ヒマ人のつぶやき

週末、いつもお世話になっている鍼灸師のAさん(A姉と呼んでいる)が
家人氏の施術のために我が家にいらしたので、のんびりいろーんな話をした中で
「今にいること」
という話題になりました。

今を生きる、とかって言い尽くされて胡散臭いくらいだし(苦笑)
それでもずーーーーっと色んなところで色んな人が言ってるし
みんなそうしたいって思ってるわけじゃないですか。
スピっ子でなくともそうじゃないですか。
ましてやスピっ子のわたくしなんて、もうね、当たり前のようにそんなこと口にするしそうでありたいと思い続けてますよ。
でもね、
振り返ると全くできていない。
そしてできていないからどうなんだ、という観点を全く考えていない。
多分、ほとんどの人ができてないやってない。
いや、他の人は関係ない、とにかく、わたくしは全くできていない。

ここ最近、本当に本当にその事の重要性というか、もっと真剣にそこにフォーカスして生きていくことこそ大事なことなんじゃないの?って本気で思うようになりました。
というタイミングでA姉さまがマインドフルネス瞑想をされているということで、それこそマインドフルネスは「今ここ」なので、お話できたことが
本当に今こそわたくしが意識して意識しすぎなくらい「今ここ」を実践していくタイミングなんだと思えたんですよね。

今=愛だし今=自分。
思考や凝り固まった価値観は今とは離れたところにある。
そんな風にどなたかがおっしゃっていたっけ。
しみじみそうなんだと実感しています。

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昨日、教授訃報についてちょっとだけ書きましたが。

この中で

ここ数年、文藝での連載、コンサート、最後の最後まで社会へ言葉を投げかけ続け、最後の最後までその時の純度が高い状態のご自分の音を生み出していかれたこと、
生も死もご自身も、全てを「表現」として世に放っていかれたことの見事さにうち震えました。

と書いたのですが、なんとなーく言い足りてないなと思っていて。
でもわかりました。
教授は、死をしっかり見据えたことで、ご自分のできうる限りの力で「今」を最後の最後の最後まで表現されたんだろうなと。
あくまでわたくしが勝手にそう感じたことですが。
だからこそうち震えるほどの気持ちになったのだと思います。

そして、わたくし自身のことに戻ると
自分だって死に向かって歩んでいていることに間違いないのだし
過去にとらわれたり未来を憂いたり誰かや何かに意識を向けたりするヒマなんて、ない。
もう今ここに生きる以外、取り組むことなんか何もないんじゃないかな?
思ったりするのです。

純度100%というのは今しかないのです。

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突然、告知!
関西テクノ界の雄、サワサキヨシヒロさんが取手に来てくださいます!

わたくしのユニット、西瓜糖壺壺天範侍に加えてambient samurai
取手在住のボサノバシンガー・えびはらなおみさんがキシロフォンボスと共に参加します(これがかなりよきなのです!)
投げ銭なのでお気軽にお越しください(って場所じゃないんですが(;^ω^))

のんびりテクノってのもいいもんですぜ

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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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