来にわたって練りあげられたる技術を自在に駆使し幽玄静寂な竹韻にはまた独特の迫力を有する。今後日本音楽を新しく発展させる為に極めて貴重な資料となるであろう。」ということを書いて、私、普化楽をテープに吹きこんで広めようということをくわだてて、やりかけとるとこです。そうでもしんと無くなっちゃいますからね。(竹内さんは手もとのテープレコーダーを廻して一曲聞かせた。残念ながら紙面では伝えられないので別に機会にゆずる他はない)



史光師の立ち上げた会は、その名も『全国古典尺八楽普及会
全国に普及させるぞという意気込みが感じられます。

「古典尺八楽譜録」の下にわざわざ(普及版)とある。



徳川三百年の鎖国が今だにたたっとるね。明治になって文部省がドイツの音楽をもって基調とするなんてことで、普化楽はもちろん、そういったものはみんな野蛮な淫びなもの、音楽の形をなさんものとして、ほかってしまったようなもんじゃ。


「鎖国が祟っている」を解釈すると、江戸時代に欧米の文明に全く触れてこなかった反動による新しい物事に対する崇拝のようなものが今だに続いている、ということでしょうか。

今気が付きましたが、「たたる」と「あがめる」の漢字が似ている…。

因みに、「ほかる」は捨てるの意味(岐阜その他中部地方の方言)。



また、尺八の方でも七百年も続けてきた普化楽をかなぐりすてて、琴や三味線と合奏することを基調にしてしまった。


「かなぐり捨て」というあたり、木幡吹月師を思い起こします。



 だから尺八の古典を吹く者がもうなくなろうとしている。やっと最近になって、良いところがある、大切だと言い始めた。私はそういう古典を土台にして尺八楽を発展させるべきだという考え方が、どうしてもぬぐいされんのです。


「古典を土台にして尺八楽を発展させる」と言えば、最近は、海外の愛好家も増え、発展していると言えばそういう状況なのかもしれません。日本国内では絶滅危惧種といわれていますが。



ーーーなかなか、そのねぇ、曲によっては絶滅直前で私にだけ伝わった貴重なものもあるんです。
 布袋軒の「鶴の巣ごもり」これなんかまだ誰も受け継いでくれません、ーーーええ、屈指の吹き手でも二年くらいかかるでしょう。相当の吹き手六人ばかりに毎月集ってもらって、四、五年行きましたが、ものになりませんでした。


この時点では伝承されていなかったかもしれませんが、「鶴巣籠り会」という会が結成されており、伝承は続いていると思います。


ーーいや短い短い、十二、三分の曲です。
 それは、昔、東北地方の吹き手達が、毎年鶴の来る湖のほとりに集って、数年がかりで作ったというものです。集団創作という点がめずらしい。それに、とても写実的なんです、鶴の声によく似ている、それとも一つ、ついぞ他で使わない玉音(たまね)の手法を使うということ。自分の喉を鳴らして出す音だが、この、ごろごろっと喉を鳴らすことがなかなか出来ないのです。それで密伝になっていたわけです。ーーいや、そういうリアルなものを生み出したのは鎌倉時代だと思う。ちょうど貴族社会がくずれて武士が権力をにぎっていった時代。江戸時代のように封建社会に爛熟した時代にしてはあまりにも写実的すぎる。


玉音(たまね)は鎌倉時代に生み出されたのかどうか分かりませんが、この辺りは史光師の個人的な想像かと思います。
「鶴の巣籠」に関しては神田可遊著『虚無僧と尺八筆記』にとても詳しくあるので是非ご一読を。



ーー私は三年ばかり、内弟子にいっていた東京の先生の命令みたいなもので、大阪の広沢静輝先生の代稽古に行っていたことがある、その人が伝えておった。ぜひということで、玉音のだし方を研究しているうちに、私は兵隊にとられてしまった。

(乳井月影の孫、乳井建道が遺言により伝授の必要あって、竹内さんの先生川瀬順輔の紹介状をもってその門下をたずねて、虚無僧姿で全国をまわるうち、広沢静輝一人に伝わったものという)
 兵隊からもどったら、広沢先生は重態でやがて亡くなられた。困ったと思っていたら、代稽古をしていた頃の人達が集って歓迎会をやってくれた。その中の小鳥才輝さんが、枕もとで手法だけ習って、やっと絶滅をまぬがれた曲です。


虚無僧研究会の機関誌『一音成仏 第四十ニ号』に國見政之輔氏が「奥州流鶴之巣籠についての雑感」という記事を投稿されており、史光師のことや、広沢静輝師のこと、布袋軒伝から奥州流となった経緯など詳しくありますのでこちらも是非。

