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古青江は美しい

備前国の隣りの備中国に青江派の刀工がおり、青江派は時代により平安~鎌倉中期を「古青江」、鎌倉末期~南北朝初期を「中青江」、南北朝末期以降を「末青江」と呼んでいる。
もう少し分類を大きくすれば、鎌倉中期以前の刀工を古青江派、それ以降を青江派として分類している。
古青江の代表的なところで言うと狐ケ崎と号される為次が挙げられるだろうが、それ以外にも、守次、貞次、康次、俊次、恒次、包次、延次、重次、次忠と、とにかく名前に「次」が付く刀工が活躍している。

(画像出典:狐ヶ崎為次 安芸吉川会

一応安次が古青江の祖という事になっているが、現存作が無いため、実質は守次が祖という事になっているようである。
「次」の字が付いている事が大半であるが古青江派の決まり事だったのだろうか。古備前からの移住者である則高、正恒などもいるので絶対に「次」が付くというわけでもないが。

また貞次や恒次は後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めている。
恒次は数珠丸恒次の作者と言えば分かり易いだろうか。(但し数珠丸は備前の恒次とする説もある)

銘の切り方も面白く、太刀にも関わらず打刀の位置に切る。(守次など
一部の刀工を除く)
しかも目釘孔の下に切るので一見擦り上げたようにも見える。
尚古青江に年紀入り作はなく2字銘ばかり。
中青江になると年期入りも出てくる。

(画像出展:為次「日本刀物語 空前絶後の名刀展」より)

出来に関して言えば、平安時代独特の優美な細身姿で腰元で大きく反る姿が日本刀の曲線美を象徴するかの如く美しい。
地鉄は板目肌が肌立った縮緬肌と呼ばれる地鉄に、沸付いた刃を焼いて刃が冴え地斑映りが立つ、などと言われる。
しかし地鉄はそれこそ粟田口のように詰んで青く澄んだ美しい作も慧眼する。
個人的にはこのような粟田口のような古青江がとても好みである。

しかしこれだけ魅力的な古青江だが残念ながら殆ど売り物を見かけない。
時代が時代だけに数そのものが少ないのだろう。
しかしそれにもかかわらず、在銘の粟田口などと比べると値段も2分の1、3分の1位になるのではないだろうかという位にだいぶ安く感じる。(値段は正確ではないのであくまで参考までですが)

それにしても古備前、古青江、古京物と、なぜその時代の刀はここまで私の心を惹きつけてやまないのか…。
日本刀は時代毎の戦闘様式に合わせて姿などは変化しているが、鎌倉初期には日本刀が既に完成しているように思えてならない。
いつかこのような時代の刀も手にしたいものである。

古青江弘次


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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