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何も考えていない、とは悪口なのか?

  それはいつものように何気ない会話の中での出来事だった。
「何も考えてない人って好きですよ」
私は一切の悪意を含まない気持ちでそう言った。わざと「何も考えてない」という乱暴な言い方をしたのは多少おどけた態度のつもりだったが、それでも私がそういう人間が好きなのは事実だった。


「何も考えてないって結構な悪口やん(笑)」
と返したのは関西人の男である。彼は一緒にゲームなどしていても用意周到に全ての選択肢を計算する男だったから、そういう反応になったのも頷けた。けれどわたしは何も考えていないという言葉が悪口だとは全く思っていなかったから、それにひどく驚いたのだった。


  私が思うにこの世の中のほとんど全てのことにはリスクが付きまとう。自動車を運転していても常に事故を起こす危険性はあるし、日常生活の些細なことから人間関係に亀裂が入ることもある。けれど私たちはいちいちそれを恐れていては前に進めない。そういう時何も考えていない人間は無駄に恐れたり、無理に頑張ったりすることなくごく自然に振る舞うことができる。これは未来に対して希望を持っていると言い換えることもできるだろう。


  以前私はヤドンが好きだと書いたが、そういうのんびりした人間が私は基本的に好きなのだった。だから関西男との考え方の違いには結構驚いた。人間とは千差万別な生き物で、それが面白い。そもそも日常の些細な出来事のほとんどは取るに足らない出来事であることが多い。これについてどれほど思い煩うかということは、それこそ人の好みと性格によるところが大きい。心のアンテナをどれほど敏感に保つかという精度は人によってまちまちだが、関西男にとってはその精度は高ければ高いほど優秀なのであり、私にとっては低ければ低いほど楽に生きられるものなのだ。


同じ男と昔話した時に
「ヤドンってお互いにどんな会話してんの(笑)」
と言われたことがある。
「ヤドンは念力が使えるから、テレパシーで会話するねん。かわいいよな。」と私は返した。
「ふーん、でも念力飛ばしあって、明日の天気は‥?とかどうでもいい会話しかしてへんのやろ?おもろ(笑)」
とその男は言った。どうやら鈍感なまでに何も考えていないということは、この男にとっては面白いことらしかった。


  私が何気なく言ったことにこの男が予想外に笑うことがあるのも、きっとそう言う理由なのだろうか。私はヤドンのように首をかしげて目の前の不思議な生き物について考えを巡らせてみた。けれど結局わからないことを考えても仕方ないのである。私は思考を放棄することにした。思い煩うことは少なければ少ないほどいいのである。

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