観光とまちづくりでありがちな失敗

いま、学芸出版社さんの「オーバーツーリズム」読んでる。「観光に消費されないまちの作り方」、という副題なのだが、筆者としては「観光」というものに重きを置きすぎて期待しすぎて多額の資金を無駄に投資してしまう例をよく見ている。観光が大きくなりすぎて消費されるくらいになりたい町がほとんどではないかと思う。しかし、そうはならない。ではなぜそうはならないのか。いくつか考えてみた。

1.なぜ京都は観光公害が大きくなったのか。

・京都ってそもそも交通不便なまちだよね。。。
土地柄、地下鉄など大量輸送手段を導入しにくい。地下鉄パスの値下げなどやってるけど、もはや限界。乗り入れ規制(香港やシンガポールなどの方式)しかないのでは。
・京都の「地位」って独特ですね
東京にも大阪にも京都にもほかの地方都市にもそれなりに大きな企業はある。東京は政治の中心。大阪はかつて経済の中心(のひとつ)。大阪の企業はどんどん東京へ流れるが、京都はそうならない、その理由として、「文化力」がある。大学が多いこともそれに相乗効果を与えているのでは。若い力って大切。ただ、若い力があるということは、それだけ季節労働力が多いことでもある。飲食店、ちょっとした体験施設の労働者が豊富ということ(例えば着物体験場所の乱立など)。
歴史文化もそうだが、そもそも京都は「観光業が発達するとすぐにインフラの弱さが露呈」しやすいところであり、「観光業を支える人的資源が豊富」なのだ。都市計画のおかげで高いビルが建てられないのでホテルブームによる地価の高騰も歯止めがかけにくい。

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