広沢静輝師から、門人星皎輝(唐立勝美)師、史光師などに伝承され、かの海堂普門(当時は田中賢道)も、玉音の話を聞いて広沢静輝師のところを訪れ「熱心な求道心をもって」見事にこの曲を取ってこられたとのこと。SP復刻版『淘薩慈』に「鶴の巣籠り」で収録されています。

私もかろうじて史光師門下の西田景光師に伝授して頂きました。モノになるには二年どころではないです。


この「鶴之巣籠」は秘曲ということで、師匠と弟子との間だけで伝承され、人前では吹いていけないし、一子相伝、ようは自分の弟子の中の一人の弟子にしか教えてはいけない、暗譜必須、という曲で、殆どの人は門下の集まりでも独奏されることはありませんでした。
これではマズイぞということで、「鶴巣籠り会」でも人前で演奏するようにしようとなったそうですが、結局は引き継ぐ若手が居ない。今や鶴之巣籠のみならず、といった状況です。


 楽譜にすればこれだけものです(と、和紙に記した譜面を見せる)おもしろいんですこの曲ははばたきのところ、子別れのひな鳥の声、親どりと入りみだれて鳴くところ、口伝でなければわからない。こんな楽譜だけでは何もなりません。微分音で、ドとレの間にずーっといろんな音があるようなもんです、習った者だけが思い出せるというものです。五すりニあけと書いてあっても、ちょっとのことでコロンといわない(竹内さんはここで玉音を実演して聞かせた)

 うん、習いたいとは言うけれど歯がたたんという考え方しとるで、しかし、名曲というものは無くなってしまうものではない。僕でもこの曲にとらえられて、尺八吹いた以上、吹けるようにならな承知せんぞという執念みたいなもんで吹けるようになった。曲の持っとる力だね。

 

曲の持つ力」、最初はこんな難しいの無理、なんて思いつつ吹いていくうちにだんだん虜になっていく、そんなのが「曲の持つ力」でしょうか。




これは余談ですが、先日その「鶴之巣籠り」の話を、古典尺八楽愛好会の方と稽古の後、近所の蕎麦屋で話しておりましたら、いつもの常連さんがすぐ側で聞いていて、横から「ちょっと話をさせてもらっていいですか?」なんて、話し出し、その方が言うには、囲碁にも、「鶴の巣ごもり」という手があるとのこと。相手を責める手だそうです。「鶴の巣ごもり」とは、難しいことの代名詞になっているのでしょうか。

 

日本は、資本主義国では進んだ国だが、音楽では世界的な影響を与えるものはでていない。
 明治時代に伝統の民族豊かなものをほかってしまい、根本的には、労働者階級を先頭とした働く者の力に支えられて盛んになる以外に展望はありえませんね、そういう方針をだしているところも、だんだん出て来ました。民族的な楽器で交響楽ができる程になることが必要ですね。 (青竹を手に尺八の作り方の説明もあったが、紙面の関係で別の機会にゆずります)


「日本は、音楽では世界的な影響を与えるものはでていない」とありますが、音楽全般に関しては分かりませんが、今や日本国内でも、世界的にも有名で実力のある尺八奏者は、過去にも現代にも幾人も活躍されておりますし、戦後は民謡などが流行ったこともあり「労働者階級を先頭とした働く者の力に支えられて盛んになる」ことは実現され、一般人の演奏者、つまり趣味として尺八を吹く人は大勢生み出されました。しかしながら一昔前。いわゆる人口減でピークはすでに終わり、現在は再び衰退の道を辿っているという状況なのではないでしょうか。

史光師の言う「民族的な楽器で交響楽ができる程になることが必要」もすでに実現はしているとは思いますが、今はまた真逆の方向へ、個人で向き合う楽器としてジワジワと愛好家が生まれてきていると思います。ただし、師弟関係はなくあくまで個人的な楽しみとして動画を見て独学されている人が多いのではないでしょうか。最近の尺八関係のゆーちゅーぶを見てみると、「尺八の吹き方テクニック」を謳う動画の百花繚乱です。
そういう時代なのですね。

昨今は、色んな素材の尺八も登場しておりますが、反面「伝統の民族豊かなもの」であるための竹は、竹林の荒廃で、良い竹が採れた場所でも採れなくなっていると聞きます。

こちらは、記事の写真の拡大。
史光師の製管している写真です。

いい写真ですね。


兎にも角にも、一本あれば、精神的とても豊かな生活が送れるという尺八を岐阜において伝承してくださった史光師に感謝です🙏


さらには、
「奥州流鶴之巣籠」が今後も脈々と伝承されていくことを願いつつ…。





古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